情報武装講座~ワーク・ライフ・バランス編~


情報武装講座

~ワーク・ライフ・バランス編~


第1章 ジョブ・テク

~仕事、バイト、プロジェクトから勉強、人間関係に至るまで、全てのジョブに共通する基本原則~


第2章 心と体の健康入門

~「ストレス・フリー」から「自然治癒力」増強へ~


第3章 誰にでもできる!人間関係の工夫

~ちょっとしたコミュニケーションのスキル・アップが「平凡人」から「一目人」への第一歩~


第4章 逆境の哲学

~様々な事例に学ぶ「運」と「ツキ」と「節目」の研究~




情報武装講座~ワーク・ライフ・バランス編

<目次>

第1章 ジョブ・テク

~仕事、バイト、プロジェクトから勉強、人間関係に至るまで、全てのジョブに共通する基本原則~

➀最高と最低の原則

②公私充実の原則

③逆境克服の三原則

④失敗と責任の原則

⑤内外実績の原則

⑥報連相の原則

⑦コミュニケーションの原則

⑧三段階発展の原則


第2章 心と体の健康入門

~「ストレス・フリー」から「自然治癒力」増強へ~

➀「ストレス」は万病の元、「ストレス・フリー」は自然治癒力の元。

②「ポジティブ・シンキング」と「ネガティブ・フィーリング」のバランス。

③人間関係で「打撃」を受ける人と「飛躍」を得る人の違いは何か。

④「呼吸」「栄養」「運動」「想念」が健康・不健康な「自分」を作る。

⑤「誰かのため、何かのために生きる」人は不思議とうまくいく。


第3章 誰にでもできる!人間関係の工夫

~ちょっとしたコミュニケーションのスキル・アップが「平凡人」から「一目人」への第一歩~

➀聞き上手になると世界が変わる。

②疑問・質問がコミュニケーションを発展させる。

③相手のプラス反応に敏感になろう。

④一撃必殺のコトバ術。

⑤親友の作り方。

⑥恋人の落とし穴。

⑦メンターは何人いてもいい。

⑧「人間」とは結局「人間」である。


第4章 逆境の哲学

~様々な事例に学ぶ「運」と「ツキ」と「節目」の研究~

➀「運がいい人」と「運が悪い人」は確かにいる。

②「逆境」の時にこそ、その人の真価が問われる。

③「ツキ」をもたらす「性格転換」と「人間関係転換」。

④人生の「節目」となる進学・就職・結婚という「選択」。

⑤「時」を見抜く目と忍耐力・吸収力・向上心がカギとなる。




1 章 ジョブ・テク

~仕事、バイト、プロジェクトから勉強、人間関係に至るまで、全てのジョブに共通する基本原則~

最高と最低の原則

 例えば、あなたがジャーナリストになったとして、ある一面を編集を任せられたとします。「読書の秋」特集がテーマだとしたら、どのように編集しますか?

 まず浮かんでくるのは、「大書店での売れ筋ベストテン」「図書館での貸し出しトップリスト」「著名な文化人・知識人による推薦図書」「今流行の本の作者へのインタヴュー」「東大生100人に聞きました。今ハマっている本は?アンケート」「丸の内のOL100人アンケート」などなど、アイデアは後から後から出てくることでしょう。

 では、何から取り掛かりますか?片っ端から手をつけていきますか?それともやりやすいものからやっていきますか?答えはどちらもブッブーです。編集者なら最低限必要なものは何かをまず考えます。この場合の最低ラインはとにかく紙面を埋めることです。とりあえずこれとこれとこの記事があればそれほどスグレモノとは言わないまでも、一応無難な紙面構成となるということをまず押さえます。それから時間の許す限り、取材を続けていって、内容を濃くし、限りなく最高の紙面づくりを目指していくわけです。

つまり、優先順位が見抜けること。これが、まず第一に肝心なことなのです。



公私充実の原則

 ルーチン・ワークやあまり気の乗らない仕事をしなければならない時はどうしたらいいのでしょうか?

 この場合、オフシャルな仕事に如何に自分のプラスを結びつけられるかがカギとなります。例えば、人前で話すことが苦手な人がプレゼンテーションをせざるを得ない場合を考えてみましょう。イヤイヤやるなら、その仕事が一段落すればヤレヤレで終わってしまいますが、「これを機会に口下手を克服して、人前で話せるようになろう!」と自分の成長につながるように研究心を持つのです。あるいは営業が苦手な人であれば、ただ営業のノルマに追われるだけなら、すぐに疲れ果ててしまいますが、「これを機会に消費者の心理、購買者の心理を研究してみよう!」と思えれば、自分の成長につながっていくのです。

 「滅私奉公」に徹する人は個人の成長がなくなって、マンネリ化してしまいますし、何事も自分本位に進める人は組織原理を破壊します。要は「全体」と「個人」、「公」と「私」を如何に結びつけるかが重要なテーマであると言えるでしょう。 

  つまり、研究心を持ち、今やっている仕事に自分の成長につながる要素を必ずくっつけて取り組むということです。



逆境克服の三原則

 実績が全然出ない。トラブルばかり起こる。怒られてばかり。他の人は成功しているのに、自分だけ遅れを取っている・・・。こうしたことはあらゆる仕事の現場でしばしば起こりますが、この時、どうしたらいいのでしょうか?

 実はこうした「逆境」の時にこそ、その人の真価が現われると言っても過言ではありません。誰でも実績が出て、調子がよく、皆からホメられるような状況なら、落ち込むことすらあり得ないでしょう。どんなにサエない人でもこの状況ならやっていけるのです。逆に実績もなく、評価もなく、トラブルだらけなら、どんなに才能ある強い人でもメゲてしまうのです。問題はここからです。

 この時、鈍くさく、懸命に対処し、泥沼を這いずり回って、「それでもそれでも」とあきらめずに、1年経ち、2年経ち、3年経って、ついに逆境を脱却するような人がいれば、これほど恐ろしい人はいないのです。「この人を押しつぶすようなもっとすごい逆境はこれから来ることがあるのか?」「いやいや、仮にそうでも、この人はまた何とかしてしまうかもしれない」と思えてしまうのです。

昔から成功者と呼ばれる人は必ず「左遷」を味わっており、逆境から脱却すること数度、数十度というのが普通なのです。この逆境を脱出するために必要なのは、頭の良さでも才能でも力量でもなく、ただ、「向上心」「忍耐力」「吸収力」の3つを持っていることなのです。そして、「三年の原則」を知ると、どんな逆境もこの三原則を貫いていけば、三年を待たずに必ず脱却できるということを体で覚えていくのです。



失敗と責任の原則

どんな仕事でも失敗することは避けられません。そして、失敗ほど心にダメージを負わせ、気力を落とさせるものはないのですが、問題は失敗することにあるのではなく、「失敗した時にどのように対処するか」という点にあります。

 「失敗への対処の仕方」、これを「責任の取り方」と言いますが、単に謝ればいいのでもなく、といってその度にその仕事を辞めていれば、そのうちできる仕事は限られてしまいます。逆に「失敗した時にこれ以上、これ以外にないという迅速・適切な手を打つ」ことを心掛けている人の場合、失敗がその人に打撃を与えることができなくなってしまうのです。

 また、「最も多く失敗した人が最も成功する」と言われるように、失敗が成功に向けてのヒントを最も豊かに含んでいるのも事実です。失敗を放置せず、その克服に向けて知恵をしぼって、あれこれ試みる中に「成功への道」「失敗が生きる道」が生まれて来るわけです。

 こうした失敗と責任の原則をふまえていくと、最もダメージを受けやすいことに対しても、「メンタル・マネジメント」ができるようになっていくのです。

 


内外実績の原則

 仕事において「実績」は絶対に必要なものですが、これが大きくプレッシャーになるのも事実です。「ノルマに追われない仕事をしたい」「勉強は楽しくやりたい」などと誰しも思うものですが、この「実績追求」という悩ましいテーマをどう捉えればいいのでしょうか?

 実は通常「実績」と言っているものは「目にみえる実績」(外的実績)であり、「売上」「利益」「結果」といったものが該当しますが、これのみを追及していくと、だんだん心にゆとりがなくなってきます。ところが、「実績」には「目に見えない実績」(内的実績)もあり、「失敗から学んだもの」や「信頼関係」「何らかの情報」といったものも全てこれに入ります。表面上は目に見える結果が出ていない時でも、何らかの実績は絶対に出さなければならないのです。例えば、あらゆる手を尽くしてダメだったとしても、「このやり方ではダメだということが分かった」ことは実績として残せるわけです。

 つまり、「いったん手をつけた以上は必ず実績を出さなければならない」「勝負する以上は勝たなければならない」ということなのですが、その「実績」「勝利」といったものは目に見えるものとは限らないということなのです。

 


報連相の原則

 どんな仕事でも上の人との関係、横の人との関係、下の人との関係が伴いますが、上の人との関係で重要なのが「報告」「連絡」「相談」の3つです。

 実際、自分一人で対処できる能力も経験も限られたものであり、特に想定の範囲外のトラブルが起きた時こそ、上との関係が決定的に重要となります。大体、成功を収める人で、中には上に楯突く人もいますが、上と良好な関係を保っている人ほど、長期的永続的な成果を生み出すことができているものなのです。

 交通事故で事故る時は「まあ、いいか」と思った時であり、慎重に慎重になっている時にはほとんど事故が起きません。自分なりの判断を捨てて、必ず上を通すこと。責任原則から言っても、これは実に大切なことなのです。



コミュニケーションの原則

 職場に限らず、どんな場でも必ず人間関係があり、そこでは不思議なくらい「自分の苦手な人」がいるものです。「この人には困ったものだな」「この人さえいなければけっこういい所なのに」とだんだんエスカレートし、相手が辞めたり自分が辞めたりして、ホッとしていると、また、同じようなタイプの人が入って来たり、新しい職場にもっと大変な人がいたりして、「何でここまで?」と首をかしげたくなるようなことはしばしば起こります。

 これは「天の配剤」と言いますか、「人間関係の妙」とでも言うべきものなのでしょう。ある意味で「人間関係は自分の鏡。今の自分の課題を反映する」と言っていいようです。では、こうした苦手な人と場を同じくしている時、一体どうすればいいのでしょうか?

 結局は、「コミュニケーション」に尽きると言えます。遠ざかっている限りは何も始まりませんが、コミュニケーションを重ねる中で反発も発展も起こるのです。変化を生じさせるにはコミュニケーションしかないと言ってもいいでしょう。

 ここで重要なのは、相手の上に立とうとするのでも、対等に張り合おうとするのでもなく、「教えを請う」立場に徹することです。どんな人からでも学ぶべき点はあり、誰でも自分に対して謙虚に素直に尋ねてくる人には、一生懸命応えてあげようとするのが本心や良心の働きだからです。



三段階発展の原則

 どんな仕事でもチームを組んで対処するのが普通ですので、ここでチーム内の関係と対外的な関係とのバランスが問題になります。いわゆる「外面がよくて、内面が悪い」タイプは一時的には実績が出ますが、長期的にはもたなくなります。典型的な偽善者の道と言っていいでしょう。

 実は外にプラスを与える前に、中にもプラスを与える存在にならなければならないのです。プロセスとしては三段階からなり、まず「個人の充実(アイデア・企画・準備など)」→「内部への波及(人間関係の充実・フォロー・ムードメイキングなど)」→「外部への発展(実績や結果など)」となります。関係性で言えば、「対自」「対内」「対外」の三段階ということですね。

 こうした段階がきちんとふまえられていないと、業務上の支障が出るばかりか、人間関係がギクシャクしたり、トラブルがトラブルを生んだり、とかく運やツキを失いやすくなってしまうのです。不思議なものですね。



プレゼンの原則

 あらゆる仕事から人間関係に至るまで、プレゼンテーションは不可欠の要素となっています。基本は「如何に相手に一目置かれるか」ということになりますが、ここで重要なのは単なる売込みでもアピールでもなく、「相手のニーズの延長上にそのニーズを満たす情報を提供すること」です。そうすると、人間の心はフシギなもので、「この方向に行けば、自分の求めているものが得られる」「この人に聞けば大丈夫だ」と思えれば、放っておいてもそちらの方向へ心が動いてしまうものなのです。

 ここには強引なクロージングもしつこい説得も一切必要ありません。「プッシュならざるプッシュ」「トークならざるトーク」となってくるのです。したがって、まず第一に相手のニーズを的確に把握すること、次に手持ちの情報を相手に合わせて表現できるようにすること、が肝心となりますので、人間研究と自己分析、及び表現技術の向上が必要になってきます。あらゆる仕事において、心理学の知識と技術が必要とされるのは、こういった所にもその理由があるのです。




2 章 心と体の健康入門~「ストレス・フリー」から「自然治癒力」増強へ~

1 )「ストレス」は万病の元、「ストレス・フリー」は自然治癒力の元。

「ストレス」が「免疫機能」を低下させ、「未病」「発病」を生む。


「ストレス」「恒常性」ホメオスタシス、体の機能を一定に保つ性質)がゆがんだ状態。「ストレス」の原因となるものを「ストレッサー」と呼びます。


「免疫系」~生き物の体は病原体が侵入すると、それに対抗するために多くの段階の免疫システムを稼動させますが、精神的なストレスを受けても、体は同じように免疫システムを反応させます。実際、気持ちがゆるんでいたり、逆に緊張しすぎている時、極度に不快な状態にある時に免疫力が低下することが証明されています。2001年9月のアメリカ同時多発テロの被害者や1995年の阪神・淡路大震災の被災者達は免疫力が落ちているため、がんの発症率が高いという報告もあります。例えば、仕事で「嫌なこと」があって精神的にストレスを受けると、交感神経系が活動し、ノルアドレナリンアドレナリンが分泌され、もう一方では副腎皮質ホルモン(心身がストレスを受けると、急激に分泌が増えることから、「ストレスホルモン」とも呼ばれています)が分泌されて、「嫌なこと」を処理しようと体が反応しますが、これらの物質が分泌されると免疫システムが抑制されます。つまり、「嫌なこと」を処理しようと体がそこに集中してしまい、体外からの侵入者対策のセキュリティシステムが緩くなってしまう結果、精神的なストレス状態が続くと、その分、病気になりやすくなるのです。


「ストレス性疾患」~高血圧・高血糖やその結果としての動脈硬化、様々な心身症、胃・十二指腸潰瘍、過敏性腸症候群などの多くは、ストレス状態で交感神経系や神経内分泌系が活発化し続けるために起きます。また、「免疫」が抑制されると、風邪などの感染症がんを発症したり、過剰になるとアレルギー自己免疫疾患(本来なら自分の体を守るはずの免疫が自分の組織や細胞を攻撃してしまう病気)などになったりします。


「心身症」「心」の問題の関与が大きい身体疾患の総称です。精神の持続的な緊張やストレスによって発生します。身体的な検査で実際に異常を認めることも多い身体疾患ですが、症状の発生や症状の増悪に心因が影響している疾患を指します。心身症になりやすい人の性格傾向として、失感情症アレキシサイミア)と呼ばれるタイプが指摘されています。これは自己の感情を意識的に認知することの苦手さや、空想力・創造力の欠如を特徴とする性格傾向です。「失感情症」の人は不満や不安などの感情を意識で認識する代わりに、身体で表現してしまうのではないかというメカニズムが考えられています。


未病~「聖人は既病を治すのではなく、未病を治す」(『黄帝内経』)で初めて使用された用語です。「既病」とは既に発病したこと、「未病」とは発病する前の状態を言います。日本未病システム学会では「自覚症状はないが、検査では異常がある状態」と「自覚症状はあるが、検査では異常がない状態」を合わせて「未病」と定義し、「自覚症状もあり、検査でも異常が認められる状態」を「病気(既病)と呼んでいます。


「生活習慣病」(lifestyle related disease)~糖尿病高脂血症高血圧高尿酸血症など、生活習慣が主な発症原因であると考えられている疾患の総称です。これらの疾患は虚血性心疾患脳卒中などの原因となり、最悪の場合死に至ります。一般に30~40歳代以上の世代から発症しやすくなり、かつその発症に生活習慣(食事習慣、運動習慣、肥満、喫煙、飲酒など)が深く関わると考えられています。肥満に加えて糖尿病高脂血症高血圧高尿酸血症などの生活習慣病を複合する状態を、医学的には「メタボリック症候群と総称します。かつては加齢によって発病すると考えられたために「成人病」と呼ばれ、特に脳卒中、がん、心臓病は3大成人病とされ、集団検診による早期発見、早期治療の体制が進められました。「成人病」という概念は、1960年代に「主として、脳卒中、がん、心臓病などの40歳前後から死亡率が高くなり、しかも全死因の中でも上位を占め、40~60歳くらいの働き盛りに多い疾病」として行政的に提唱されたものですが、その後の研究で、原因の大半が長年にわたる「生活習慣」にあり、間違った「生活習慣」によって高脂血症や高血圧がどの年齢にも起こり得ることが判明したため、子供の頃から予防に気を付けなければならないことなどから、1997頃から「生活習慣病」と呼ばれることが多くなりました。



「医療革命」とも言うべき「精神神経免疫学」の到達点。


「幸福感」~毎日を幸福だと感じて生きている人は、大きなストレス受けたとしても、ほどよい刺激と感じることが出来ます。「幸福感」を持つことができる人に共通する特徴は、「自分自身が好きである」「主体的に生きているという感じが持てている」「楽観的である」「外交的である」などとされています。


「精神神経免疫学」(Psychoneuroimmunology、PNI)~脳、行動、免疫系の相互作用を研究する精神神経医学、心身医学の一分野です。この言葉はRobert AderとNicholas Cohenにより1975にロチェスター大学で初めて用いられました。「プラシーボ効果」「心身症「精神腫瘍学」などがこの分野に含まれます。「ストレス」「心理状態」が身体に与える刺激が「精神」(心)から「神経系」「免疫系」にも影響し、それが複雑に関与して健康維持や発病、病気の回復に関係している事実が研究され、心と脳や神経経路、さらに内分泌系や免疫が密接に連関し、身体を外敵から守って、良好な状態に維持しようとするシステムがあることが分かってきました。経験的に「病は気から」「風邪をひくのは精神がたるんでいるからだ」「驚異的な精神力で病気に打ち勝った」と言われて来たのに対し、「精神神経免疫学」は心(心理状態)が種々の疾患の発病や、治癒過程に密接に関連していることを科学的に解明しつつあります。つまり、ウイルスや細菌などの外的な要因が加わった時やがんが発病してしまった場合でも、心の状態が実際に発病や回復に大きく影響している可能性があるということです。あるいはストレスが多い場合には暴飲暴食やタバコの吸いすぎなど不摂生な生活をしやすく、長い間に肥満や高血圧を引き起こし、最後には心臓病・肝臓病やがんになりやすいと言えます。


「プラシーボ効果」プラセボ効果)~有効成分が含まれていない薬剤(偽薬、プラセボ)によって、症状の改善や副作用の出現が見られることです。偽薬効果とも言われ、暗示自然治癒力などが背景にあると考えられています。


「心身症」~身体疾患のうち、発症や経過に心理社会的ストレスの影響で機能的(器質的)な障害を伴った疾患群です。


「精神腫瘍学」(Psycho-Oncology、サイコオンコロジー)~「心」の研究をおこなう精神医学・心理学サイコロジー、Psychology)と「がん」の研究をする腫瘍学オンコロジー、Oncology)を組み合わせた造語で、がん医療における「心」を専門とする活動です。

例えば、がん患者は闘病に際して、次のような6Dと言われるストレスと直面するとされます。

(1)死の恐怖(Death)

(2)医療者への依存(Dependency)

(3)人生目標の中断(Disability)

(4)人間関係の途絶(Disruption)

(5)容姿の変貌(Disfigurement)

(6)倦怠、痛み、臭いなどの不快感(Discomfort)

さらに、がん患者で医療的介入が必要な精神心理的負担の状態を呈する者は約半数おり、その内訳は、適応障害(不安など)、抑うつせん妄が3大症状であることが分かっています。そして、厚生労働省「がん社会学」に関する合同研究班報告書によると、以下の5項目ががん体験者の悩みや負担の上位5つであるとされ、多種多様な心身両面のストレス要因とそれによる全人的な苦痛・苦悩があることが分かります。

(1) がんの再発、転移の不安、将来への漠然とした不安などの心の問題

(2) がんの症状、がん治療の副作用や後遺症などの身体的苦痛

(3) 家族・周囲の人の関係

(4) 就労・経済的なこと

(5) 生き方・生きがい・価値観

 これに対して、精神的な面を配慮した治療(心理療法)により身体の免疫力が活性化され、ホルモンのバランスなどが回復し、治療効果が期待できることなども分かってきました。



「ノン・ストレス」だと無気力になり、「ストレス・フリー」だと活力になる。


「ほどよいストレス」「ストレス」にもプラスに働くストレスとマイナスに働くストレスの両方があります。そのため、人間の体はストレスが弱いと十分に機能が発揮されず、逆に強すぎると機能が抑制されます。大事な時に緊張しすぎていてうまく出来なかったり、リラックスし過ぎていてミスが出たりする一方で、ほどよい緊張感がある方がベストの能力またはそれ以上の力が発揮されるのです。


「発達課題」(developmental task)~教育心理学者のハヴィガーストが提唱した概念で、「人間が健全で幸福な発達をとげるために各発達段階で達成しておかなければならない課題」であり、「次の発達段階にスムーズに移行するために、それぞれの発達段階で習得しておくべき課題がある」とされます。その後、エリクソンなど様々な心理学者がそれぞれの発達課題を提言していますが、一般に発達課題は次のような意義と特徴を持っているとされます。

①自己と社会に対する健全な適応にとって必須の学習である。

②本質的には一定の期間内で学習されなくてはならない。その後も存在し続ける課題もあるが、その意義は弱化していく。

③発達課題は子どもから高齢者に至るまでの各年齢段階にある。

また、各段階には健全と相反する危機(crisis)が存在し、健全な傾向を伸ばし、危機的な傾向を小さくしなければならないとされます。したがって、「ストレス」は単に空間的・環境的・状況的なものだけでなく、時間的・発達的・段階的にも生じ得るものとなります。「生活習慣」に現在性のみならず、歴史性・蓄積性があることは言うまでもありませんが、「発達課題」という視点(達成・未達成やそこから生じる心身のゆがみなど)も必要になってくるわけです。


【ハヴィガーストによる青年期の発達課題】

青年期における同輩グループの形成

①同年齢の男女との洗練された新しい交際を学ぶこと。

②男性として、女性としての社会的役割を学ぶこと。

独立性の発達

③自分の身体の構造を理解し、身体を有効に使うこと。

④両親や他の大人から情緒的に独立すること。

⑤経済的な独立について自信を持つこと。

⑥職業を選択し、準備すること。

⑦結婚と家庭生活の準備をすること。

⑧市民として必要な知識と態度を発達させること。

人生観の発達

⑨社会的に責任ある行動を求め、それを成し遂げること。

⑩行動の指針としての価値や倫理の体系を学ぶこと。


【エリクソンのライフサイクル(人生周期)理論における各段階の発達課題】

乳児期信頼~養育者との関係を通じ、周囲への信頼を学び、今後の人間関係の基礎を作る。

幼児前期自律性~排泄など身の回りのことを自分でやり通ることから自律性を身につける。

幼児後期自主性~周囲に対する好奇心、真似から積極性や社会的役割を身につける。

学童期勤勉性~勤勉な態度によって能力を習得し、周囲の承認を得る喜び、達成感を学ぶ。

青年期自我同一性アイデンティティ)~自分が何者であるかを確立し、自分の生き方、価値観をを形成する。

成人前期親密性~アイデンティティを確立した上での親密な関係を友人・異性との間に築く。

成人期世代性~社会の存続のため、次世代の人間を育成する必要性を認識する。

老年期統合性~自分の人生を受け入れ、肯定し、円熟した人格を形成する。


「自然治癒力」(spontaneous cure)~「自分の力で病を癒し、治す自然の力」 のことで、「自己治癒力」とも呼ばれます。人間・動物などの心身全体が生まれながらにして持っている、ケガや病気を治す力・機能であり、手術を施したり、人工的な薬物を投与したりしなくても治る機能のことです。体が外傷などを負った時に、それが少々の規模であれば傷を治す「自己再生機能」と生体の外部から浸入してくるウイルス・細菌類と戦う「自己防衛機能」免疫)が認められます。

 特に免疫機能」は非常に高度で精密・複雑なシステムであり、免疫機能を担っている要素の例としてはリンパ球が挙げられます。「リンパ球」の中には、全身をパトロールしながら、がん細胞やウイルス感染細胞などを見つけ次第、攻撃するナチュラルキラー細胞NK細胞)、体液性免疫の中心となり、抗体産生を行うB細胞体液性免疫で抗体産生を誘導するヘルパーT細胞細胞性免疫でウイルス感染細胞を破壊する「キラー細胞」などが知られています。



2 )「ポジティブ・シンキング」と「ネガティブ・フィーリング」のバランス

ポジティブな思考と行動は「生活習慣」である。


「サイモントン療法」~米国で放射線腫瘍医としてがん治療の第一線で活躍していたサイモントンにより開発された、「がん患者と家族支援者のための心理療法」です。サイモントンは臨床現場で多くの患者さんを治療していく中で、人生に喜びを見出して日常生活を送り、治療にも前向きに取り組んでいる患者絶望感にさいなまれて治療を受けている患者との間に、病気の経過の質や体調に大きな差があるということに気づいたのです。

そこから、患者や患者を支える方々の心の在り様が治療に大きな影響を与えると考えるようになりました。

 サイモントンは心理面での治療が実際に身体面での治療に効果を示しているかどうかを科学的に調べ、1978年にその研究成果を発表しました。それによると、生存可能期間は平均12ヶ月とされていた「末期患者」(医学的に不治と考えられている患者)159名を4年間にわたって治療した結果、63名の人々の平均寿命は癌が判明してから24.4ヶ月でした。また、治療を行った群のうち、死亡した患者の平均寿命は20.3ヶ月で、対照群の約1.5倍以上も生き長らえ、生存している患者の生存期間は普通の身体的治療だけを受けた患者の約2倍でした。がんが消滅した者は22.2%、退縮した者は19.1%、安定している者は27.1%で、「生活の質」の面から見ても、51%の患者ががんの診断以前と同じレベルの生活を維持し、76%の患者は発病以前の生活行動の7~8割を維持しているという状態だったと言います。それまでの臨床の経験から判断して、末期患者がこれほどの生活能力を維持出来るということは、全く驚異的な現象だと考えられるのです(カール・サイモントン『がんのセルフコントロール』より)。


「マーフィーの成功法則」~ジョゼフ・マーフィー(1898~1981)は神学、哲学、法学、薬理学の博士号を持つだけでなく、教育家、講演家、教会の牧師としても幅広く活躍しており、著書は35冊以上に及び、世界各国で3,000万部以上翻訳・出版されています。「年収5000万円以上の人でマーフィーを読んでいない人はいない」と言われたりもしますが、その理論は「潜在意識」には実に驚くべき力があること、そして、それを科学的アプローチにより活用することで、人間の願望を実現させようとするものです。恐れや疑念など、否定的な思いに引きずられることなく、自分の望むものを肯定的に求め、それを潜在意識に深く刻印すればその望みは必ずかなうという、実に単純で明快なものなので、「心の科学」が盛んなアメリカにおいても先駆的な存在であり、今なお圧倒的な支持を受けています。

「あなたの潜在意識は印象を受けたこと、あるいは意識的に信ずることを受け入れます。意識する心とは違って、思考することはしませんし、また、あなたと言い争うこともしません。あなたの潜在意識は土壌のようなもので、よい種子であろうと悪い種子であろうと、どんなものでも受け入れるのです。否定的・破壊的な考えは、あなたの潜在意識の中で否定的に働き続けます。そして、そのうちにそれに応じた外的経験として芽を出してくるのです。」(ジョゼフ・マーフィー『眠りながら成功する』)


ネガティブな感情は「現状認識」の必然の産物である。


「結局のところ、ポジティブ・シンキングというのはマイナスの部分を単に無視しているだけなのだ。だからそれ以上の進歩は望めないことになるし、問題が大きくなっていくだけだ。」(精神科医大野裕、認知療法の日本における第一人者)


「朝のこない夜はない

 私は親父の没落後、年少から青年期にかけて、いわゆる逆境の中を泳いできた。

 そのときはつらいと思ったり、家をとび出してしまおうかと思ったり、いやだ、いやだ、と思ったこともある。しかし、一つの波(つまり逆境)を乗り越えて、それを振り返ってみたときが、人生の中でいちばん愉快なときである。自分自身の心の中でそう思うのでなく、そのときこそ生命の充実というか、ほんとうに生きがいを感ずるのだ。そしてまた次の波がきたら、よし、今度も立派に乗り越えて見せるぞ、朝のこない夜はないのだから…と思う気が出てくるのである。」(時代小説家吉川英治、『宮本武蔵』などの作品で有名)


仏教の原点「四苦八苦」~仏教は「人生は苦である」(「一切皆苦」)という認識から出発しました。

「四苦」=生・老・病・死(しょうびょうろうし)。この苦の認識からガウタマ・シッダッタの出家「四門出遊」へとつながります。

「八苦」=四苦に「愛別離苦」(あいべつりく、愛し合うものが別れてゆかねばならないこと)、「怨憎会苦」(おんぞうえく、憎む対象に出会わなければならないこと)、「求不得苦」(ぐふとっく、求めても得られないこと)、「五薀盛苦」(ごうんじょうく、存在を構成する精神的・物質的5つの要素に執着する、人間生存自身の苦を示します)の4つを加えたものです。

③「苦」を克服する各種パターン=仏教では次のような「苦」の克服法を提示しましたが、実はこれらは全て必要で、総合的・包括的・全人的アプローチが欠かせません。

上座部仏教=「苦」の原因からの「逃避」。「苦」を誘発するものとの接触を避けることです。

浄土系大乗仏教=未来に希望を託して今を「忍耐」すること。自分を超えた力の介入を求めることです。

法華系大乗仏教「発想の転換」。「苦」に対する見方を変えれば「楽」にもなるということです。

密教系大乗仏教「原因の打破」。「苦」の原因そのものを消滅させる「力」を持つことです。


③「自分にとっての意味・意義」を「発見」出来る人は全ての環境・状況がプラスになる。


キェルケゴールの「実存弁証法」~キェルケゴールは人間の自己生成の問題を3つの「実存段階」において展開させようと試みました。

「美的実存」=就職より趣味、結婚より恋愛、外的対象の美的享楽、自分の内面を享受する美的・感性的段階。人間が自己の実存の意義と課題をまだ意識していない直接的な生存の段階。この段階にある人間は次から次へと享楽を追って生きており、健康や美が最高の善だという考え方もこの段階です。しかし、このような享楽の果てに待っているのは倦怠であり、退屈です。そして、健康は不安定であり、美は移ろいやすい。結局、このような「美的実存」の段階はそれ自体が矛盾であるがゆえに、目標の追求はついに挫折絶望に陥り、一層高い実存段階への以降に道を開くことになります。

「倫理的実存」~結婚生活と職業生活を真面目に選び取る、日常の人間的義務を真剣に営む倫理的立場。人間が自己の実存の意義を自覚しており、人間が実存しながら実現すべき普遍的人間的なもの、すなわち倫理的なものを義務の名の下に理解している段階。「倫理的に生きる」とは「人間が自分のなるべきものとなる」ことですが、このような倫理の根底には、人間は誰でも普遍的人間的なものをこの個別的な自己の内において実現することができるという前提が潜んでいます。だが、倫理的実存の徹底的な追求によって、そのような前提の不条理が暴露され、この挫折不安絶望を通して次の段階へと進むことになります。

「宗教的実存」

「宗教性A内在性の宗教(キリスト教以外)の段階。「わたしは特定の宗教は信じないが、神や霊の存在は信じる」というもので、何の普遍的な媒介もなしに、神の前にただ独り立つ「単独者」であり、「主体性が真理である」とされます。

「宗教性B超越性の宗教(キリスト教)の段階。負い目の意識罪の意識を持ち、「主体性は虚偽である」とされ、「キリスト」を通して成就する「神との逆説的な関わり」こそが本来の信仰であり、実存であるとします。


エックハルトに見る「牧会」(キリスト教的カウンセリング)マイスター・エックハルトは、ドミニコ会修道僧にして中世最大の神秘主義者であり、説教者として優れていたことでも知られています。人間が抱く苦悩を消去することは出来ませんが、自らを捨て超越者に全てを委ねることでより正しい方向へと導かれることが出来るので、彼はキリスト者としてどのように生きるべきか、どのように外的な世界と関わるべきか、を主に説いています。

 エックハルト 思想は禅に似ているとされ、失ったものを恨むのではなく、与えられたものを感謝しなさいと言います。いくらかお金を失った時でも、残っている部分感謝せよ、私たちは生まれた時には何も持っていなかったではないか。マタイ福音書の有名な「片目で神の国に入る方が両目そろっていてゲヘナ(地獄)に投げ入れられるよりは、あなたにとってよいことです」というイエスの句もエックハルトによれば、片目の人は失った目のみを後悔することなく残った片目を感謝しなさい、という話に解釈されるのです。無くなったものではなく、そこにあるべきものを「前向きに」重視する。また、エックハルトキリスト者といえども、現世の何らかの仕事に従事しなければならないことを踏まえ、キリスト者として仕事をなすことを善と見なしま。このような考えは中世キリスト教の神学者とは思えない程に近代的であり、仕事を肯定的に見なし、仕事によっても神の意に適うことができるというエックハルト仕事観はカルヴァン労働観の先駆とも言われているのです。

また、エックハルトによれば、自らを消し去り、神の子として生まれ変わったものは被造物を超えた存在となるため、如何なる被造物からも悩まされることが無くなるとされます。被造物から生まれたものは被造物に悩まされますが、被造物にあらざる神から生まれたものは被造物による悩みを持ちようがない。それでは現に悩みがある者はどうすべきなのかというと、悩みを神から受け取るべきであるとエックハルトは言うのです。神の内で「神、共に悩み給う」のを喜ぶべきなのであるというのです。悩みが消えるような慰めが神から与えられない時は、「恩寵を受けない」という仕方で受け取っているのであり、受けないということで受けることにより、一層本来的に神を受容することになると考えます。あらゆるものを受容することはエックハルトの中心的な教説の一つなのです。



3 )人間関係で「打撃」を受ける人と「飛躍」を得る人の違いは何か。

「人間関係」ほど「研究」が必要なものはない。


「人間関係論」生産性を高めるためには従業員のモラルを高める必要があり、そのためには職場の人間関係の改善が求められることを主旨とする理論です。E・メイヨー、レスリーバーガーらが行ったウェスタンエレクトリック社でのホーソン実験から始まりました。

 この実験では工場で温度、環境、騒音などを変化させ、作業する職人達の能率がどうかわるか実験を行ったのですが、どんなに劣悪な環境で働かせようとも、すばらしい環境で働かせようとも、あまり能率に変化がないことが分かったのです。要は彼らは常にすばらしい能率を発揮したわけで、これを分析した結果、工場の職人達は「自分達は世界的な実験、ホーソン実験に参加している」という意志が能率を高めたと考えられ、作業環境より人間の意欲、人間関係という部分が能率に大きく影響することを発見したということです。

 このことから、経営管理の前提「人間とは経済合理性に基づく行動、意志決定を行うものだ」というテイラーらから始まった「経済人モデル」の考え方から、「感情によって行動、意思決定を行うものだ」との前提に立った「感情人モデル」へ移行することとなり、能率を高めるには「感情へのアプローチ」が重要であるとされたのです。


メイヨー、レスリーバーガーの「人間関係論」生産性を向上させる要因となるのは仲間との感情であるとしました。労働意欲は自己の職務、仲間に抱いている感情により影響されるわけです。

レスリーバーガーの「公式組織・非公式組織論」~社内に組織する公式組織と呼ぶもの以外に非公式組織が社内にあることを発見しました。


マズローの「欲求5段階説」~人間の基本的欲求は5段階の階層に分けられ、「生理的欲求」「安全・安定の欲求」「社会的欲求」「自我(承認)の欲求」「自己実現の欲求」というように位置付けられます。下が満たされると上を満たしたくなり、欲求は無限に続くとされます。

マクレガーの「XY理論」~人間とは怠け者であるから監督による管理が必要であるとするX理論」と、人間とは自発的であるから目標による管理が有効であるとするY理論」を提唱し、Y理論に基づく管理の優位性を説きました。

ハーズバーグの「動機付け・衛生理論」~人間には「自己実現欲求」「不快回避欲求」の2つの欲求があり、これを「動機付け」「衛生」と呼んでおり、「不快回避欲求」を充足しても、不満足は減少するが動機付けは出来ないということが重要な視点となっています。
主な衛生要因不満足の要因)~ 経営政策、監督技術、給与、人間関係。

動機付け要因満足の要因)~達成、承認、昇進、仕事そのもの。



「ストレス」は全て「人間関係」から生れるといっても過言ではない。


原初療法プライマル・セラピー)~後の人生に影響を及ぼしている初期のトラウマに対処させることで神経症を解消させる療法です。「絶叫療法」とも呼ばれます。アメリカの精神科医アーサー・ヤノフが考案しました。

 ヤノフは「両親から愛されること」「ありのままの自分であり続けること」を人間の基本的要求としており、幼児期のトラウマ、満たされなかった欲求、愛情の欠如が感情を抑圧することにつながり、成人後に神経症や感情的な問題を引き起こす原因になると考え、「原初の叫び」プライマル・スクリーム)を表現させる、つまり「原初的苦痛」(Primal Pain)を再体験させることで、患者が抑圧してきた感情を解放するのを助けようとしました。プライマル・セラピーの患者の一人にジョン・レノンがいます。
 治療では、患者はセラピストに自叙伝を渡し、面接を受けた後、3週間の集中治療を受けて、当時の問題点を話し合います。治療のプロセスは自然に任せるが、セラピストの役割は患者が苦悩に向き合えるように励まし、患者を楽にしてあげることです。この再体験と記憶の再燃により神経症が癒されるのです。治療の効果は脳の機能・構造の変化、血圧と心拍の低下、ホルモンの変化、またときには免疫システムの変化までもたらすことで分かると言います。


『ジョンの魂』(John Lennon/Plastic Ono Band)~1970に発表されたジョン・レノンアルバムです。これ以前にもジョン・レノン&オノ・ヨーコの名義でアルバムを発表していましたが、本作はビートルあるズ解散後初めて発売されたジョン・レノンのソロ・アルバムで、全英8位、全米6位(『ビルボード誌』)を獲得しています。

 本作のレコーディング前に、ジョンとヨーコの二人はアーサー・ヤノフによる「プライマル・スクリーム」という精神治療を受けていました。プライマル・スクリームとは、人間心理の奥深くに潜む苦痛を呼び覚まし、幼少期の記憶にまで遡って、全てを吐き出すという治療法です。これを体験したジョンは、学生の頃に母を失った記憶などが蘇り、大声を上げて泣き出したと言います。そうした経緯もあり、この『ジョンの魂』はジョンの人間性が色濃く表れたパーソナルな作品であると言え、「マザー」「悟り」「ゴッド」などはそうした思いが溢れているのです。また、「労働階級の英雄」や「ウェル・ウェル・ウェル」のように、極めて政治的・社会的な楽曲も多く、こうした主義・主張は次作『イマジン』に受け継がれています。

 ロック・スターの苦悩や感情をありのままに表現した最初期の作品とされ、発表当時から評論家などの評価も非常に高かく、数ある名盤ランキングなどでもたびたび上位にランクインしています。



「人間関係」が最大の「成長」と「幸福」をもたらす。


「父性原理」と「母性原理」「パーソナリティ」の発達にあたって、フロイトが創始した「精神分析」は4~6歳頃の「エディプス期」「母親・父親・子どもの三者関係の情緒的葛藤と超自我の形成=エディプス・コンプレックス」を重視し、日本の親子関係や文化習俗の伝統を精神分析に持ち込んだ古沢平作や小此木啓吾は「エディプス・コンプレックス」に代わる「阿闍世コンプレックス=母子の相互的な許しと癒し」の概念を持ち込みました。これは日本の文化的特性である「集団主義」「情緒主義」をうまく説明します。

 「エディプス・コンプレックス」と「阿闍世コンプレックス」の最大の違いは、「エディプス・コンプレックス」がキリスト教倫理に根拠づけられるような「父性原理に基づいた感情的葛藤=近親相姦禁忌を示唆する三者関係」であるのに対して、「阿闍世コンプレックス」が仏教経典に題材をとりながら「母性原理に基づいた感情的葛藤=甘えや依存を許しあう二者関係」であることです。

三者関係の「エディプス・コンプレックス」の葛藤を経験する意義は、「母親への性的関心の断念」「幻想的な母子一体感を切断する父親の登場による超自我の芽生え」であるとされますが、エディプス期は母親への強固な依存と愛着を弱めていく時期と解釈すれば分かりやすいでしょう。それは親密な閉じた家族内関係を克服して、見知らぬ他者との社会関係へと自分を開いていくという意味を持ち、心理的自立の小さな第一歩とも言えます。「見知らぬ他者」とは単純に家族外部の人間という意味ではなく、「一方的な甘えや依存によって自分に対する世話や愛情を引き出す事が不可能な他者」という意味です。社会環境で自立して生きていく為には、人間関係を家族から家族外への他者へと発展させていくことで「家族の一員」であると同時に「社会の一員」とならなければならないのです。

社会の中で生きていく為の相互利他的な「社会規範・倫理規範」を学習して内在化する時期が「エディプス期」であり、社会の中で出会う他者の原型を模範的に示すのが「エディプス・コンプレックス」において去勢不安をもたらす「父親」(父性的な厳格性・規範性・現実性)なのです。すなわち、「エディプス・コンプレックス」における「父親」とは、「一方的な甘えや依存を拒絶して、精神的自立の芽生えを促す他者」であり、「厳しい社会環境で生き抜く為の社会規範・倫理規範を提示する他者」なのです。
 子どもにとっては、理想的な自己像を形成し、「社会適応」を促進する「父性原理」「精神的安定」をもたらして自分の居場所を作ってくれる「母性原理」もどちらも欠かせないものです。そして、この世界には「父性原理」で生きなければならない社会的環境もあれば、「母性原理」で生きても良い親密な人間関係もあります。育児において、「包み込む母性原理」が過剰になれば、引きこもりやニート、モラトリアムの延長のように、家庭環境から自立出来ず、社会環境に適応出来ない非社会的行動の問題が発生しやすくなるでしょう。反対に、「切断する父性原理」が強くなり過ぎれば、孤独感や寂寥感が強くなったり、他者に対する寛容や忍耐に欠ける冷淡な人格が形成されやすくなるのでしょう。また、徹底した「父性原理」に基づく行動を示す人の場合には、「他人は競い合い対立する敵」という認識が強くなり、他人に甘えたり、他人を信頼する事が難しくなるという心理的問題が生じたり、秩序や規則を機械的に守る事への強迫的なこだわりが生まれて、環境不適応の問題などが起きることも考えられます。つまり、「切断する父性原理」と「包含する母性原理」の適度なバランス感覚を持って、教育や育児を行うことが大切だという事が分かるのです。


「夫婦の絆は親子の絆を十字に切り結ぶものである。新しい結合は、古いものの切断を要請する。若い二人が結ばれるとき、それは当然ながら、それぞれの親子関係の絆を切り離そうとするものである。一度切り離された絆は、各人の努力によって新しい絆へとつくりかえて行かねばならない。この切断の痛みに耐え、新しい絆の再製への努力をわかち合うことこそ、愛と呼べることではないだろうか。それは多くの人の苦しみと痛みの体験を必要とするものである。このような努力を前提とせず、ただ二人が結ばれたいとのみ願うのは、愛などというものよりも『のぼせ』とでも呼んでおく方が妥当であろう。他の何事をしてもいいが、『愛する二人が結ばれると幸福になる』という危険思想にだけはかぶれないようにして欲しい、と願いたくなってしまうのである。」(河合隼雄『家族関係を考える』)


兄弟姉妹関係「友情」「恋愛」のベースになるのが「兄弟姉妹」の心情関係です。これが豊かであればあるほど、「友情」「恋愛」「結婚」が人格的成長上プラスに転じやすく、逆に貧困であるとマイナスに転じやすくなります。

長子=必要以上に構われる、神経質に扱われる、大きな期待をかけられる、甘やかしすぎ、あるいは厳しすぎ、一人っ子時代は過干渉で、次子の出現時から突然無視される→真面目(融通がきかない)、保守的(型にはまる)、おっとりしている(要領が悪い)、正直(単純)、欲しいものでも遠慮する、自分を良く見せる、度胸がなく、権威に弱い、人見知りする。

(1)長子としての兄「真面目、慎重、責任感」。しっかり順調に育つ人。何事にも慎重で、時には融通がきかないとの評価を受けますが、それは責任感の裏返しです。危険なことにはなかなか手を出さない性格で、それゆえリスクが少なく、堅実に仕事をこなします。これまでの一流企業の社長には、この兄型が多いとされます。一見面白味に欠けるように見えますが、少々仕事が厳しくても弟・妹型のように不平不満を漏らすことが少ないのです。慎重さの中にもプライドが隠されており、また、論理的な側面が強いとされます。

 期待される性格:強い意志、落ち着き、指導力、勇気。
 許容される性格:威張る、怒る、気難しさ。
 異性との交際:交際下手で、相手の意思を常に意識する。

(2)長子としての姉「真面目、気配り万全」。兄型と同様、折り目正しく育てられてきた人。兄との相違は、母親が同性の姉に対しては兄を育てるよりも、一層厳しく育てているということです。母親は理想の女性像を姉に求めることが多いです。周囲への気配り、目配りが行き届いていて真面目で、出しゃばらない。教師や看護婦、ボランティア、一流企業のキャリアに多いです。何事かを率先して行うより、頼まれることを待ってから着手する傾向があります。

 期待される性格:落ち着き、大人しさ、控え目、世話好き。
 許容される性格:なし。
 異性との交際:強くない男性の面倒を見たがるが、頼りないだけだと飽きる。

真ん中の子=面倒がらない、好き嫌いが明確、自己表現が下手、気に入らないと無口になる、一度怒ると大変、愚痴が多い、計画性がなく失敗する、優柔不断。

(1)真ん中の子としての弟「サービス精神、呑気」。エリート型の兄に対し、自由奔放な弟は、兄への競争心へ燃えます。兄を乗り越えたいという欲求が、攻撃性や上昇志向へ向かう場合が多いです。幼少時から家族を楽しませるのが好きで、その延長線上で、スター性を発揮することもあります。外向的だが、根本的には我が儘で甘えん坊。

期待される性格:勇気、楽天さ、冒険好き。
 許容される性格:粗野、強情。
 異性との交際:無計画に行動、手が早いか、表面的ないい人。

(2)真ん中の子としての妹「甘え、大胆さ」
 大変要領がいい。甘え方には天賦の才能を発揮します。弟同様、姉に対する競争心が強く、姉への反発をバネに過激に自己主張することも多いです。既存の価値観や常識を実質的に重視し、しばしば転職をします。奇抜で面白いアイデアはありますが、リーダーシップを他者に依存する傾向があります。

期待される性格:なし。
 許容される性格:おしゃべり、人に頼る、我がまま。
 異性との交際:徹底的に尽くすが、情熱の浮沈が激しい。

末子=協調性(お調子者)、世話好き(お節介)、要領がいい(ずる賢い)、サービス精神旺盛、巧みな自己表現。

(1)末子としての弟「サービス精神、呑気」。エリート型の兄に対し、自由奔放な弟は、兄への競争心へ燃えます。兄を乗り越えたいという欲求が、攻撃性や上昇志向へ向かう場合が多いです。幼少時から家族を楽しませるのが好きで、その延長線上で、スター性を発揮することもあります。外向的ですが、根本的には我が儘で甘えん坊。

期待される性格:勇気、楽天さ、冒険好き。
 許容される性格:粗野、強情。
 異性との交際:口先上手、交際巧妙。

(2)末子としての妹「甘え、大胆さ」
 大変要領がいい。甘え方には天賦の才能を発揮します。弟同様、姉に対する競争心が強い。姉への反発をバネに過激に自己主張することも多いです。既存の価値観や常識を実質的に重視し、しばしば転職をします。奇抜で面白いアイデアはありますが、リーダーシップを他者に依存する傾向があります。

期待される性格:なし。
 許容される性格:おしゃべり、人に頼る、我がまま。
 異性との交際:お節介で、亭主関白の男性と釣り合う。

一人っ子=マイペース(自分勝手)、非社交的、表現力豊か、体裁を気にする、神経質・情緒不安定。

(1)男の一人っ子「自己最優先」。両親の、特に母親の溺愛の下に育てられた人。しばしば協調性に欠如する。一芸に秀でるという特徴があり、個性が重要視される学者や芸術家に多い。

異性との交際:一心不乱に行動するようだが、実は冷めている。

(2)女の一人っ子「唯我独尊」。唯我独尊で協調性に欠如する。また、自分だけの得意分野を持ち、そこに力を発揮する。これらは男の場合と同様だが、男の場合との相違は、男に暗さや弱さがあるのに対し、女は強いということ。これは母親が同性であることから厳格に育てている為である。中性的な雰囲気があるので、同性から人気が出る場合がある。

異性との交際:勝ち気。年下の男性とは合わない。



4 )「呼吸」「栄養」「運動」「想念」が健康・不健康な「自分」を作る。

「ツボ」と「柔軟性」で簡単健康チェック。


手のひらのツボで分かる急性疲労と内臓疲労~押してみて「痛みを感じる」「気持ちがいい」などがあれば自分のツボの目安となります。したがって、東洋医学の教科書に書いてある記述と完全に一致するわけではありませんが、誰でも手軽にできる判断法として便利です。健康な人、身体が柔軟で適応力の高い人はツボを押しても痛がったりはしませんが、体が固い人、柔軟性に欠ける人は「ギャー!」と叫んで転げ回って痛がります。

①まず最初に相手の親指と人差し指の間、カッパの水かきのような部分の奥を、親指と人差し指で「バッチグー!」とつまむように押えます。これはいわゆる「合谷」というツボで、合谷はツボの中でも「万能のツボ」と言われています。これが痛ければ、「疲れ」がたまっている証拠です。ただそれが一時的な疲労なのか、内臓がやられていて慢性的な疲労となっているかは分からないので、次に内臓のツボを押してチェックします。

②手のひらの親指の付け根がこんもりした丘になっていますが、生命線の横を指先から手首側に向けて、一、二、三と三ポイントを順番に押していきます。

③一番指先側のポイントは肝臓・腎臓系のツボです。ここを押して痛がる場合は肝臓・腎臓系がやられていると思われ、具体的には「疲れが取れない」ということがよくあります。いくら寝ても疲れが取れた気がしない、朝起きた時もスッキリしない、といった場合、たいていここを押えると痛みを感じます。

④真ん中のポイントは胃のツボです。胃はストレスを敏感に感じ易い臓器なので、ストレスがたまっていたり、神経質な性格だったりすると、ここのツボをぐっと押えただけで激痛が走ります。小中学生でもここを痛がる子が増えていますので、「受験生活」「勉強生活」の中で相当ストレスがたまっていることがよく分かります。

⑤一番手首側のポイントは腸系のツボです。ここを押して痛いようですと、下痢か便秘かどちらかを起こしていることが多いのです。

⑥この手のひらのツボは足裏のツボとも連動していて、土踏まずのアーチ型の部分をつま先側からかかと側に向けて、順番に一、二、三と三ポイントを順番に押していけば、手のひらのツボと同じことが分かります。


ツボによる遠隔操作で内臓強化~ツボはチェックのみならず、遠隔操作による内臓強化にも使えますので、痛いツボをもんだり、押したりすることで、弱っている内臓に刺激を与え、1週間から2週間かけて徐々に整えていくことができます。ただあまり慢性化していると、1か月ぐらいかかる場合もありますが、遅効性でコントロールすることができます。


「頭の固さ」「心の固さ」は「体の固さ」と連動する~自分の流儀に固執しがちな人、柔軟な対応や変化をその都度、臨機応変にしにくい人は体の柔軟性にも欠けていることが多いものです。すなわち、状況に応じて柔軟にギアチェンジする能力、「状況適応能力」は体の柔軟性と密接に関係しているということです。体が固いと、当然、身体的適応力も下がってくるので、持久力がなかったり、内臓がやられていたり、肩こりが常習化していたりすることもしばしばです。また、体の柔軟性が最も端的に表われるのは「股関節の柔らかさ」で、股関節を柔かくすることはあらゆるスポーツ、武道の基本中の基本です。相撲なども「股割り」が基本で、これをしっかりやらないとケガします。


「インナーマッスル」を鍛える第一歩は「ストレッチ」~体の内側にある筋肉、深層筋「インナーマッスル」を鍛えていくと、転んだり、ケガしたりしにくくなりますが、その鍛え方でも、肩関節や股関節を如何に柔かくしていくかを重視しています。ヨーガでも太極拳でも気功法でも真向法でも、様々な形で「ストレッチ」が取り入れられています。例えば、映画「マトリックス」の撮影をした時、主演のキアヌ・リーブスは毎回二時間のストレッチを課せられたと言いますし、イチロー選手も球場入りするのは常に試合の五時間前で、ストレッチから始まる一連の準備を黙々とこなして、体にスイッチを入れていました。

 ちなみに中国の京劇や雑技の役者さんなどの体の柔かさは驚異的ですが、そのコツはただ「毎日やること」しかないそうです。逆に言えば、放っておけば体はどんどん固くなっていく、柔軟性を保つには毎日ストレッチをコツコツ続ける以外にないということです。だから、あまり大それた運動、体操になってしまうと、一回やるのにも膨大なエネルギーを要しますから、ジムに通ってノルマのように負荷を課す人ならともかく、自宅で細々とする人なら必要最低限のシンプルな運動だけを心がければいいでしょう。


最もシンプルなストレッチは「開脚前屈」「股割り」「捻腰」~お風呂から上がって体がほぐれている時や、夜寝る前などにやるのが効果的です。

  「開脚前屈」「股割り」のポイントはあごを伸ばして遠くの地点を目指し、背中を決して丸めないこと、呼吸を止めないで、吐く息に意識を置き、動作に反動をつけないことです。また、立ったまま手をひざに当てて支えながら、そのまま腰を落としていく「股割り」「腰割り」であれば、一日中いつでもどこでもできるので、時間と場所の制約を受けません。

  「捻腰」気功法で言う「スワイショウ」です。これは両手を広げて、でんでん太鼓のように左右にぶーらぶーらと回転させて、腰を捻る動作で、両手を前後に振る動作もあります。これを力を抜いて何度かやっていくと内臓筋がほぐれ、腹にたまったメタボ脂肪が心なしか減った気がし、凝った腰の張りが取れていくのがよく分かります。ちなみに手のひらを下に向けるよりも上に向けた方が、より腰にひねりが入ります。最近は腰を痛めている人も増えてきているので、腰のほぐし方を知っておくことは重要です。



恐るべき「呼吸」、当たり前が難しい「栄養」。


「腹式呼吸」~呼吸法には、肋骨を広げたり閉じたりする「胸式呼吸」と、腹を出したり引っ込めたりすることにより横隔膜を上下させる「腹式呼吸」とがあり、一般的に、女性には「胸式呼吸」が多く、男性には「腹式呼吸」が多いと言われています。「腹式呼吸」の方が精神安定、血圧上昇抑制、脳の活性化などの効果が高く、脳波がリラックスしたα波やθ波の状態になります。

「腹」を使って横隔膜を動かす=肋骨でなく、腹を出したり、引っ込めたりさせて、横隔膜を上下させることにより呼吸します。「吸う時は鼻で」「吐く時は口で」が基本ですが、「鼻で吸い、鼻で吐く」でもいいです。口でのみ行う呼吸法を「口呼吸」と言い、現代人に増えていますが、これが精神不安定、判断力低下につながると言われています。

「吐くこと」から始める=実際の呼吸においては「吐くことを先に」行いますが、「腹式呼吸」では、吐くこと、特に「ゆっくり吐くこと」が重要視されます。体に必要な酸素を取り入れるためには、二酸化炭素を出し切らなければなりませんが、「胸式呼吸」ではこれが十分になされため、まずは最初に吐き、肺の中の空気を出し切ってから呼吸を始めると考え、「吐いてから吸う」という習慣を身につけます。

「腹式呼吸」の基本「吐く時に腹をへこませ、吸う時に腹を膨らませる」という要領で行い、「悪いエネルギーを吐き出してから良いエネルギーを取り入れる」とイメージして呼吸すると更に効果的です。


「丹田呼吸法」~息を吸い込み、下腹部(「臍下丹田」)に力を込めてからゆっくりと息を吐き出す呼吸法で、強い腹圧を伴った呼吸型と言えます。自律神経のアンバランスを防ぎ、生体内における各種ホルモン系を調整し、その調和を保ち、すぐれた内臓の強化法でもあります。「臍下丹田」は心身共にたくましい生活力を湧き出させる源泉であり、原動力ですが、クンダリニー・ヨーガでは「スヴァディシュターナ・チャクラ」に相当します。


「ヨーガ」「呼吸法プラーナーヤーマ」「体位法アーサナ」「瞑想法」の三つからなる修行体系です。「気功法」の体系も基本的にこの三要素からなります。


「ハタ・ヨーガ」=「ハ」は太陽、「タ」は月をそれぞれ意味し、「ハタ」で「力の」という意味があるとされます。アーサナ(姿勢)、プラーナーヤーマ呼吸法)、ムドラー(印・手印や象徴的な体位のこと)、クリヤー(浄化法)、バンダー(制御・締め付け)などの肉体的操作により、深い瞑想の条件となる強健で清浄な心身を作り出すヨーガです。起源は紀元後10世紀~13世紀頃で、ゴーラクシャ・ナータが開祖とされます。『ハタ・ヨーガ』『ゴーラクシャ・シャタカ』という教典を書き残したと言われていますが、現存していません。インドにおいて社会が荒廃していた時期に密教化した集団がハタ・ヨーガの起源と言われ、肉体的操作ばかりに重きを置かれることから、低俗なものと見られていました。しかしながら、悟りに至るための補助的技法として霊性修行に取り入れるならば、非常に有効であると言えます。なお、スポーツのストレッチなどはこのヨーガのアーサナ(姿勢)に由来しています。


「ラージャ・ヨーガ」=「ラージャ」は「王の」という意味であり、神を悟るための本格的なヨーガと言えます。「マハー(偉大な)・ヨーガ」とも呼ばれます。根本教典はパタンジャリヨーガ・スートラ(紀元後2~4世紀)です。第2章にはラージャ・ヨーガの段階について記述されており、1.ヤマ(禁戒)、2.ニヤマ(勧戒)、3.アーサナ座法)、4.プラーナーヤーマ(調気)、5.プラティヤーハーラ(制感)、6.ダーラナー(凝念)、7.ディヤーナ(静慮)、8.サマーディ三昧)の8つの段階からなることから、「ラージャ・ヨーガ」を「アシュタンガ・ヨーガ」(アシュ:8つ、アンガ:枝・部門)とも言います。


「カルマ・ヨーガ」=日常生活を修行の場ととらえ、善行に励みカルマの浄化を図るヨーガです。見返りを要求しない無私の奉仕精神をもって行います。カルマ・ヨーガの教典はバガヴァッド・ギーターです。


「バクティ・ヨーガ」=神への純粋な信愛を培い、全てを神の愛と見て生きるヨーガです。古代に実在し、その後、神として崇められたクリシュナが開祖とされます。『バガヴァッド・ギーター』は、「バクティ・ヨーガ」や「カルマ・ヨーガ」の本質を歌っています。


「クンダリニー・ヨーガ」=尾てい骨に眠るというクンダリニーを覚醒させ、身体中の気道チャクラ(7つある神経内分泌中枢)を活性化させ、悟りを目指すヨーガです。密教の軍荼利明王は、そのクンダリニーを象徴化したものです。別名ラヤ・ヨーガ


「マクロビオティック」(Macrobiotic)~マクロビオ+ティック(テクニック)の合成語で、食事療法のことです。自然界の生物(動物・植物)はそれ自体が完全なものであるという観点から、偏りのないバランスの良い食生活を達成するために、基本的に食物を丸ごと摂ることが推奨されます。例えば、玄米や全粒粉のパン、野菜・果物を皮ごと食べること、小魚など丸ごと食べられるものを積極的に摂ることなどです。「マクロビオティックス」「マクロバイオティック」「マクロバイオティックス」「マクロ」「マクロビ」「正食」「玄米菜食」「穀物菜食」などとも呼ばれます。歌手マドンナが息子のアレルギーのため、マクロビオティックに詳しい日本人プライベートシェフを持ったことから、息子だけでなくマドンナも愛好家となり、話題となりました。明治陸軍軍医石塚左玄が欧米近代医学を元に日本の伝統食の正当性を検証して唱えた食養を、弟子の桜沢如一(さくらざわゆきかず)が発展させ、「マクロビオティック」及びその基礎となる「無双原理という哲学を提唱しました。久司道夫菊池富美雄らが主に海外で、大森英桜岡田周三らが主に国内で広めました。

①玄米 を主食とし、食事の6割以上とする。

②野菜や穀類は丸ごと全部食し、精白したり、皮をむいたりしないで、余すところなく使う。

③なるべく地元でとれた農産物を摂るようにし、有機農産物ならなお良い。

④砂糖 化学調味料、精製塩を使わない。米飴甘酒甜菜糖・メープルシロップなどで代用。

⑤肉類や乳製品は使わない。


「粗食」~帯津三敬病院でがん患者などに食事指導をしている管理栄養士幕内秀夫が提唱し、反響を呼びました。

①ご飯はきちんと食べる。
②穀物は未精製のものにする(胚芽米、玄米など)
③副食は野菜中心にする。
④発酵食品を毎日食べる(みそ汁、漬け物、納豆など)
⑤肉類を減らし、動物性食品は魚介類や卵くらいにする。
⑥揚げ物は控えめに。
⑦白砂糖の入った食品はさける。
⑧砂糖や塩は未精製のものを選ぶ。
⑨出来る限り安全な食品を選ぶ。
⑩食事はゆっくりとよくかんで食べる。


③結局、人間は「思った通り」の「自分」になる。


「唯識瑜伽思想」~中期大乗仏教で、「アーラヤ織」(潜在意識・深層意識)を駆使する技法を完成し、「止」(奢摩他、シャマタ「集中」からあらゆる想念の「消滅」へ)と「観」(毘鉢舎那、ビバシャナ「瞑想」)による「速疾成仏論」に至りました。これは後期大乗仏教たる密教によって「即身成仏論」となり、空海が大成しました。この「成仏(成仏陀)」の部分を自分がなりたいものにしていけば、「即身成金持ち論」「即身成成功者論」「即身成世界ナンバーワン・スポーツ選手論」などと一般化されるわけです。


無念無想は雑念雑想の極致にある~よく座禅や剣道で「無念無想」ということが言われますが、これは最も簡単な「シャマタ瞑想法」サマタ瞑想法)の境地です。例えば、柳生新陰流の奥義は「無想剣」ですが、これは「何も考えない境地」ということではなくて、「あれこれ考え抜いた結果、考える必要が無くなった境地」のことです。

 ある僧侶が座禅に取り組んだ時、過去の出来事や気にかかること、今晩の食事のことまでいろいろ浮んできて、なかなか「無念無想」になれないと悩んだそうですが、それが毎日毎日繰り返されていくと、さすがに3時間も頭をよぎっていたことが、20分くらいでよぎるようになり、そのうちよぎることもなくなったというのです。何度も何度も徹底的にあらゆる角度から考え、それを繰り返していくと、本当に考える必要がなくなっていくのです。まさに「無念無想は雑念雑想の極致にある」わけです。

 あるいは詠春拳から截拳道(せっけんどう、ジークンドー)という武術を創始したブルース・リーも、「初めてパンチを見た時は本当にすごいと思った。それからありとあらゆることを試してみて、もう1度パンチを見たら、それはただのパンチだった」と言っていますが、「徹底的追求」を経て「大いなる平凡」に至ることはどの世界でもあると言えるでしょう。


内なる声に耳を傾ける~実はこれは最も本質的な「ビバシャナ瞑想法」ヴィパッサナー瞑想法)です。これは心理学的には「直観」、哲学的には「良心」、神学的には「内なる神」と言う所でしょう。不思議なもので、何でも「最初に心で思ったこと」「心の第一声」が意外に自分にとって必要なものを突いている場合が多いのです。「学校に通って勉強すべきだ」「英字新聞を読んでみよう」「思い切ってバイトをやめて大学を目指そう」などと、ある情報に触れた時、パッと思ったりするのですが、時間と共に理性が働いてあれこれ「言い訳」をこねくり始め、最初に浮かんだことをすぐに実行に移さない理由を「正当化」していくことが始まります。「別に今じゃなくてもいいじゃないか、もう少し考えてからにしたら」「いきなり英字新聞なんか読めるわけがないじゃない」「バイト先に迷惑もかかるし、しばらく仕事は続けながら、受験勉強もやったらいいんじゃない」などと、次々に最初の決意(アイデア)を骨抜きにかかってきます。なぜかというと、人間はついつい「昨日と同じ今日、今日と同じ明日」を望む存在で、新たな決断をしてそれまでの生活の流れを変え、新しい生活を出発させていくことをなるべく先送りにしたい心理が働きやすいからです。ところが、答えはすでに出ているのです。先入観や偏見、浅知恵など抜きに、真っ先に心が反応したのは「やってみよう、踏み切ってみよう」という答えだったはずです。「自分に正直に生きる」ということは実はこの「直観的感性」「良心の声」「内なる啓示」に従うということで、その障害は外にあるのではなく、本当は内にあるのです。だから、「自分にウソをつかない」ということが大変なことだということがよく分かります。でも、「自分に正直に生きる道」「自分にウソをつかない道」を行った時のみ後悔がなく、心から「納得」がいくのであるということも、実は「心では分かっている」のです。



(5)「誰かのため、何かのために生きる」人は不思議とうまくいく。

突き詰めれば、最後に残るのは「努力」を超えた「運」である。


天命思想「運命」「宿命」「天命」の三段階を「看命」「知命」「立命」の三段階で認識・把握・実現していきます。

「運命」=後天的要素。人生行路及び家庭環境が原因的要素となり、可変的です。

「宿命」=先天的要素。遺伝要因や家庭環境が原因的要素となり、不変的です。

「天命」=天が与えた使命(ミッション)です。「自分はこのために生まれて来た」という自己の存在の本質に関わる部分です。

「看命」=自己の運命・宿命を見抜くことです。「運命方程式」や「ライフサイクル理論」が必要となります。

「知命」=自己の天命を知ることです。孔子は50歳にして天命を知ったとされるので、50歳を知命とも呼びます。

「立命」=運命・宿命を見抜いて、悪しきを抑え、良きを伸ばして、自己実現を図ることです。さらには天命を知って、その成就を図ることです。


人間関係を劇的に変えていく2原則~実際に人間関係でひどい目に会い、傷つき、挫折した人は多くいますが、どんな大変な立場を通過した人でも、必ずといっていいほど人間関係を劇的に変えていく方法が「してもらってうれしかったことは+αして人にもしてあげる」+「されて悲しかったこと、してもらえなくて悲しかったことは絶対に人にしない」という2大原則です。運命学的に言えば、開運の原則と言ってもよいでしょう。

 傷ついた経験がある人ほど、人の優しさに敏感ですが、「あの時、自分の話をうんうんと聞いてくれてすごくうれしかった」とか、「この人だけが自分の良さを認めてくれた」といった体験を少なからず持っているものです。これは宝物と言ってもいいものですが、これをそのままにしていてはいけません。そうしてもらったうれしさ、ありがたさを分かっているわけですから、自分も他の人に対して同じようにしてあげるのです。しかも、自分なりの工夫として「+αを加えていった上です。そして、逆に「あの時、こんなことをされて自分は本当に傷ついた」「こうして欲しかったのに誰もそうしてくれなかった」といった体験もたくさんあることでしょうが、これを絶対に人に向けてはいけません。「自分もこんな目にあったんだから、人にも」という発想は「復讐の心理」であり、復讐が復讐を呼んで繁殖していくことになります。

 ここで重要なことは「私が味わったような思いは私の所で終わらせる」「自分の所で悪い流れは断ち切る」という強い決意なのです。家族関係で悲惨な思いを味わった人も、友人関係で裏切られた人も、恋人関係で傷ついた人も、「この私(他の誰かではありません)を人間関係の転換点とする」と思い切れた時から、人間関係は変わり始めるのです。具体的にこの2原則を実行していくと、時間はかかりますが、人間関係は劇的に変わっていきます。誰かが自分を頼りにするようになり、誰かのために「必要とされる自分」に喜びを感じるようになった時、「うらみつらみ」や「くよくよ」からなかなか脱却できなかった段階を一つ超えたことを感じるでしょう。



「何のために生きているか」でその人の「運のレベル」「器」が決まる。


小事を成すのは力量であり、大事を成すのは運である~例えば、都道府県議会・市町村区議会議員になるのは「実力」があればいいわけですが、国会議員になるには「運」が必要であり、その受け皿となる「器」が必要であると言います。


聖人世界のために生きる人です。「天運」の領域と言ってもよいでしょう。イエス=キリストガウタマ=シッダッタ孔子ムハンマドの4人を特に「四大聖人」と呼びます。ソクラテスは哲学者なので、「哲人」ではありますが、「聖人」のカテゴリーには入りません。内村鑑三が信念として掲げていた「二つのJで、「I for Japan; Japan for the World; The World for Christ; And All for God.」(私は日本のために、日本は世界のために、世界はキリストのために、全ては神のために)と述べられているように、これより上は「神のために生きる人=神の子」となります。


義人国家のために生きる人です。「国運」の領域と言ってもよいでしょう。特に国家・君主への忠義を「大義」と呼びます。アメリカ独立革命に大きな影響を与えたパトリック・ヘンリーの演説や、朝鮮王朝への協力を拒んで高麗王朝への忠義を貫いた鄭夢周(チョンモンジュ)の「丹心歌」などが想起されます。

「Is life so dear, or peace so sweet, as to be purchased at the price of chains and slavery? Forbid it, Almighty God! I know not what course others may take; but as for me, give me liberty or give me death!」(Patrick Henry)

(鎖と隷属の対価で購われるほど、命は尊く、平和は甘美なものだろうか。全能の神にかけて、断じてそうではない。他の人々がどの道を選ぶのかは知らぬが、私について言えば、私に自由を与えよ。然らずんば死を与えよ。

「この身は死んでも また死んでも

 百万遍死になおしても

 白骨が泥土となり

 魂までなくなってしまおうとも

 君に捧げた一片丹心(ひたすらな忠誠の心)は

 消えるはずがあろうか」」(鄭夢周)


偉人社会のために生きる人です。偉大な発明家や科学者、冒険家、政治家など、特定分野において大きな貢献を果たし、世のため人のために役に立った人たちです。「天の時、地の利、人の和」というように「時運」を得た人たちでもあります。


善人近隣のために生きる人です。「好運」の持ち主であるとは言えるでしょう。


凡人=いてもいなくても影響がない人です。まさに「沈香も焚かず屁もひらず」(お香を焚いて芳香を放つでもなく、臭い屁を放って悪臭も立てない)といったところで、可もなく不可もない人のことです。


悪人=自分のために生きる人です。「憎まれっ子世にはばかる」という言葉があるように、悪運が強い場合もあります。


「幸運を願ってもよい。しかし、幸運に頼ってはならない。」(ユダヤのことわざ)

「幸運に頼っているだけではいけない。幸運に協力しなければならない。」(ユダヤのことわざ)



「運がいい人」といつも一緒にいましょう。


「運がいい人」「逆境の哲学」(向上心・忍耐力・吸収力の3能力、自己分析の技法、「時」に対するカン)を持ち、「たくさんの人からの助け」(発展的人間関係の構築)が得られ、「出会い」(「一期一会」、意味・意義)を大事にする人と言ってもよいでしょう。

 例えば、「経営の神様」松下幸之助なども死ぬ前に慈善事業へ500億円寄付したことで知られます。松下幸之助は人相は決していい方ではありませんが、「自分はとても運がいい」と確信し、「経営者が単に自分の会社の利益だけを考える態度は本来的に間違っている。企業の存在する社会や国家、国際社会との共存共栄を抜きにして企業の繁栄はありえない。ビジネス活動を通じて社会の平和と幸福を実現しよう」と事業を進めたことに特徴があります。ちなみに松下幸之助は採用面接試験時に「あなたは運がいい方ですか?悪い方ですか?」と訊ね、「運はいい方です」と答えた人を優先的に採用したことがあると言います。萩本欽一も弟子を採用する時にやはり「自分は運がいいと思うか、悪いと思うか」と聞き、「運がいいと思う」と答えた人を採ったそうです。なぜなら、「運が悪い」と思っている人はせっかくチャンスがめぐってきても、それをモノにすることができないからであるというのです。「運も実力のうち」ということですね。


発展型の性格の三要素「忍耐力」「吸収力」「向上心」の3つが揃えば、「発展型の性格」が生まれます。孤独でもさえなくても実績ゼロでも耐え抜ける「忍耐力」のある人、誰からでも学ぶことが出来る「吸収力」がある人、今の自分ではダメだと感じていたり、「こうなりたい」という思いが強い「向上心」がある人は、「逆境」の中でも最終的には「発展」していく人達です。

 例えば、よく現状からの逃避のために未来の自分を過信することがありますが(「今年はもう時間がないから、大学受験は来年に回そう」「2年かけたら出来ると思う」)、「未来の自分の可能性の根拠は今の自分にしかない」という厳然たる事実を心に留めておくべきです。今、確実な一歩を踏み出していない人は、1年後だろうか、2年後だろうが、千里先のゴールには間違いなく到達していないのです。

 今現在の状況をきちんと分析し、限られた時間を有効に使うべく、優先順位をつけ、最大限努力するという「今の自分にできる限りのこと」をできない人が、時間が経てば自然にできるようになることなどあり得ません。「今の自分にできる限りのこと」をしている人であるならば、力及ばず、目標達成ができなかったとしても、それ以上のことはできないので、止むを得ないこととして納得することができます。少なくとも「やれるだけのことはやった」わけですから、「後悔だけはしない」ことになります。そして、こういう人ならさらに時間をかければ、より少ない時間の中ではできなかったことも、達成する可能性があると言えるのです。

  「座して死を待つより、いさぎよく打って出るべし」と兵法学でも言いますが、「やるべきことをやり切ってダメなのか」、それとも「ただ何となく今までの延長でやっぱりダメなのか」は、同じ「ダメ」でも次につながる可能性の有無が違うのです。やるだけやってダメな人なら、別な勉強・仕事・目標なら成功することがいくらでもあるでしょう。やるべきことをやってもみないでダメな人なら、何をやってもダメでしょう。それはやるまでもないことです。


「性格分析」から「性格転換」へ「性格」「言動」(言葉と行動)→「生活」「運命」というパターンが「人」を作ります。「固有の運命」には「固有の生活パターン」が伴っていることが多く、金持ちには金持ちの生活パターンが、貧乏人には貧乏人の生活パターンが、人から好かれやすい人には好かれやすい人の生活パターンが、孤独になりやすい人には孤独になりやすい人の生活パターンがそれぞれあるものです。例えば、「金持ちはケチ」なのではなく、「ケチだから金持ちになれる」のです。そして、「生活パターン」「特有の言動」を伴いやすく、「言動」には「性格傾向」が反映されやすいのです。したがって、端的に言えば、「運命とは性格である」「性格を変えれば運命を変えることが出来る」とも言えるのです。「性格」の3要素は「知」「情」「意」であり、それぞれの特質や比重の違いが「個性」として現われるので、「性格分析」「タイプ論」から始まり、「性格転換」「知的アプローチ」「情的アプローチ」「意的アプローチ」の3つを駆使することとなります。「性格転換」に必要なのは「プラス言葉の使用→希望の発見→確信の強化」「家庭的基本関係の充実(修復・充足)」「苦手なこと・やったことのないことに取り組む」の3です。


「時」に対するカン~重要なことは「物事の変化」「機」と言います)の中に端的に「時の変化」(2つ合わせて「時機」と言います)が現われ、それを読み取る「カン」「直感」「直観」が磨かれる必要があるということです。「小さな時の訪れ」を敏感に察知出来るようになると、「大胆な行動」も可能になります。逆に「時の変化」に鈍感なままであれば、「時」が過ぎ去ってみてチャンスを逃してみて、失敗してみて初めて悟ることとなるでしょう。


発展的人間関係の構築「人間関係は人間関係でしか買えない」と言われるように、親子関係や友達関係、男女関係などで傷を負った場合には、同じように親子関係・友達関係・男女関係で修復・充実をする以外に道がありません。ただ、不思議なことに、父親との関係が悪い人なら「父親的存在」「父親との関係を修復するための人物」というように、「必要な時に必要な人」と出会っていることが多くあり、こうした「出会いの意味」「出会いの必然性」(これがすなわち「縁」です)を見抜けないと、チャンスを流してしまうことになってしまうのです。そして、「人間関係転換」に必要なのは「聞き上手→質問上手→議論上手」「やり直し・元返し」「恩返し+悲劇の連鎖の断ち切り」の3です。


「出会い」の重要性「決定的な出会い」「飛躍の原点」も、最初は「小さな出会い」「小さな変化」「小さな第一歩」に過ぎません。ここで重要なのは「啐啄」(そったく)という概念です。卵の中のヒナ鳥が殻を破ってまさに生まれ出ようとする時、卵の殻を内側から雛がつつくことを「啐」といい、それに合わせて親鳥が外から殻をつつくのを「啄」と言うのですが、雛鳥と親鳥が内側と外側からつつくタイミングが一致することで、殻が破れて中から雛鳥が生まれ出てくるわけです。生まれる瞬間が分かるのは親鳥であり、その時に殻のどこが薄くなるかを分かって、そこにヒナ鳥を誘導するのです。これが人生の「節目」であるような「時」が来た時、しかるべき「場」に誘導するのが「天」(神)であり、だからこそ「天運」という言葉が出てくるのです。




3 章 誰にでもできる!人間関係の工夫

~ちょっとしたコミュニケーションのスキル・アップが「平凡人」から「一目人」への第一歩~

1 )聞き上手になると世界が変わる。

「話し上手」になるのは難しいが、「聞き上手」には誰でもなれる。

 ちょっと想像すればすぐに分かるように、「話し上手」になることは簡単なことではありません。相手の興味、関心、教養などに応じて話題を提供し、ユーモアやウィットも利かせてとなれば、誰もが尻込みしてしまうことでしょう。友達同士の何気ない会話ならまだしも(それでも友達に「ウケ」たければ努力が必要になります)、目上の人や社会的地位のある人、異文化圏に属する人を相手にするとなると、これは大変です。アメリカの女子高の中には、わざわざ「テーブル・トーク」(食卓での会話)を学ばせる所すらあると言いますが、それぐらい場を盛り上げること、相手を喜ばせ、心をつかむことは訓練・練習が要ることだと言えるでしょう。

 実際、桂三枝さん(現在は6代目桂文枝さん)や黒柳徹子さんといった座談の名手には、明らかに常人と違う何かがあるのです。昔は大きなイベントの司会をする人などは、三枝さんのビデオを見ながら研究していたものですし、なぜか「徹子の部屋」ではつい本音を話してしまうという芸能人は少なくありません。明石家さんまさんも女性に楽しくおしゃべりさせることにかけては天才的ですが、オフレコ中でも出演者を笑わせるサービス精神旺盛な人でもあります。そう言えば、毒舌家のビートたけしさんも映画「戦場のメリークリスマス」に出演した時、休憩時間にはいつも俳優さん達が集まってきていて、彼が冗談を言うたびに皆で大笑いしていたと言います。外国人俳優もいっぱいいて、特に英語が出来るわけでもないのに、と見ていた人は不思議がっていたそうです。こうしたトークの天才達に対して、誰でも出来る、凡人でも出来る、今からでもすぐに出来る方法は何かというと、それは「聞き上手」になることです。

 例えば、インタビューの達人として知られるCNNの名キャスター、ラリー・キングさんはほとんどしゃべらないのに、どんなゲストからも本音を引き出し、相手をヒーローにしてしまうと言いますし、あるいは全米70業界のトップ・セールスパーソン312人に同行して、数年がかりでセールス・パフォーマンスを観察・分析して「高確率セールス」を確立し、全米に衝撃を与えたジャック・ワースさんも「成約するためには、商談において25%以上、セールス・パーソンがしゃべってはならない」と結論づけています。営業や接客など、対人的な仕事をしている人は是非、ワースさんの『売りこまなくても売れる!説得いらずの高確率セールス』(フォレスト出版)を見てみましょう。ビックリしますよ。

 さらに名カウンセラーと呼ばれる人でも、決して能弁ではなく、むしろ訥々として、話している途中にもゲーゲーしたりして、「この人、ホントに名カウンセラーなの?」と思っているうちに、クライアントの方からいつの間にかぺらぺらしゃべり始め、しまいには「こうなんですよね、ああなんですよね、でもこうしなくちゃいけないんですよね、分かっちゃいるんですよ、そうですよね。じゃ、こういう風にしていきます」と自分で答までしゃべってしまうことすらあると言います。まさに「聞き上手、恐るべし」ですね。早速、今日から試してみましょう。



相手の得意分野と人生経験に学ぶ

 では、何を相手に聞けばいいのでしょうか?これは簡単です。相手の「得意分野」「人生経験」を聞けばいいのです。自分にそれほど「得意分野」が無くとも、大した「人生経験」が無くとも、一切関係ありません。大体、自分の得意な分野、専門分野というものは、機会さえあればその知識や経験、実績を語りたいもので、ただ往々にして関心を持つ人が限られてしまうため、しゃべる機会があまり無いというものなのです。したがって、その分野は歴史でも法律でも哲学でも何でもいいわけで、業界人なら出版でも金融でも教育でも何でもありです。必要なものは「教えを請う」という基本姿勢と旺盛な好奇心だと言えるでしょう。どんな人間、テーマからでも学ぶ内容はあり、聞いてソンするということはありません。「こういう世界もあるのか」と思えばいいのです。18歳にして「株」の「か」の字も知らず証券会社に入社し、若干26歳にして「スーパー・トレーダー」と呼ばれるようになった若林史江さんも、証券業界の先輩達に何時間でも喰らいついて多くを学んでいったと、『株が好き♪』(アスペクト)に書いています。この本を読めば、同時に多くの先輩達がこの若林さんを可愛がり、教え育てていったことが分かります。

 もう一つ、聞いてトクするのが「人生経験」です。大体、自分一人で経験できることなど限られていますが、聞く耳さえ持っていれば、一人で経験し得る何倍、何十倍もの人生経験を吸収することが出来るのです!人によっては30年もの濃密な人生経験のエッセンスをわずか3時間で語ってくれたりするので、これを聞かないわけにはいかないでしょう。この人は普通の人の2倍、3倍の人生を生きているんじゃないか、というような人がいるものです。こういう話をいっぱい聞いていると、誰かが困っている時に「ああ、あの時聞いたあの話が参考になるかな」と、「実は知り合いにこういう人がいるんだけどね」といくらでも話をしてあげることが出来るのです。自分は何も経験したわけでもないのに、「知り合いの話」ということで無限に「経験の蓄積」が拡大していくわけです。

ちなみに実践マーケッターとして著名な神田昌典さんは、外国人のビジネス・パートナーと短時間で信頼関係を築く方法として、「相手の子供時代の家庭の話」を聞けば、たった15分で人間関係は異なるレベルにシフトすると述べています。大体、幼少期のことを聞いてくれる人は滅多にいませんよね。もちろん、いきなり切り出すとヘンですから、過去に少しずつ遡っていき、子供時代の話、「生い立ち」に至っていくわけです。「生い立ち」の話をすれば、人は急速に親しくなると言うのです。過去の傷口を開いてしまう危険性がある場合には、「子供の頃、一番楽しかったことは何?」という質問をして、楽しい話題に切り替えるそうです。神田さんの『お金と英語の非常識な関係(上)(下)』(フォレスト出版)にはこうした人間関係構築法に限らず、目からウロコの情報がつまっていますから、是非、読んでみましょう。



「ハ行変格活用」と「すごいですね!」は万能兵器

 実は、具体的に相手から話を聞く上で、万能兵器とも言うべき効力を発揮するフレーズがあります。それは「はぁ~」「へぇ~」「ふ~ん」「ほぉ~」といったいずれもハ行のコトバで、これをまとめて「ハ行変格活用」と呼びます。日本語人なら中学校時代に国語で文法を習い、「カ行変格活用」や「サ行変格活用」を学んだことと思いますが、実際に社会生活で役に立つのはむしろこの「ハ行変格活用」です。「国語文法」ならぬ、「社会文法」と言ってもいいかもしれません。

 「政界きっての人間通」「人間関係の達人」と言われた竹下登元首相も、口グセは「ほーっ」「なるほど」「さすが」「なんと」「まさか」だったと言います。新人議員であれ、中堅議員であれ、はたまた野党議員であれ、竹下さんと話していると、ついつい気分が良くなってしまったようです。少なくとも悪い気はしませんよね。あまり下手な相槌は会話をシラけさせてしまいますが、会話の流れに沿った反応は、相手を喜ばせ、「もっとこの人のためにしゃべってあげよう」「大事なことを伝えてあげなきゃ」という気にさせるので、身に付けていきたいものです。これについては、近藤勝重さんの『人のこころを虜にする〝つかみ〟の人間学』(新潮文庫)にいっぱい具体例が出ていますので、是非、目を通しておきましょう。これが自然な反応になるためには、相手の話すことに関心や意識を持つことから始めなければなりませんが、実際に自分からしゃべらなければならないことはそんなにないのです。素直に感動し、驚き、「すごいですね!」とそのまま褒めてあげれば、「聞き上手」に磨きがかかるというものです。



2 )疑問・質問がコミュニケーションを発展させる

何でもうのみにするとそこでおしまいになる

 その道の「第一人者」とか「専門家」とか、いわゆる「権威」のある人の話を聞くと、そのまま「そうか」と思ってしまう人がいますが、それだと聞く方も話す方もそれ以上の発展がありません。「本当にそうなのか?」「これはどういうことだろう?」「これは間違っているんじゃないか?」などと感じつつ、考えつつ、「質問」をすることが大切になってきます。実は「コミュニケーションの達人」「会話の達人」と言われる人は「質問の名人」でもあるのです。単なる「聞き役」なら一方的に話を聞くだけですが、「聞き上手」はいくらでも話が発展していく術(すべ)を知っている人であり、そのカギは「質問上手」にあると言ってもよいでしょう。

 例えば、高校中退した人が16歳でアメリカの大学に入学したとします(実際にいます)。この話を聞いた時にすぐに浮かぶのは、「えー、何で高校中退してそのままアメリカの大学に行けるの?」「16歳っていったら、アメリカ人だって飛び入学じゃん!その人、そんなに優秀なの?」といった疑問でしょう。早速、質問するわけです。すると、「あー、大検(現高卒認定)受けたのか」「コンディショナル・スチューデント(条件付学生)という制度があるのか」といったことが分かります。すると、次の疑問が「大検(高卒認定)って海外でも通用するの?」「誰でもコンディショナル・スチューデントになれるの?」という風に出てくるので、どんどん質問です。「おー、文部科学省に言えば、英文証明書を発行してくれるのか」「アメリカでも東部・中部・西部と違いがあって、特にカリフォルニア州とかはいろいろと実験的な試みをしているのか」といったことが分かってきます。すると、「アメリカに限らず、イギリスでもカナダでもオーストラリアでも条件は同じなのか?」とか「大学受験の手続きは一体どういう流れになるんだ?」とか疑問が疑問を呼び、次から次へと質問が生れてきます。「それで?それで?」と興味津々、目を輝かせながら、質問を重ねていけば、答える方も自分の経験や見聞、知識の全てを総動員して喜んで答えてくれるでしょう。これはお金では買えない貴重なプレゼントをいただいていると言ってもいいかもしれません。



素朴な疑問を大切にする

 ところで、質問するにしても、「こんなこと聞いたらバカにされるんじゃないか?」とか「自分が何も分かっていないことがバレちゃう」などといった不安が起きたりするものですが、ここは「素人」に徹しましょう。「何も知らない立場」「その場で始めて聞いたこと」として、1から10まで質問する」つもりでいるのです。アメリカの新聞なども「全く知らない人」を想定して、1から10まで説明することを基本としています。しかも、1回2回聞いたぐらいでは理解できないことの方が多いのですから、何度も質問しましょう。「ごめん、これ、前も聞いたんだけど、やっぱりよく分かんない。結局、どういうこと?」と聞けば、「しょうがないなあ~」などと思っても、それでもまた説明してくれるでしょう。

  問題なのは「分かったような気になる」「分かったフリをする」ことの方です。相手は当然理解してくれたものと思いますから、それを前提として話を進めていってしまいます。大体、「素人」ならいきなり新しい話を聞いてすぐに本質を理解できるわけないじゃないですか。むしろ素人ならではの「素朴な疑問」を大切にして、相手に率直に質問した方が、答える側としても「ああ、これは当然だと思っていたけどそうじゃないんだ」「こういう風に説明しても分かりづらいんだ」ということが分かるので、図に描いてくれたり、例え話を交えてくれたり、あれこれ工夫する余地が見えてくるのです。相手にとっても勉強になるので、教えてもらう立場でありながら、相手にプラスを与えることも出来るわけです。

 大体、偉大な発明・発見というものも、稀代の叡智を結集して、というよりは、素人の素朴な疑問から始まっていることが多いものなのです。

ところで、「素朴な質問」「鋭い質問」ともなり得ます。例えば、数学の質問で「どうして、三角比の単位円ではx軸とy軸にそれぞれ1を取るんですか?」と言ったとすれば、「おー!いい質問だ」といった反応が返ってくるかもしれません。なぜなら、この質問をした人は「単位円」というスーパー・アイデアの1つを理解する入口に立っていることが分かるからです。「教える心」に火をつける質問と言ってもいいかもしれません。


「そりゃあねえ、こうして角度θを置くと、三角比の定義からcosθはこうなってx座標になるでしょう。それでsinθはy座標になるじゃん!」

「???」

「だからさあ、分母が1になるでしょ、それでさ、こうなるじゃん!」

「何でそんなに突然、テンション高くなるんですか?」


 実に「いい質問」は「答そのもの」と表裏一体なので、「いい質問」は相手の心に響いてしまうのです。アインシュタインは「もし私が1時間後に殺されるとしたら、最初の55分間は、適切な質問を考えることに費やすだろう」と言ったそうです。聞く人が聞けば、「質問」の内容だけで、今どこまで分かっているかはもちろん、これから伸びるかどうかまで、手に取るように分かってしまうものなのです。



問題意識や興味を持つと、会話が深化する

 「スピーチや講演をして聴衆を眠らせる名人」という人がいます。要するに話がつまんないので、みんな寝ちゃうということですね。逆に「どんな話を聞いても絶対寝ない」ことを自慢にしている人もいます。何だか、「矛と盾」の話みたいですが、後者の人に言わせれば、コツは「話の内容に興味・関心を持つこと」だそうです。授業中とか大事な会議の場だとか、応用が利きそうですね。同様に会話でも問題意識興味・関心を持つと、「ただの話」が「自分にとって意味のある話、関係のある話」となるので、疑問・質問が生れるようになるのです。幕末の教育家吉田松陰も「本は自分に引き付けて読め」と指導していましたが、実は会話もそうなのです。

 実践マーケッターの神田昌典さんは、フォトリーディングという驚異的な速読法の公認インストラクターでもありますが、「私に言わせれば、読書というのは、本の情報を正しく理解して、それを活用するために行なうのではない。むしろ、本の情報を刺激として、既存知識を結び合わせて、自分自身の思考体系の中で活用するためだ」と喝破しており、これは会話でも同様のことが言えるのです。ちなみに神田さんの『お金と英語の非常識な関係(下)』には、初めて読む432ページもの洋書をわずか3時間で読了し、しかも概略をつかんで必要な情報を的確に引き出すという驚くべき実例が紹介されています。

 単に相手の知識・経験・考えを吸収するというだけでなく、むしろそれを媒介として自分の知識・経験・考えを再編成・再活性化するのです。会話のキャッチボールの中では、聞く側の知識・経験・考えの再編成・再活性化が往々にして、今度は話す側の知識・経験・考えの再編成・再活性化につながっていくものです。こうなったら、双方がこのコミュニケーションから実に多大なものを得ることとなります。

 同じように相手から聞いているように見えて、ただの「聞き役」に終始している人と、時々ほんのわずかな質問を交えて、どこまでも会話が発展し、話している側、教えている側も「君と話せてよかった!」「今日はいい時間をありがとう」とつい言ってしまう人の差は何かというと、心の中、頭の中にあるのです。

 では、どういう問題意識、興味・関心を持てはいいかというと、これはそれほど難しい話ではありません。要は「人間そのものに関心を持てばいい」のです。「人間を好きになる」といってもいいかもしれません。例えば、歴史に関心があるとしても、歴史は結局「人の営みの集積」と言ってもよく、科学などでも科学上の様々な発明・発見をしたのは「人間」に他ならず、あるいは「金もうけ」を目指している人なら、やはり「貧乏人から出発して金持ちになった人の体験談」に学ぼうと思うことでしょう。要するにあらゆる学問・分野・仕事は全て「人間のなせる業」なのです。



3 )相手のプラス反応に敏感になろう。

「何を話すか」ではなく、「相手がどう反応するか」が大事。

 自分が好きなことになると、突然、話に力が入って、相手がどこまで理解しているかもお構いなく喋っている人がたまにいますが、相手の「寒さ加減」「ドン引き度」が分からないと、コミュニケーションが次第に薄くなっていくことは容易に想像されます。「オタク」であることは個人の自由なので全然構いませんが、それを表現する時には、相手の「反応」を見極めなければなりません。大体、コレクターとか趣味に熱中している人とかは何がしかオタク的です。

 ただ、ここで重要なことは「マイナス反応」に敏感になることも大事ですが、それ以上に「プラス反応」に敏感になる必要があるということです。話題が豊富で人を喜ばせることが得意な人でも、決して100発100中なのではなく、日常的に「ネタだめし」を行なっているのです。家族や友達との会話の中で、「これ、おもしろいよな~」と思いつつ話してみて、「あれ、思ったほどウケないな~」とか「やっぱ、笑うじゃん!」とか、相手の反応を見ているわけです。

 さらに人前でしゃべることが最初から得意な人はいませんが、こうした「ネタだめし」を頻繁にしている人は予行演習をしているようなものですから、「これとこれで仕掛けてみよう」と考えます。いわゆる「聴衆の心をつかむスピーチ」というものも自然にそうなるのではなく、「そうしよう」と思っているからそうなるのです。もちろん、「想定の範囲外」でウケることも外すこともあるわけですが、それもまた1つの「ネタだめし」となって、「次こそは」と場数を踏んでいくのです。

 実は「話す自分」「しゃべる自分」と共に「それを客観的に見る自分」が必要なのであり、いわゆる「ボケキャラ」の人も最初からそうなのではなく、「ボケた時に皆が笑ってくれた」というプラス体験が何度かあったから、「自分はボケキャラ路線で行こう!」と決めたのです。まれに正真正銘の生まれつきと思われる人もいますが。客観的にボケている自分を見て、「自分から見てもおもしろいじゃん」という見方がちゃんと出来ているからこそ、安心してボケていられるのです。さらに相手の反応をフィードバックさせて、ボケを洗練させていくのが本物でしょう。

 ちなみに相手の「プラス反応」に注目することは、営業でも重要です。営業はビジネスの基本なので、誰もが経験すべきですが、そうかといってすぐに売上が作れるわけもなく、実績の前にはその何十倍もの否定を覚悟しなければなりません。ひどい言葉を投げかけられたり、成約まであと一歩のところまで迫りながら、「やっぱり今回はいいです」となることもしばしばです。そこでお客の「マイナス反応」をいつまでも引きずって、「ああ、何で売れなかったんだろう?」「どこが悪かったんだろう?」と落ち込むわけですが、これが何十件も続くので、メンタルがやられます。実は売上をコンスタントに出している人は、お客の「マイナス反応」には目もくれず、「プラス反応」にのみ注目して、「どうして売れたんだろう?」「ここが響いたのかな?」などと考えていたりするのです。

 例えば、ある車のセールスマンが駆け出しの頃、何か月も全然車を売ることができず、絶望の余り、自殺まで考えたほどですが、やっとこさ売れた時のことを振り返ってみると、大体「150回に1回」の割合で車が売れることに気づきました。それで、それまではお客の「マイナス反応」を食らうたびに「どうして売れないんだろう、あ、また売れなかった、また今度もだ」とばかり思っていたのが、149回のノーを通じて、1回のイエスが現れる」(これをプロダクション・ラインと言います)ことに気づいてからは、逆に「早く149回断られないかな」と「ノー」を待ち遠しく思うようになったというのです。プラス反応に注目していくと、マイナス反応も肯定的に受け入れられるようになり、ベスト・セールスマン、スーパー・セールスマンとして知られるようになったのです。

 あるいは、65歳にして無一文状態から再出発したカーネル・サンダースも、1009回断られて1010回目に契約にこぎつけ、ケンタッキー・フライドチキンを創始しました。現在では世界中で約2万店舗に拡大しているのですが、彼もそれまで自分のフライドチキンを「おいしい!」と言って食べてくれた人達の「プラス反応」が絶対的自信の根拠となっていたのでしょう。



「笑ってくれた」「面白がってくれた」体験の積み重ねが自信につながる

 友達同士の会話でも、人前でのスピーチでも、偉い人との座談でも、「失敗」は付き物ですが(失敗にめげないことも大切ですね)、心の支えや自信になるのは「笑ってくれた」「面白がってくれた」体験に尽きるといっても過言ではありません。やはり、人間の本心に「人を喜ばせよう」とか「人の役に立ちたい」という気持ちがあるもので、自分がしゃべったことがウケて、相手が涙を流して腹をよじりながら笑っている姿を見たりすれば、やっぱりうれしくて仕方がないものです。逆を考えれば分かりますね。「人を悲しませてやろう」「人のお世話になろう」とか普通の状態ではなかなか思えないものです。これにはまってしまえばお笑い芸人の道となりますが、そこまで行かなくても、この体験を積み重ねることは自分の人格・性格に対する自信になっていくのです。逆にこうした体験が乏しいと、「自分は楽しい人間じゃない」「友達もそんなにいないし・・・」「暗い人間だから何やってもダメだ」とか思うようになり、心も人間関係もマイナス・ベクトルになってしまうのです。

 さらに「自己肯定体験のイメージをふくらませる」といったやり方もあります。これは、どんなに小さなことであっても、自分のことをほめてくれたり、認めてくれたりするとうれしいものですが、その時のイメージを何度も思い描いて、情的追体験をするというものです。悲観的な人は逆に自己否定体験のイメージをふくらませて、「やっぱり自分はダメだ」と考えてしまいがちです。1人でニヤニヤしている人は何がしか思い出し笑いをしているものですが、実は心の中でこういったイメージを反芻(はんすう)しているわけです。こういうタイプの人は「自己修復力」があるので、意外に傷つきにくいものです。周りからヘンな人と思われるのも困りものですが、根底に「自己肯定」があるか「自己否定」があるかは、表情に表われるどころか、心身全体に大きな影響を及ぼすのです。

 ちなみに「自己否定」が行き過ぎると「自己憎悪」になります。この点で鋭い洞察を示したのが心理学者のエーリッヒ・フロムです。彼はナチスを受け入れていったドイツ民族の集団心理の分析でも卓抜したものを示しましたが、その一方で酒や麻薬、異性関係に溺れる人の心理構造に関して、彼らには「自分がかわいい」「自分の欲望のままに好きなように生きている」といった「自己愛の心理」どころか、その根底に「自己憎悪の心理」があることを見抜いて、世の人々をアッと言わせました。実際、こういう人々は、「分かっちゃいるけど止められない」状況にありますが、これこそ顕在意識・表層意識・理性では理解していても、潜在意識・情念の欲望に勝てないという状態です。その根底には「こんな自分なんかどうなっていいんだ」という「自己憎悪」があるというのです。もしも自分を本当に大切にする気持ちがあれば、欲望に流されてダメになっていく自分をそのまま放っておけないはずですが、そこで投げやりになってしまっているわけです。



自分の全てを出してはいけない

 ここで注意しないといけないことは、「自分の全てを出してはいけない」ということです。「あれ、何でも腹蔵なく話せるっていうのがむしろいいんじゃないの?」と思うところですが、「自分の持っているもの」を全て出してしまうと、文字通り「カラッポ」になってしまうのです。大体、何から何まで全部しゃべってしまうのは、「自分の全てを分かってほしい」という思いがあるからで、そうではなくて、「自分の全てを分かってもらう必要はない」と割り切ることです。これは「諦める」悟りの一種と考えましょう。

 例えば10枚のカード(内容)を持っているとして、一度に10枚全部を出してしまえば、自分の底を最初からさらけ出してしまうのと一緒ですが、1枚ずつ要所要所、節目節目で切っていけば、「あれ、こんなことも出来るの?」「えっ、こんなことまで知ってんの!」となり、「一体、何枚カードを持っているわけ?まだあるの、もっと続くの?」と自然に思ってしまうのです。

 大体、「自分はすごいんだぞ!」とか思っているような人の話を聞きたいと思います?聞きたくないですよね。「勝手に一人でやってれば」と思うのが自然です。ところが、普通の人だと思って何気なく聞いただけなのに、「え、ウソ、何この人?この知識、何?」というような答が返ってくると、思わず「じゃ、これは?これはどうなの?」と思わず聞いてしまいます。「期待」がいい意味で裏切られる時、そして、その差が激しければ激しいほど、人の心は惹き付けられてしまうのです。逆に期待度がすごく高いと、実際にその期待を大きく上回るものが感じられないと、落胆が大きくなってしまいます。

 いわゆるスーパー・モデルや売れっ子歌手が映画やドラマに出た時、「声がそんなにかわいくない」とか「演技がヘタ」とかボロくそに言われやすいのはこのためです。実際に実力やレベルがひどいのではなく、期待が元々高すぎるために失望感が生まれてしまうのです。「低い期待」に対して、「それをはるかに上回る結果」を出して「意外感」を与えるのが人間関係のコツでもあります。

 ところで、中には「間」が耐えられないという人もいます。こういう人は沈黙を恐れるあまり、「何かしゃべらなきゃ!」という強迫観念にかられて、頭に浮かんでくること、知識として持っていることなどをべらべらと1から10までしゃべってしまいます。自分の話していることに意識が行き過ぎて、相手が言っていることに意識が行かないことすらあります。ところが、お笑いの大御所達が強調するのがまさにこの「間」なのです。「間」があるからこそ、相手がイマジネーションを働かせる時間が取れ、期待感が高まってくるので、それをわざとズラしたりして、笑いに変えることができるわけです。

 何から何までしゃべりすぎると、相手の想像の余地が無くなってしまい、さらには相手の話している最中にも割り込んで、「話の腰を折る」といったこともしばしば起こってきます。ここは一般的にはよく、「一拍待て」「0.8倍速でと言われるところです。



4 )一撃必殺のコトバ術。

ハッとさせる一言で相手の心をつかむ練習をしよう

 ある日のことです。ある男性が同僚の女性とその友達を車に乗せて駅まで運んであげました。男性が運転しながら自己紹介をすると、同僚の女性の友達さんは「キクチと言います。今日は本当にありがとうございます」とお礼を言いました。男性は「へー、キクチさんは水ですか、土ですか」と言うと、キクチさんは「土です」、男性は「ああ、そうですか。実はボクの身内もそうなんですよ~。奇遇ですねー」と答え、初対面なのに妙に盛り上がっています。ところが、同僚の女性さんはチンプンカンプン、一体何の会話がなされているのかサッパリ分かりませんでした。皆さんには分かりますか?

「水」とか「土」っていうから、西洋占星術のエレメントかなとか、気学の一白水星とか二黒土星とか、ああいう占いかな?とか思うかもしれませんが、それは考えすぎです。男性はキクチさんに「菊地」ですか、それとも「菊池」ですかと聞いたのです。キクチさんは今までに何度も「地」なのか「池」なのかという質問に出会ってきていますから、男性の話を聞いた瞬間、意味が分かったので、「菊地の方です」と答えたのです。すると、男性は自分の身内もそうだと言うわけですから、「同じ一族じゃん!」みたいな親しみが出たわけですね。

「土」だの「水」だの言っているだけですから、別にこれ自体、何ということのない会話ですが、このキクチさんは初対面であるにもかかわらず、この男性に対して好印象を持つでしょう。「この人は何か違うな」と一目置くわけです。この男性は特別、「自分はこういう仕事をしていて、こういう人間で・・・」とか一切言っていないのにです。実は「人の心をつかむ人」というのは決して「話し上手」な人ではなく、「ハッとさせる一言を放つ人」なのです。

 ちなみに人の心を「つかむ」上で欠かせない「言葉」ともなり得るのが「名前」です。「名前」その人を端的に表わすものであり、一番簡単な「アイデンティティ」と言ってもよく、「自分の名前を覚えてもらった」ということは、「相手の心・意識・記憶の中に自分が入った」「自分を受け入れてもらった」ことを意味するので、実に大きな意味を持つのです。

 例えば、教育実習に行った先生の卵達は、受け持ったクラスの名前を覚えるのに躍起になりますが、大体「顔」と「名前」が一致するのに2週間ぐらいかかるのが普通です(昔はこれで実習期間が終わっていました)。しかし、賢明な人は「最初が肝心」だと分かっていますから、前日までに写真と名簿を使って全ての生徒の名前をフルネームで覚えるのです。そして、第一日目の出席簿を読み上げる時に、1人1人フルネームで呼んで顔と名前を必死で一致させます。そして、一巡した後に、もう一度1人1人の顔を見ながら、ゆっくりフルネームを呼んでいくのです。すると、クラス全員を呼び終えた時、生徒はびっくりして「今、名前を呼んでいるうちに全部覚えたのか!」とその教育実習生に一目置くようになるのです。「この先生は何か違う」と。少なくともこの人が実習期間中にナメられるなどといったことは一切起きなくなるでしょう。

あるいは大学の合同サークル合宿などで、初めてのメンバーが30人も40人も集まる場合の進行役の人が使う方法で、「自己紹介ゲーム」といったものもあります。これは一番最初に行うもので、皆に輪になって座ってもらい、1人1人名前をフルネームで言った上で自己紹介をしてもらうのですが、2人目の人は「織田信長さんの隣の豊臣秀吉です」といった風に紹介をするのがポイントです。3人目の人は「織田君の隣の豊臣君の隣の徳川家康です」という風に続きます(いずれも本名でやるんですよ、ここでは例で出しているだけです)。こうして10人くらいになると、皆、覚えきれなくなって、指で何度も手になぞったり、いろいろな努力をしてきますが、ここで進行さんが「ハイ、徳川家康君だよー!みんな、覚えたー?」とか「織田君の隣の、豊臣君の隣の、徳川君の隣のォ…」とか大きな声でサポートしてあげます。そして、30人なら30人、40人なら40人(これくらいが限度でしょう)、全員が一巡してやっと最後まで終わったら、最後の1人である進行さんが、「では自分の番ですね」と言って、「織田信長君の隣の、豊臣秀吉君の隣の、徳川家康君の隣の、・・・・○○です!」と全員の名前をフルネームで呼び上げて、最後に自己紹介をするのです。この瞬間、全員が「この自己紹介の間に全員の名前をフルネームで覚えたのか!」とビックリします。もう、この合宿期間中、進行さんの言うことを聞かない人は1人もいないでしょう。「この人は何か違う」と最初に思うからです。何のことはない、進行さんのやったことは前の日に名簿を手に入れて、必死に覚えただけなんですね。「名前を覚えただけ」で、何の特殊な技術も使っていません。簡単なことですが、まとめ役をする人にとってはありがたい、そして効果絶大の方法なのです。



「つかみ」は最初(アタマ)で決まる

 これはセールス・パーソンなど対人・接客の仕事をしている人にとっては「鉄則」と言ってもいいものです。よく3分以内につかめ」とか「出会って3秒が勝負だ」とか言われるわけですが、その所要時間はともかく、「最初」が肝心であることは間違いありません。そう言えば「巨人の星」の星飛雄馬も、「しょっぱなからドバーンと出ばなをくじくに限る」と言っていましたね。なぜなら出会いがしらの「第一印象」はその会話の80%を決めるほどの比重を持つからです。

 しかもこれは必ずしも「コトバ」「会話」とは限りません。人によっては握手1つ、お辞儀1つで「おっ、こいつは」と思わせてしまいます。若きアントニオ猪木さんなどもこういう人でした。あるいは同僚や友人でも、用事があって会った時に、満面に笑みを浮かべて、「おー、待ってたよ~。いやー会いたかった。さ、さ、こっち、こっち。ほらほら」とか言われると、「あれ、何かな?」とか思いつつも、何だかうれしくなってしまいます。何か自分が大事にされているような、期待されているような感じを受けるからです。もちろん、それが単なる社交儀礼なら、むしろイヤな気分になりますが、本当にそう思っていることを素直にストレートに表現されると、うれしいような恥ずかしいような気持ちになるものです。知らないうちに心がつかまれちゃっているわけですね。

最初に大声&ビッグ・スマイルで「よろしくお願いしまーす」「おはようございまーす」と言ったりしてつかみをかけ、これだけで面接試験で合格が決まった人も実に多いのです。あるいは、お笑いコンビのアンタッチャブルはテレビ局内でも好印象を持つ人が多くいるとされますが、彼らは売れてからも売れる前と変わらず、誰と会っても「あざーっす!」(ありがとうございまーす)と大声で挨拶を欠かさないことも関係しているのでしょう。ガイダンスやセミナー講師が「今日、私のお話には3つのポイントがあります」「結論から先に話しますとこういうことです」とズバリ言ったりするのも、最初(アタマ)を取るために必要だからやっていることなのです。

 ちなみに全米ナンバーワンのセールスマンに対して、インタビューした有名なテレビ司会者が疑り深そうに聞いたことがあります。

「本当に何でも売ることが出来るんですか?」

「売れますよ。」

「じゃあ、私にこの灰皿を売ってみて下さい。」

「いいですよ、いくらだったら買います?」

「そうだな、1ドルぐらいかな。」

「ダン!(契約成立)」

 一瞬でつかんじゃってますね。



チラリチラリの気になる存在になる

 例えば、「会議」の場ならどこに座りますか?司会者・議長のすぐ側に座りますか?それとも一番遠い側に座りますか?ちょっと考えてみましょう。別に「会議」でなくても「ミーティング」でも「飲み会」でも何でもいいのですが、ポジショニングというものは意外に知恵がいるということを知って欲しいのです。

 大体、「会議」というのは楽しい場というよりは、深刻な内容が多くなりやすい場なので、座る場所には気をつけなければいけません。司会者・議長のすぐ側だとしょっちゅう意見を求められたり、あるいは何かの「言い出しっぺ」になってしまって面倒くさい責任を持たざるを得ない状況にもなりかねません。反対側でも真正面なら会議の間中、司会者・議長の視野の真ん中に入っていることになり、息が抜けません。これに対して一番いいとされるのは隅っこで、司会者・議長の視野から隠れる所、でも顔を出せば目に入る所が理想的です。もちろん、人によっていろんな意見があるでしょうが。厳しい内容が続く時は引っ込んでいましょう。笑いや冗談が出ている時は顔を出しましょう。そうすると、どうなるか。司会者・議長からすれば、時々チラリチラリと見えて、何となく気になる存在になるのです。ある意味ではリーダー的な「儒教」的生き方よりも、真ん中に埋もれていく「老荘」的生き方がいいと言っているみたいですが、これは思った以上に効果的なので、試してみる価値があります。ただ全く発言しないと完全に埋没してしまいますので、ボソッと一言、「おっ」と思わせる発言をすることだけに集中しましょう。それが出来たら、後はヒマなものです。

 通常の人間関係でもやたら出しゃばる人や「オレが、オレが」といったアクの強い人は敬遠されがちで、いくら実力があってもいい人間関係が築けるとは限りません。それよりも場を乱さず、しかし何かチラチラして気になるな~という存在を目指せばいいのです。これならそれほど肩肘を張る必要もなく、誰でも取れるスタンスと言えるでしょう。



5 )親友の作り方。

「友達の所に遊びに行く人」と「友達が遊びに来る人」

 不思議なもので、人間は「友達の所に遊びに行く」のが好きなタイプと、「友達が遊びに来る」ことが多いタイプとに分かれるようです。もちろん、「一人でいるのが好き」とか「群集の中の孤独がオレには似合うのさ」なんて人もいるでしょうが、一般的な友人関係としてはどちらかでしょう。これはどちらがいい悪いということではありませんが、「営業の達人」「人脈の達人」は一見前者的と見られるものの、実は後者的要素を強く持っていることに注目しましょう。

 前者的要素とは「マメに連絡を取る、出かける、訪ねる」ということになりますが、後者的要素とは自分は全然動かないのに、人の方が集まってくるという現象を指します。コミュニケーション・ビジネスなどでも、売上・収入が多い人は必ずしも必死になって走り回っている人とは限らず、逆に人の方から声をかけてくる「台風の目」「扇の中心」にいる人だとされます。経験者・成功者に言わせれば、ここに気づくとビジネスが劇的に転換するということです。

 あるいは、一般的な予備校や大学の学生寮などでも不思議と各階に何部屋か「たまり場」が出来てきます。何となく、そこに皆が集まっておしゃべりしたり、お菓子を食べたり、ああだこうだとやっているわけですが、人間の本心は「自分にとってプラスになるもの」をかぎつける、見分ける働きがありますので、その「たまり場」にはそうした「何か」があるということでしょう。何でも言いやすいとか、勉強出来るとか、居心地がいいとかいうことでしょうか。

あるいは「話題に事欠かない人」という人がいますが、実はこういう人は「人が絶えず話題を持ち寄ってくれる人」なのです。あちこち駆けずり回って情報を集めているのではなく、自分は全然動いていないのに、電話やら来客やらで人の方から情報を持ってきてくれるのです。

「金儲けの神様」と呼ばれていた邱永漢さんも、1時間1万円でビジネス相談を続けていたそうです。これほど忙しい人がこの値段で貴重な時間を割くわけですから、単に金儲けのためではないわけですね。大体、一昔前の「目指すぞ!大金持ち!」人間達はみんな邱永漢さんの本を読みふけったものです。その次の世代はナポレオン・ヒルさんやジョゼフ・マーフィーさん、今なら本田健さんや神田昌典さんといったところでしょう。邱永漢自身もたくさんのビジネスを手がけ、成功も失敗もたくさん経験してきた人ですが、それでもたくさんの相談を聞いて、実に勉強になったそうです。

 つまり、人間関係とはものすごく「能動的」な行為、すなわち努力して、エネルギーを注がないといい関係は作れないと思われがちですが、そうではなくて、充実するかどうかはきわめて「受動的」な行為がカギを握ると言えそうです。柔道でいろいろな技を覚える前に、まず「受け身」をひたすらやることや、強い人ほど相手の力をうまく受けて、流したり、自分の技に生かすのに長けていて、強引に真正面からの力勝負を挑んだりしないことと共通するでしょうか。



「ベスト・フレンド」は「一番の仲良し」、「親友」は「ソウル・ブラザー」

 「自分は誰からも理解されていない」という言葉はよく聞きますが、シビアに言えば、こういう人は「誰も本当に理解したことがない」人だとも言えます。「追いかけると逃げていくが、どうでもいいやと思うと寄ってくる」(まるで恋愛みたいですね)という逆説のごとく、「理解されたい、理解されたい」と思い続けていると全然理解してもらえないものですが、「自分のことはもうどうでもいいや。それより他の人を理解できるような自分になろう」と開き直って努力していると、不思議なことに自分を実によく理解してくれる存在にめぐりあったりするものです。これも「人間関係の妙」といったものなのでしょう。

 ところで、よく「親友は何人いますか?」と聞かれて困ってしまう人がいますが、その理由はこうです。「親友と言っても、どこまでが親友で、どこからが普通の友達かがよく分からない」。結論から言えば、こういう人は「親友」がまだいない人です。もちろん、「仲のいい友達」はいるのでしょう。そもそも漢字で「親友」と書くから「親しい友」に過ぎないのであって、英語で言うなら「ソウル・ブラザー」(この言葉には他にも意味がありますが)というところです。通常は「ベスト・フレンド」とよく訳しますが、これなら「一番の仲良し」という意味です。「親友」はむしろ、意味的には「心友」とか「真友」とか書きたいところですね。

  「特別な絆」「魂の結びつき」を持った「魂の兄弟(ソウル・ブラザー)」というのはなかなか言い得て妙です。「ブラザー」と言いますが、内容的にはシスターも含みます。「マン」と言って「人間」を意味するのと一緒です。よく「男と女の間に友情は成立するのか」という議論があったりしますが、男同士だろうが、女同士だろうが、男女間だろうが、この「絆」は成立します。いわゆる「恋愛感情」「魂の絆」とは別なものなのです。

 ではどうしたら、こういう意味での「親友」が出来るのでしょうか?誰でも親しい友達なら2~3人から5~10人くらいはいることでしょう。もちろん、「友達と呼べる人は1人もいない」という人もいるかもしれませんし、「友達なら30人は下らないな」と豪語する人もいるでしょう。実はこれは誰にでも出来ることなのですが、その「作り方」はほとんど知られていないのが現状です。単に親しさが増していけば自然に「親友」になるというものではありません。

 


「ある一言」が出た瞬間、「友達」は「特別な関係」に変わる

 友人同士で、「お前とオレとは親友だよな」「そうだな」とか「私達親友よね」「そうよ」とか言えば、親友になるのでしょうか。こういうセリフは小学生でも普通に言っていますが、そうではありません。2人の関係がある段階に達した時、客観的に明らかに別な段階に入った時、それと分かる「印」があるのです。これは相手の口から出る「言葉」で、「これは今まで誰にも言ったことがないんだけど」という一言です。この前段階としてまず相手の全てを理解する必要があります。具体的にはずーっと相手のことを聞いていくことですね。大体、いろいろ悩みを抱えていたり、秀でた能力があったり、希望があったり、挫折があったり、こういう性格だったりという今の「自分」という存在は、いきなりこうなっているのではなくて、「結果」としてこうなっているのであって、その「原因」「構成要素」として「人生経験」「家庭環境」「遺伝要因」の3つがあるのです。そこで、遡っていける限り遡って、この3つを尋ねていくわけです。

まず「人生経験」においては、特に今の自分を形作る上で決定的とも言う「原体験」がありますが、それはそんなに数が多いものでもなく、たいてい1~2個、多い人でもせいぜい3~4個といったところです。病気や怪我、失恋、受験の失敗といったマイナス体験もあれば、スポーツでの勝利や恋愛の成就、試験合格といったプラス体験もあるでしょう。また、「家庭環境」でも親が離婚・再婚していたり、兄弟姉妹間の比較が苦痛で傷になっていたり、貧乏だったとか、逆にお金はなくとも楽しかったとかいろいろあるでしょう。さらに「遺伝要因」まで遡れば、「ガンの家系」だとか、「ご先祖さまは平家だった」とか出てくるかもしれません。

 一見、膨大なようですが、実はそれほどでもありません。自分でこれをやれば「自己分析」となり、普通はノートに書き留めますから「自分ノートづくり」になるわけですが、何ヶ月も何百ページも費やすような作業ではありません。そもそも徹底的に試みたことのある人はそういません。これはちょっと悲しいことですが、1~2週間でも10数ページでも出来てしまいます。そして、こういう「自分史」の中には「言うに言えない部分」(自分でも触れたくない、見たくない部分)というものが誰にでもあるものです。それが、ずーっと自分の話を黙って聞いてくれている人に対して、「自分のことをここまで理解してくれた。でも・・・」とか思いつつ、信頼関係がある段階にまで達した時、ふとこの一言「これは今まで誰にも言ったことがないんだけど」が出てくるのです。

 これは強制して出てくる言葉ではなく、相手を信じて自分を委ねた時に初めて生れる言葉なのです。この時に「親しい友人」「特別な関係」となります。それは「手に入れようと目指すもの」というよりは、「相手を理解しようと一生懸命になり、その痛み、悲しみを共感、共有した時、結果として生れてくる関係」と言ったらいいかもしれません。

 大体、「人間は喜びの極致と悲しみの極致において友人を欲する」と言いますが、誰でも「喜びを共有する」友人にはなりたいものの、「悲しみを共有する」友人にはなかなかなれないものです。だから、これは人種も国境も宗教も超える関係となり得るのです。

「世界は一家、人類は兄弟姉妹」という言葉がありますが、これは単なるスローガンといったものではなく、実在する「絆」「人間関係」なのです。そして、この絆のあることを実感した時、「人間不信」というものはなくなります。



6 )恋人の落とし穴。

意外に知らない「恋愛の心理」

 人生前半期最大のテーマが「恋愛」あるいは「結婚」であるとすれば、誰しもこれを相当研究し、人生経験を重ね、人間関係の訓練をしているかと思いきや、意外にも無知・無理解のまま、いきなり大舞台に上がってしまう人が数多くいます。人間の成長に伴う「生理的なメカニズム」については学校でも学びますが、「心理的なメカニズム」「人間関係の意味・意義」については家庭でも学校でも系統的に教えてくれるわけでもありませんから、仕方が無いといえば仕方が無いことかもしれません。そもそも教えることが出来る人がいない!

 実際、男女間の愛と性に対する意識の違いはよく知られていますが、「恋に恋する」幼いレベルから「相手を通して自分を愛する」自己愛の心理、若い女性に意外に多く見られる「プリンス・チャーミング」(白馬に乗った王子様)観、さらには本人でも自覚するのが難しい「代償」など、知っておくべきことはけっこうあるものです。「代償」では、女性が「男性」「夫」を求めているようで実は「父親」を求めていたというケースのように、親との関係が影響する場合が多いので、「家庭環境」を知らないと判断が出来ません

 最近では結婚紹介業も盛んになり、会員数万人という企業も珍しくなくなりましたが、ある「ハイレベル層」(高学歴・高収入など)限定の結婚紹介会社によれば、ここに会員登録している女性達の要求するものは100%「高収入」で、「例外無し」だそうです。これに対して、男性会員は間違いなく「かわいい女性」を求めており、しかも「モデルのような美人」を要求するというのです。ここの就業面接を受け、「あなたはウチの会社に向いている!」とスタッフから絶賛されたある女性はこの現実を知って、思わず友人に「これってどこにも『愛』がないわよね」と言ったそうです。そりゃそうですよね。女性は「要は金よ、私はラクがしたいのよ」と言っているようなものであり、男性の方は金はあるので、それでモデルのような美人を買っているようなものですから。そして、これを聞いた友人も「こうして結婚した夫婦からどんな子供が生れるんだろうね」と顔を見合わせたと言います。

 あるいは芸能人の中でも、初めて会った時に「ビビッと来た!」と言って結婚することが一時期多く見られましたが、「ビビッ」と来たにも関わらず、離婚してしまうカップルが多いのは一体どうしたことでしょう?実はこの「ビビッ」がくせ者なのです。そもそもなぜ「特定の人」を好きになるのか、正確に言うと「好きになってしまうのか」、考えたことがありますか?

 日本ではあまり知られていませんが、「運命心理学」「運命分析学」を創始したリポット・ソンディによれば、「恋愛」「友情」「職業」「疾病」「死因」といった「選択」には「無意識の作用」が働いており、それはフロイトの言う「個人的無意識」とユングの言う(人類レベルの)「集合的無意識」の間にある「家庭的無意識」(先祖から引き継いだ無意識)が関係しているとしています。

 これにはソンディ自身の「原体験」があり、23歳の頃、軍医中尉だった彼がわずかな休暇を利用してウィーン大学で熱心に心理学の聴講していた時、初恋の女性と巡り会い、彼女と是非結婚したいと思って、何とか休暇をもう少し延ばそうとしていたそうです。彼女は語学教師をしており、ブロンド髪のアーリアン系美人で、ザクセン出身でしたが、ある夜、彼の両親が彼の異母兄の悲惨な運命について、悲しげに語り合っているという夢を見て、ソンディは衝撃を受けることとなります。ちなみにソンディは異母兄の死の3年後に生まれています。実は以前に彼の異母兄は彼と同じようにウィーン大学で医学を勉強しており、これまた同じようにブロンド髪のアーリアン系美人で、ザクセン出身の語学教師の女性を愛してしまったのです。彼の異母兄はその女性と結婚しましたが、結局、医師国家試験の受験を断念しなければならなくなり、結婚は完全に失敗で、悲惨と言ってもよかったと言います。この時、ソンディは「これは偶然の暗号ではない!自分は無意識のうちにこの異母兄の運命を反復しようとしているのだ!」と直感し、強い意志と理性を働かせて断ち難い愛着を断ち切り、直ちにウィーンを去ったのでした。

 このように「ある特定の人を好きになる」「縁が生じる」というのはたまたま偶然にというわけではなくて、家系を遡っていくと「必然的な原因」が見えてくる場合があるのです。これが「無意識」の中に引き継がれている可能性があるため、「遺伝要因」まで知る必要があるのです。



「さみしいから」が動機だとお互いをダメにするのは時間の問題

  「恋愛」「結婚」「人間関係」である以上、その「結果」によってその「関係」が2人にとってプラスであったか、マイナスであったか、知ることが出来ます。特に「結婚」の場合、「結果」とは「家庭」であり、また「子供」であると言えるでしょう。さらに「子々孫々の繁栄」という点で見るならば、幕末の洋学者箕作阮甫(みつくりげんぽ)と福沢諭吉が対照的なケースと言えましょう。

 箕作阮甫は弟子の中から最も優秀な者達を養子にして、3人の娘達と結婚させ、3代目・4代目に箕作麟祥・菊池大麓・箕作佳吉・呉秀三・呉茂一ら阮甫をはるかにしのぐ人材を輩出し、大学者になった者、大学者に嫁いだ者、数十人に及びました。まさに「学者の家系」の面目躍如たるものがあります。これに対して、福沢諭吉は実力や名声は当代随一でありましたが、惜しむらくは彼は「一代の傑物」と言うべきで、その子孫から彼をしのぐ人物が出たかと言うと、そうは言えないところが悲しいところです。「結婚」の「結果」というものは、長いスパンで見る必要もありそうですね。

さて、ここで決定的なのは「動機」です。「動機」が時間と共に結果するわけですから、当たり前と言えば当たり前ですが、「さみしいから」が動機で彼女・彼氏が欲しいなら、お互いの成長どころか、無意識的には「自分のために相手を犠牲にする」という心理構造になります。この関係が時間と共にどうなっていくか、難しく考えなくても簡単に分かるところです。

ところで、「彼女いない歴3年、もうイヤダー」とか「彼氏、欲しーよー。彼氏がいる友達がうらやましい」とかいう声は巷でよく聞かれますが、いわゆる「目的達成の法則」に従って、「彼女、彼女・・・」「彼氏、彼氏・・・」と潜在意識に命令を下し、四六時中そのことばかり考えていればいいのでしょうか?もしもそうなら、男性は接する女性に対して「彼女になる可能性があるかないか」という尺度でしか見えなくなってしまいますし、女性も「彼氏になる可能性があるかないか」と真先にチェックをすることになりかねません。これだと人間関係のハバが広がらなくなってしまうのです。

 ここでシミュレーションですが、あなたが女性であるとして、目の前に「イケメンでかっこいい、女性にはもてるけど男同士の友達はあまりいないみたい」という男性と、「顔はじゃがいも、でも友達は多くて、男性からも女性から好かれているし、お年寄りや子供からもよく声をかけられる」男性がいたとしたら、どちらがいいですか?「人間関係論」から言えば文句なく後者がいいとなります(じゃがいもでも!)。後者の男性には人間関係のハバがあり、いろいろな情的訓練を受けているようなものなので、少々のことがあっても吸収してしまうことでしょう。前者の男性には情のハバがあまりなく、ヘタをするとストーカーになる可能性だってあります。

 あるいはあなたが男性であるとして、「かわいい女の子で、友達はそこそこいるけれど、男性との交流はほとんどない人」と「明るいキャラで、それほど美人とも言えないけど、みんなの人気者」がいるとしたら、どちらがいいですか?これも前者なら男性との情的関係を築く訓練が乏しいので、パートナーとの間で初めて本格的にそれに取り組むことになります。「いきなり実戦」に突っ込むのもどうでしょうか。まず基本練習やミニゲームを重ねてから試合に臨むのが、スポーツの基本ですよね。うまくいけばいいのですが、うまく間合いがつかめなければ「依存」感情が強まる可能性もあるでしょう。

ただ、いずれにしても「関係性」というものは「絶対的」ではなく、「相対的」なものですから、「補完関係」としてうまく機能させることが一番重要です。そして、この「補完関係」をうまく見抜いていくのが「人間関係におけるコーディネーション」であり、「究極のコーディネーション」とも言えます。ユング心理家として著名な河合隼雄さんも『家族関係を考える』(講談社現代新書、この本は読むといいですよ)の中で、「夫婦はその共通部分を関係の維持のために必要とし、対立する部分をその発展のために必要としているのである」と述べていますが、けだし名言です。

 ところで、「結婚」後、夫婦関係が最も大きく変わるのは「出産」後です。子供が生れて、「夫婦」「父母」の位置・役割共にシフトするわけですから、劇的変化と言ってもいいでしょう。したがって、「離婚」する場合も子育てをめぐって亀裂が拡大したケースが実に多く見られます。生活は自分の自由にならず、子供を中心に犠牲を強いられるわけですから、決して甘いものではありません。未体験ゾーンに突入し、状況の激変を迎えたわけですから、準備不足や意識変革の失敗で「適応」が出来なかったとしても、ある意味では一定の割合で起こる、避けられない現象と言ってもいいかもしれません。これに対して、「成田離婚」などはあまりにも「見る目」がなかったというケースと言えそうです。

そもそも、「結婚」はたいてい「相手が好きだから」という理由で踏み切りますから、それまで付き合ってきた過去数年がその「決断の根拠」となります。ところが、実際には、「家庭」を共に営むということになれば、これはほとんど「共同経営者」に近い感覚になってきます。企業経営と同じように、家庭でも「収入」と「支出」のバランスを「家計」という枠組みの中でやりくりし、「子供」という新たなメンバーが加わればこれを育て、教育していくわけで、経営者が無能であれば「家庭経営」は破綻します。企業を立ち上げる時に共同経営者として「仲のいい友達」「好きなヤツ」を選ぶ人がどこにいるでしょうか?

それなのに、「家庭」の出発点たる「結婚」においては、「未来」「決断の根拠」とせず、「愛があれば何とかなるの」と簡単に言い切ってしまう人が実に多いのです。実際には「愛」も「能力」も必要なのが「家庭」というものなのです。



まずはお兄ちゃん、お姉ちゃん、弟、妹的存在をいっぱい作ろう

 「さみしいから」というのもダメ、「彼女」「彼氏」を目をギラギラさせて探すのもダメだとしたら、一体何からどうしたらいいのでしょうか?これは簡単です。まずはお兄ちゃん、お姉ちゃん、弟、妹的存在をいっぱい作ることが先決です。「えっ、自分の兄弟にちゃんといるよ!」という人もいるでしょうが、この四者を完備している人はそういません。

 例えば、長男長女の人はしっかりしている人もボーッとしている人もいずれもいますが、末っ子の人と比較すれば、「甘え下手」な人が多いのは厳然たる事実でしょう。こういう人には、逆に自分を弟妹の立場で面倒を見てくれるお兄ちゃん、お姉ちゃん的存在が、「情の成長」という観点からどうしても必要になるのです。

 これは「情は情でしか買えない」ためで、「実際に経験しない限り、情は育たない」からなのです。自分の家では長男長女でも、外で(社会的に)お兄ちゃん、お姉ちゃんをいっぱい持っている人は間違いなく、情が豊かに幅広くなっていきます。これに対して、末っ子の人などは逆に自分が面倒を見てあげるべき、弟や妹が必要になります。話を聞いてあげたり、助けてあげたり、面倒をみて育ててあげるような存在がどうしても必要なのです。

 こうしたお兄ちゃん、お姉ちゃん、弟、妹的存在は多ければ多いほどいいもので、それだけ人間関係のハバが広がり、情が豊かになっていくわけです。逆に恋人は本来1人であるべきもので、少なければ少ないほどいい存在です。ビジネスの現場でも、長男長女的な責任を持つ側面も、末っ子のように可愛がってもらい、面倒を見てもらう側面も、はたまた真ん中の子のように両者をつなぐ側面も全て必要になってきます。

 人によってはさらにお父さん的存在、お母さん的存在が必要になる場合もあります。これは兄・弟・姉妹の場合もそうですが、肉親として実際にいても関係としては良好でなかったり、傷を負っていたりするケースがあるからで、この場合は、本来の関係を取り戻すために必要となるのです。歪んだ情、傷ついた情は時間と共に癒されるとは限らず、沈潜して別な形で表面化することが往々にしてあるものです。これはフロイトの言う「個人的無意識」に他なりません。

  基本的に父・母・兄・弟・姉・妹の6者が「人間関係論」「情の成長」から見て決定的に重要な存在であり、ここで人間関係・情が豊かに育まれることが1人の成熟した男性と1人の成熟した女性として関係を築く上での「土台」となるのです。こういう土台をきっちり作らずして、いきなり高いビルや立派な豪邸を作ろう、それは私の長年の夢だ、理想だと言っても、それは無理があるというものです。



7 )メンターは何人いてもいい。

分野ごと、テーマごとにメンターを持つ人は強い

  「メンター」(導き手、師)なる言葉は本田健さんの『ユダヤ人大富豪の教え』(大和書房)で一気に社会化したところがありますが、武道の世界でも3年かけても良師を探せ」という言葉があり、「誰に学ぶべきか」ということは分野を問わず、大切なことであると認識されています。これは必ずしも実際に会わなくてはいけないということではなく、最初は本を通してでもいいのです。目的意識に沿って多くの本を読んでいけば、「この分野に関してはこの人の著書がいいな」とか「このテーマに関してはやはりこの人のこの本だな」といったことが次第に分かってくることでしょう。ただ、自分の持つ問題意識にドンぴしゃりの内容が本に必ず載っているとは限らないので、「生きた人間」「聞けば何でも答えてくれる人」を如何に自分の「人脈」の中に確保するかが次のテーマとなってきます。

 例えば、「法律関係ならこの人に連絡しよう」「経済学ならこの人に聞けば大丈夫」「最新の流行についてはやっぱりこの人」といった「知り合い」がどれだけいるかということは、「アクセス・ルートの確保」がどれだけ出来ているかということを意味します。大体、今の社会においては必要な「情報」が「無い」ということよりも、「どこかに有るのは分かっているけれども、どこに有るかが分からない」「どの情報とどの情報をどう組み合わせれば自分にとって意味があるかが分からない」ということが問題になるのであり、こうした「アクセス・ルートの確保」「個別目的に応じた加工」が可能になれば、それに基づく「情報コンサルティング」が出来るようになるのです。「何を聞いても答が返ってくる」「的確な情報提供をしてくれる」という人がいますが、こうした「情報」を駆使する「情報コンサルタント」は何でも知っている、何でも経験しているというわけではなくて、この2つに長けていると言ったらよいでしょう。

ところで、人によっては「メンター」「ブレーン」ともなるでしょう。楽天的な政治家(えてして「大ボラ吹き」と言われることになります)には、その人の能力をはるかに超えるブレーンがいたりするものですが、中でも筆頭格は池田勇人元首相でしょう。彼が「所得倍増論」を打ち上げた時、誰も信じる者がいなかったと言います。それはそうでしょう、敗戦国家で焼け野原から出発した日本がいくら戦後復興の波に乗っているとはいえ、そこまでハイレベルな「高度経済成長」を実現できるとは誰も考えられなかったのです。ところが、池田の経済ブレーン「木曜会」に集まるメンバーはそうそうたるもので、在野の経済評論家として名高い高橋亀吉、「下村理論」で有名な下村治ら「七人の侍」がおり、その叡智を結集した政策を実行に移したのが池田だったのです。

ところで、実はこの池田の人生はとても順風満帆とは言えたものではなく、一高受験で2度落ち、やっと五高に入って京大法学部から大蔵省に入るも、これは決して主流派とは言えないコースでした。さらに彼はここで天然痘に似た奇病である皮膚病にかかり、医者から絶望を宣告されます。この看病疲れで、最初の妻は病死するほどで、見かねた母親が誘って四国八十八カ所の巡礼に出かけています。皮膚がボロボロのために草履がはけず、板を足に紐で結んで歩く状態で、大の男が母親に手を引かれてという有様でしたが、この難行による運動が効いたのか、発病して5年後に初めて風呂に入ることができるまでになります。やがて、完治し、2番目の妻と駆け落ち同然で上京し、税務署の用務員にでも雇ってもらえればいいと思っていたところ、大蔵省の課長の口利きで復職を果たしています。彼はその後もせいぜい国税課長を目指していたぐらいですが、戦後のレッド・パージで省内の地位が上がり、ついに事務次官から政界に打って出て、首相にまでなっていくのです。

政界に出てからも池田の失言癖は有名で、「中小企業の1つや2つつぶれても」「貧乏人は麦を食え」といった失言を繰り返していますが、これらは激昂して口走ったのではなく、彼自身の実感の中から生まれた言葉であったと言います。実際、資本主義市場経済の第一原則は「失業と破産による淘汰」にあり、「自己責任」の原則も当然重視されますから、池田の言葉には一理あります。池田は知性的でも教養あふれるわけでもなく、都会人らしい繊細さもなかったようですが、素直に「オレは頭が悪いから助けてくれ」と言うので、周りの者は「それなら助けてやろうか」と思ったようです。そして、皆が知恵をふりしぼって案を練り上げると、池田は大真面目にそれを実行し、うまくいけば「どうだ、オレだってうまくできるだろう」と胸を張っているので、誰も彼を憎めなかったのです。そうでなければ、「知性の塊」のようなあの宮沢喜一元首相が池田のために粉骨砕身するなどということはなかったでしょう。

実に「楽天主義」はその人の能力をはるかに超えて、「人の和」による大きな結果を生み出す秘訣なのです。



人から助けてもらわないで成功した人はいない

 ベンチャー・ビジネスの成功者などは典型ですが、大きな成功をした人、あるいは大失敗から大逆転した人などは必ずといっていいほど人から助けてもらっています。ネット・ビジネスをやっている人なら億単位で金を持っている人はごろごろいますし、横のつながりもあるので、紹介の紹介でビジネスを立ち上げることも多く、何から何まで自分の力で切り開く人は皆無と言ってもいいかもしれません。

 ある23歳の女性は大学受験の真っ最中の1月にビジネス・パートナーとネット・ビジネスを立ち上げ、最初の1カ月で粗利300万円を稼いでいます。彼女によれば、これぐらいでは全然ダメで、パートナーとの目標はそれぞれが1億円プレーヤーになることだそうです。実際、どんなビジネスでも何だかんだと教えてもらえる人、助けててもらえる人は、独立独歩の人よりもはるかに恵まれます。難関大学受験や難関資格試験でも、独学する人より、専門予備校でいろいろと教えてもらう人の方が最短距離を行くことが出来るのは当然のこととも言えます。

 実に「大学受験までは実力だが、そこから先は運である」とされ、大学受験も「人事を尽くして天命を待つ」という言葉があるように、最後は「運」です。社会においても、実力があるからといって必ずしも成功するわけではないのです。では、その「運」はどこから来るかというと、それは「縁」(人間関係)からで、それも横でも下でもなく、上からなのです。すなわち、要は「いかに上の人からかわいがられるか」ということであり、「しょうがないな、オレが尻ぬぐいしてやるから、またやってみろ!」なんて言いいながら、引き立ててくれる人物がいるかどうかなのです。

 実際、高校を中退しながら、20代前半で表参道などで4つの店舗の店長として店を切り盛りし、早稲田・慶應の学生をバイトとしてこき使いながら、年収700万円を稼ぐ人がいましたが、彼がその立場に立てたのは早稲田大学政経学部を出て、50社を立ち上げた人に引き立ててもらったからでした。

 ちなみに、ヨーロッパ統合にも匹敵する古代における中国統一を実現した秦が滅んだ後、項羽劉邦の2人が天下の覇権を争ったことは有名ですが、項羽は西方の大国だった秦に対抗し得る南方の大国楚の名門出身で、誰もかなわないほど能力に秀でた将軍だったのに対して、劉邦は飲み屋のおばあさんにツケで飲ませてもらっているような飲んだくれのオヤジでした。ところが、天下を取ったのは劉邦であり、漢の高祖として、歴代皇帝がモデルとして仰ぐ人物となるのです。

 実は劉邦の下には、「漢の三傑」と呼ばれる張良韓信蕭何をはじめ、劉邦をはるかにしのぐ人材が多数いました。軍師張良は中国最大の軍師太公望呂尚の流れを汲む者で、後の諸葛亮孔明も憧れた人物です。将軍韓信は項羽に匹敵する軍事力を持ち、主君である劉邦はせいぜい10万人の兵の将にすぎないが、自分は「多々ますます弁ず」(多ければ多いほどよい。数十万人だろうが、100万人だろうが動かして見せる)と豪語した人物です。ちなみに日本でも最も軍事動員した人物は小田原攻めで20万人を動かした豊臣秀吉でした。これに対して、ムッとした劉邦は「じゃあ、なぜお前はわしの下にいるんじゃ?」と聞くと、韓信は「私は兵の将たる器ですが、陛下は将の将たる器なのです」と答えたと言います。後に宰相となる蕭何は劉邦を見出したことでも知られていますが、劉邦が秦の都咸陽を占領した時には他の者が宝物殿などに殺到する中、ただ一人、秦の歴史書や法律、各国の人口記録などが保管されている文書殿に走り、項羽による破壊の前に全て持ち帰ることに成功し、これが漢王朝の基礎作りに役立ったと言われています。

 この項羽と劉邦のエピソードはビジネスの現場ではよく知られており、実績を出す上司はたいてい自分以上の能力を持った部下を集めることに腐心し、彼らが働きやすい環境づくりに心を砕き、自分のちっぽけな自慢などどうでもいいと思っているものです。



メンターに恵まれた人はメンターになる使命がある

 では、逆にメンター側の心がけとは何でしょうか?それは自分の持てるものは全て惜しみなく与えて、「自分以上の存在」にすることです。中には自分のすごさを見せつけたいというような動機の人もいますが、その下でメンター以上の存在が育つことはまずありません。実は「一子相伝」のように手塩にかけて育て、自分の全てを注いでも自分以上の存在にすることは出来ないのです。弟子はそのままでは師を超えることは出来ません。したがって、優れたメンターは足りない所は他から借りてきてでも与えようとします。すなわち、多くの人の手を借りて、よってたかって育てるようにするのです。

 ちょっと古いですが、山本鈴美香さんの『エースをねらえ!』を見ればよく分かりますね。宗方コーチが如何に優れた人でも、彼1人の力だけでは岡ひろみを超一級の人材に育てることは出来なかったでしょう。一体、どれほどの「本物」達が彼女のために愛情と技術と経験を注ぎ込んだことでしょう。ここまで投入されれば、「本物の中の本物」が生れないはずがありません。

 そして、もしもこのようなメンターに恵まれたとしたら、その人こそメンターにならなければなりません。受けた恩をメンター自身に返すことは到底不可能なので、今度は自分がメンターとなって次の人を育てるのです。その時、自分の経験をふまえてプラスαを必ず加え、さらには多くの人の手も借りて、「自分以上の存在」にすべく投入しなければならないのです。

 中には、人生の節目でこうした貴重な出会いを持っているにもかかわらず、それを十分生かすこともしないまま、今の周囲の人間関係に対する不満に満ちている人がいます。このような人はなぜ自分にとって決定的とも言える出会いをその時にしたのか、という意味を考えなければいけないでしょう。「その人に出会っていなければ今の自分はない」という出会いをしているならば、それはたまたま偶然に出会ったのではなく、出会わなければならなかったから、出会うべくして出会ったのです。「人事」というより「天事」「天の配剤」とでも言うべきものでしょう。今度は自分を必要としている人がどこかにいるのに、自分の経験によってしか道が開かれないような人が必ずいるのに、自分のことしか考えていないとは、何ともお寒い限りです。

 ところで、実際に人間関係でひどい目に会い、傷つき、挫折した人は多くいますが、どんな大変な立場を通過した人でも、必ずといっていいほど人間関係を劇的に変えていく方法が「してもらってうれしかったことは+αして人にもしてあげる」+「されて悲しかったこと、してもらえなくて悲しかったことは絶対に人にしない」という2大原則です。

 傷ついた経験がある人ほど、人の優しさに敏感ですが、「あの時、自分の話をうんうんと聞いてくれてすごくうれしかった」とか、「この人だけが自分の良さを認めてくれた」といった体験を少なからず持っているものです。これは宝物と言ってもいいものですが、これをそのままにしていてはいけません。そうしてもらったうれしさ、ありがたさを分かっているわけですから、自分も他の人に対して同じようにしてあげるのです。しかも、自分なりの工夫として「+αを加えていった上です。

 そして、逆に「あの時、こんなことをされて自分は本当に傷ついた」「こうして欲しかったのに誰もそうしてくれなかった」といった体験もたくさんあることでしょうが、これを絶対に人に向けてはいけません。「自分もこんな目にあったんだから、人にも」という発想は「復讐の心理」であり、復讐が復讐を呼んで繁殖していくことになります。ここで重要なことは「私が味わったような思いは私の所で終わらせる」「自分の所で悪い流れは断ち切る」という強い決意なのです。家族関係で悲惨な思いを味わった人も、友人関係で裏切られた人も、恋人関係で傷ついた人も、「この私(他の誰かではありません)を人間関係の転換点とする」と思い切れた時から、人間関係は変わり始めるのです。

 具体的にこの2原則を実行していくと、時間はかかりますが、人間関係は劇的に変わっていきます。誰かが自分を頼りにするようになり、誰かのために「必要とされる自分」に喜びを感じるようになった時、「うらみつらみ」や「くよくよ」からなかなか脱却できなかった段階を一つ超えたことを感じるでしょう。



8 )「人間」とは結局「人間」である。

喜びも悲しみも、幸福も不幸も「人間関係」から生じる

 高校など学校を中退するケースは、たいてい「勉強」「健康」「人間関係」のいずれかが原因になっているとされ、会社で仕事に行き詰るケースは「業務不適応」「人間関係」「実績追及」「給与・評価問題」のいずれかが大きな比重を占めているとされます。いずれにせよ、家庭であれ、学校であれ、会社であれ、地域であれ、人との関わり合いの中で様々な営みがなされているわけですから、「人間関係」は人の喜びや悲しみ、さらには幸福や不幸といったものを大きく作用する要素、もっと言えばその源泉と言ってもいいかもしれません。ところが、この避けて通れない「人間関係」というテーマについて、系統的に組織だって学ぶ場はどこにもなく、「いきなり実践」「現場主義」的になってしまっているのが現状です。本当に困ったものです。

 ちなみに「コンプレックス(complex)」も人間関係の中で生まれるものです。これは「劣等感(インフィリアリティ・コンプレックス)」だけを指しているのではなく、「優越感(シュピリアリティ・コンプレックス)」「エディプス・コンプレックス(娘の父親に対する思慕・愛着)」「エレクトラ・コンプレックス(息子の母親に対する思慕・愛着)」なども全て「コンプレックス」であるように、元々「潜在的な複合観念」を指していますが、やはり問題となるのは「劣等感」でしょう。「自分は周りの人と比べて頭が悪い」「自分は中卒だから、高校中退だからダメなんだ」といった「学力コンプレックス」「学歴コンプレックス」はよく見られるところです。

 しかしながら、「いいな、鳥は空を飛べて」「岩がうらやましい」などとは普通の人はまず思わないように(詩人ならあるかもしれませんが)、コンプレックスは「対物関係」ではなく、あくまで「対人関係」の中で生じてくるものだということが分かります。つまり、「人間関係」の中で「比較」の結果、生じてくるものです。例えば、「学力評価」の無い幼稚園・保育園ではそういう「比較」はなく、「学力コンプレックス」は生じようがないでしょう。それが負けず嫌いに火をつけて「成功動機」となることもありますが、たいていはそのままにしておくと精神的成長の阻害要因となりかねないものなのです。

 したがって、「コンプレックスの悩み」というのは「人間関係の悩み」に他ならず、その克服は「人間関係上の工夫」にかかってきます。「人間」「人の間」と書くように、人間にとって人間関係は本質に関わるものですので、ここで喜び・幸福感も生ずれば、悲しみ・不幸もまた生じてくるのです。これはどうしても取り組まざるを得ないテーマであると言えるでしょう。

 有名な経営コンサルタントの神田昌典氏によれば、いわゆるお金持ち、成功者と呼ばれる人達は強いコンプレックスの持ち主であったことが多いそうです。例えば、「子供時代、貧乏だった」「成績がよくなかった」等々ですが、逆にこういう人ほど「絶対見返してやる!」「絶対お金持ちになるんだ、成功してやるんだ!」という強い動機がバネとなって、実際にお金持ち、成功者になっている人が多いというのです。神田氏はこうした例をかんがみて、最初はこういう「マイナスの情念」を使った方がいいとまで言っています。それが最後までそのままなら、人間的にいただけませんが、成功すると今度は「心の修養」にシフトしていくわけです。したがって成功者の語る「成功哲学」には「心の修養」を説くものが多いのですが、これは成功したあかつきに必要になるのであって、これから成功しようと思っている人にはむしろマイナスになることすらあるというのです。

 自らを「月見草」にたとえ、常に国民に愛され続けた長嶋茂雄氏にコンプレックスを抱き続けた野村克也氏は、「コンチクショウ、コンチクショウ」と言い続けて、とうとう王貞治氏に次ぐ日本で第二番目のホームラン王となって、この分野では長嶋氏を抜きさっています。ある意味ではコンプレックスの強い人ほど、成功のために必要なエネルギーを豊かに持っているとすら言えそうです。



「情の流れ」は「水の流れ」と一緒

 あるカウンセラーの原体験を見てみましょう。その人は老若男女の誰からも好かれる人ですが、元々は引っ込み思案だったそうで、それが変わる「きっかけ」となったのは、高校時代に母親に頼まれて、親戚の自閉症ぎみの子供の面倒をみたことだそうです。

 彼はその子にあれこれと思いつく限りのことを話しかけますが、一向に反応がありません。野球の話とか関心・興味がありそうなことをふってみるのですが、とうとうお手上げとなりました。すると、その子はたまたま耳がかゆくなったみたいで、右耳に手をやりました。それを見ていた彼はすかさず同じように右耳に手をやったのです。それをじっと見ていたその子は、今度は左耳をポリポリやり始めたので、彼も間髪を入れずに左耳をポリポリしました。再びじっと見ていたその子は、今度は右手をゆっくり左肩に、さらに左手をゆっくり右肩にやって交差させました。そして、サッサッサッとすごい速さで右手・左手を引いたり置いたりしたのです。もちろん彼は間髪を入れず、同じようにサッサッサッとすごい速さで右手・左手を動かし、全くその子と同じことをしたのです。それをじっと見ていたその子は、初めてニヤっと笑いました。そこからポツポツと自分のことを話し始めたというのです。

 この間、何の言葉も交わされていません。しかし、これは最高の「カウンセリングと言えるでしょう。人の「情の流れ」は「水の流れ」と一緒なので、同じ高さになった時、自然に流れていくのです。この時、その子供の心の「水門」が開いたわけですね。

 あるいは、ある小学4年生の不登校の男の子が先生に呼び出されて、宿題のプリントを受け取った時のことです。その男の子はその場でプリントを紙飛行機にしてしまい、教室の中で飛ばしてしまいました。もしもあなたがこの担任の先生だったら、どうしますか?「こらー、何やってんだ!」とか「先生はお前のこと、ずっと心配してたんだぞ!」とか思わず言ってしまいますか?実際にはこの先生は何と、自分も他の紙を持ってきて紙飛行機を作り、一緒になって飛ばしたそうです。すると、男の子は「先生、オレの話聞いてくれるか?」とボソッと言ったのです。そして、男の子は自分がなぜ学校に来なくなったか、今まで誰にも言えなかったその理由を話し始めました。

 それによると、彼のお父さんがノイローゼで、お母さんは毎日悲しんでいて、自分は遊んでいても、いつもお母さんの悲しんでいる姿が浮かんでしまうというのです。それで友達と仲良くなっても、「いつかは家に連れて行かないといけない時が来るんじゃないか。でも、あのお父さんの姿を見せたくない」と思うと、仲良くなるのが恐くなり、学校でも友達が出来れば、「いつかは家に連れて行かないといけなくなるんじゃないか」と悩んだそうです。結局、彼が出した結論は「学校に行かないこと」だったのです。



「家庭」的基本関係から「社会」的人脈 へ。

  「家庭」は全ての人間関係の基本であり、基本的人間関係としては「父と私(息子・娘)」「母と私(息子・娘)」「兄と私(弟・妹)」「姉と私(弟・妹)」「(兄・姉)と弟」「(兄・姉)と妹」の6種類があります。そして、この「家庭的人間関係」を成熟させつつ、「社会的人間関係」へと発展していくわけですが、家庭的人間関係の欠落・ゆがみは社会的人間関係の中で補償・修復するしかありません。

 ただありがたいことにはユングが元型論」で明らかにしたように、人間の心の奥底には例えば、息子娘・兄弟姉妹→男女→夫婦→父母の理想像を支える「父なるもの」「母なるもの」などの諸元型が存在し、これが悲惨な現実の中にあっても人を導くものとなるというのです。すなわち、「内なる神」「良心」として働くわけです。ユング自体は雑多な分析にとどまり、体系的分析が必ずしも出来ていたわけではありませんが、環境や状況が悲惨だと必ず悲惨な結果をもたらすかというと、必ずしもそうでもないのはこういうメカニズムがあるからなんですね。

 性格形成上、決定的に重要な根源的人間関係は実は「家庭」にあり、政治思想家バークも「社会の中で我々が属している最小単位、すなわち家族を愛することが社会全体を愛するための第一歩である」と指摘しています。こうした基本的人間関係は人間として「社会的生活」を送る上で不可欠な要素となりますが、さらに「社会的成功」を求める場合は「人脈」がこれに加わる必要があります。

 そして、ここでもう1つ知らなければならない心理的・人間関係論的メカニズムが「成功者の陥る人間関係のダークサイド」です。例えば、ジェネラル・エレクトリックを率いた名CEOのジャック・ウェルチさんなどは、今でも世界中の人から目標にされ、学ぶ対象となっている「ビジネスの成功者」ですが、私生活では結婚・離婚を繰り返し、必ずしも幸福であるとは言い難い面があります。実はあらゆる成功法則の本に書かれていないのはこの「ダークサイド」の部分であり、「ビジネスの成功者ほど人生で失敗している」という現実の問題でした。これに本格的にスポットを当てたのはジョン・オニールさんの『成功して不幸になる人びと』(ダイヤモンド社)であり、日本にこれを本格的に紹介したのが神田昌典さんの『成功者の告白』(講談社)です。少なくともこれからビジネスを立ち上げたい、会社を興したい、成功を収めたいという人であるならば、これらの本を一読すべきでしょう。「夫婦をつなげるために子どもが犠牲になることすら起きる」など、経験者なら真っ青になるような内容です。




4 章 逆境の哲学~様々な事例に学ぶ「運」と「ツキ」と「節目」の研究~

1 )「運がいい人」と「運が悪い人」は確かにいる。

「運がいい人」の中には「財物に恵まれる人」と「人物に恵まれる人」がいる。


「財物に恵まれる人」「金運のある人」「物運のある人」に分かれます。結果としての因果応報もあれば、原因としての因果応報もあります。


「人物に恵まれる人」「友人に恵まれる人」「引き立てを受ける人」などがいます。結果としての因果応報もあれば、原因としての因果応報もあります。


●市区町村議会議員・都道府県議会議員までは「能力」が問題ですが、国会議員は「運」「器」が問題です。国会議員はどんなに「能力」があっても、その時々の「国運」を受け止める「器」のようなものがないとなれません。これは必ずしも「器」が大きいかどうかということより、その「時」をつかめるかどうかが大きいようです。


●豊臣秀吉が徳川家康と共に最も恐れていた稀代の軍師黒田官兵衛は「小事をなすのは力量、大事をなすのは天運である」として、秀吉の「強運」を認め、自らが「天下人」を目指すのを諦めました。「生まれてくるのが20年遅かった」と周囲を嘆かせた伊達政宗も「運」で秀吉・家康に及びませんでした。秀吉・家康も範とした「不倒翁」「西国随一の戦国大名」毛利元就(もとなり)も、55年間、226戦を戦って生涯不敗でしたが、天下を狙うことを戒める遺訓を残しています。実際、軍事力なら織田信長よりも武田信玄の方が上でしたし、戦略なら秀吉よりも元就、持久力でも家康より元就の方が上だったとされます。


●日露戦争でロシアのバルチック艦隊を破り、西洋のジャーナリスト達から「東洋のネルソン」と称された東郷平八郎が連合艦隊総司令官に抜擢された時、その理由は「東郷は運の強い男です」(山本権兵衛海軍大臣)というものでした。東郷は「この海戦は戦闘開始30分で決まった。我に天運あり、勝利したのだ」と語っていますが、後年、日本海海戦の勝因を聞かれて、「7分は運であった」「では、残り3分は?」「やはり、運だった。ただし、7分の運は努力の結果、引き寄せた運で、3分の運は天佑としか言いようがない」と答えたと言います。


●大学院入試で前日に先輩から渡された本より5問中3問出題されて合格した人もいます。この人は日頃から国際交流プロジェクトのために自腹で東奔西走する人でした。


●資産1,000億ドルを超えるビル・ゲイツやウォーレン・バフェットなども子供に莫大な遺産を残す気はなく、社会に還元する予定であると言いますが、「経営の神様」松下幸之助なども死ぬ前に慈善事業へ500億円寄付したことで知られます。松下幸之助は人相は決していい方ではありませんが、「自分はとても運がいい」と確信し、「経営者が単に自分の会社の利益だけを考える態度は本来的に間違っている。企業の存在する社会や国家、国際社会との共存共栄を抜きにして企業の繁栄はありえない。ビジネス活動を通じて社会の平和と幸福を実現しよう」と事業を進めたことに特徴があります。ちなみに松下幸之助は採用面接試験時に「あなたは運がいい方ですか?悪い方ですか?」と訊ね、「運はいい方です」と答えた人を優先的に採用したことがあると言います。萩本欽一も弟子を採用する時にやはり「自分は運がいいと思うか、悪いと思うか」と聞き、「運がいいと思う」と答えた人を採ったそうです。なぜなら、「運が悪い」と思っている人はせっかくチャンスがめぐってきても、それをモノにすることができないからであるというのです。「運も実力のうち」ということですね。


【ポイント】

 「自分は運がいい」と思っている人(好運体質・気質、強運体質・気質)とは友達になるべきで。また、自らも「自分は運がいい」と思うべきで



「運が悪い人」の中には「性格に現れる人」と「環境に遭遇する人」がいる。


「中途挫折する人」でも、「性格的に意志が弱い、優柔不断な人」もいれば、「そういう環境にばかりめぐり合わせる人」もいます。意志はむしろ強かったりするのに、誰が行っても倒産するような会社に不思議と出向する破目になったりするのです。


●トンネルの岩盤崩落事故のように、わざわざ車を飛ばして乗り遅れたバスに乗り込み、事故に遭遇した人もいれば、たまたまいつも乗っているバスにその日だけ遅刻して事故を免れた人もいます。あるいはジェットコースターでわざわざ席を譲ってあげて、事故に巻き込まれた人もいます。さらに予定していた飛行機に乗れなかったところ、その飛行機が墜落して助かったという人もいれば、ほぼ全員即死のような飛行機事故なのに命が助かった人もいます。


「試験時期に運が下がるサイクルの人」は練習に強く、本番に弱い人の典型となります。毎年のように1月の旧共通一次試験(現共通テスト)で1000点満点中920点前後(東大、国公立大医学部レベル)を取りながら、3月の2次試験の時に体調を崩して、惨敗し続けた人もいます。


「分かっちゃいるけど、やめられない」と言うように、「分かっていないから出来ない」場合よりも、「分かっているけど出来ない」場合の方が深刻です。「分かっていないから出来ない」なら、仕組み・理屈・筋道が分かればよいということになりますが、「分かっているけど出来ない」場合、例えば、中毒患者などもその害毒は分かっているわけで、単なる理解だけではどうしようもなく、現状分析、経緯分析、臨床事例、経過分析などによる「治療」が必要になるからです。


【ポイント】

 「運が悪い」「このままじゃ自分はダメだ」と感じたら、徹底した「自己分析」を開始する必要があります



2 )「逆境」の時にこそ、その人の真価が問われる。

春夏秋冬があるように、「順境」も「逆境」も1 つのサイクルの中にある。


●ビジネス・サイクルでも「導入期」「発展期」「成熟期」「衰退期」の4つがあることを知ることがカギです。「不動産で成功するカギは1にロケーション、2にロケーション、3にロケーション」と言われ、マクドナルドのビジネスですら、実は「ハンバーガーのビジネス」ではなく、「不動産のビジネス」「ロケーションのビジネス」と言われますが、一般的には「ビジネスで成功するカギは1にタイミング、2にタイミング、3にタイミング」とされます。かつて中国でエアコンを販売して億万長者になった人がいますが、今の日本やアメリカでエアコンを販売して大成功することは考えにくいでしょう。


●ライフ・サイクルでも春夏秋冬のリズムがあり、何やってもうまくいく「順境」もあれば、何やってもうまくいかない「逆境」があります。したがって、「順境」の時は自分の能力以上の結果が出やすいため、「謙虚」にならなければならず、逆に「逆境」の時は愚痴をこぼしたり、自暴自棄になってしまうことなく、積善の時、陰徳を積む時と悟って、むしろ「自己投資」に充てるべきです。間違っても、「新規拡大」的行動は取らないことです。それをやると、今度は「順境」が巡ってきた時に、使うべき「運の貯金」が無くなってしまいます。


●どんなに「運が悪い人」でも3度はチャンスがあり、どんなに「運がいい人」でも3度以上、そう何度もチャンスがあるわけではありません。したがって、ビッグ・ウェーブを逃すと大変なことになります。


●サイクルには3年・7年・10年などいろいろあり、「自己分析」によって「自分のサイクル」を見つけ出す必要です。船酔いしない人は甲板に立って、次に来る波を意識し、立ち向かう人だとされ、逆に船室に閉じこもっていると、波に対して受け身になるので、一発で悪酔いしてしまうものですが、同じように「来年は逆境だ。心してかからねば」と分かって臨む人は逆境を乗り切りやすいのです。「今年は逆境だ。あれもこれも集中して頭がちぎれそうだが、1年辛抱すれば、考えられないような展開で環境が一新される」「今は順調すぎて怖いぐらいだが、これがいつまでも続くわけがない。次に向けての布石をもう打ち始めよう」といった心構えも、「自分のサイクル」「自分のリズム」を知り、「順境」「逆境」の特徴を知っていれば自ずと身についてくるものです。


【ポイント】

「自分のタイプ」「自分のサイクル」を知ることが、「セルフ・マネジメント」「セルフ・プロデュース」の第一歩で



「逆境の処し方」が「人間的成長」「飛躍」の土台となる。


●健康で人間関係も順調、勉強も仕事もうまくいっているなら、頑張れない人はいません。したがって、目に見える「実績」だけで、その人の「人間性」「器量」を見ることは出来ないのです。


●病気でゴタゴタ続き、何をやっても裏目に出る時は、優秀な人であっても気持ちが折れやすくなります。したがって、「逆境」に対する免疫が無い人は「初めての挫折」「致命的挫折」になることすら起きるのです。


「電力の鬼」と呼ばれた松永安左エ門は、「ひとかどの人間になろうと思ったら、次の3つの経験をすることだ。それは、第1に、死ぬような大病をすること。第2に、浪人してその悲哀を身にしみて知ること。第3に、監獄のクサイ飯を食うこと、この3つだ」と言いました。


●昔は、一流企業のトップになる人ほど、「左遷」の経験者が少なくありませんでした。中国でも昔から、将来有望な人材はいったん地方に「左遷」して、さんざん苦労させた挙句、中央に呼び戻して抜擢するのが定石でした。


「逆境」の時は結果を求めてあせってあれこれ手を出したくなりますが、「逆境」の特徴は「非常にあせること」です。しかし、すぐに結果が出ないとしても、「やれる限りのことをやり尽くす」「最善を尽くす」という基本姿勢を貫かなければなりません。


「逆境」の時はやらなければいけないこと、課題、トラブルなどが殺到・集中しやすい時期でもあります。「何から手をつけたらいいのか分からない」「頭がパンクしそう、胃が痛い」といった状況になりやすいものですが、これは視点を変えれば、一気に多くの課題を乗り越えられる時でもあるので、基本姿勢としては「全部やる、片付ける、やり遂げる!」ということになります。そもそも、1つ1つ課題が起こってくれば、ちんたらちんたら乗り越えることになって、時間がかかります。そして、「優先順位」のつけ方は、「最低限絶対必要なもの」から手をつける場合と、「片付け易いもの」を片っ端から片付けていって、時間をかけて取り組むべきものにたっぷり時間をかける場合と2通り考えられます。



【ポイント】

 逆境の只中では結果や見返りを求めず、最善を尽くし続けることが必要で。試練が集中することは一気に局面を打開するチャンスでもあるので、「極は極に通ずる」という現象も起きる時期となります



3 )「ツキ」をもたらす「性格転換」と「人間関係転換」。

「性格転換」の基本技術に習熟すると「ツキ」を呼び込める。


「性格」「言動」(言葉と行動)→「生活」「運命」というパターンが「人」を作ります。「固有の運命」には「固有の生活パターン」が伴っていることが多く、金持ちには金持ちの生活パターンが、貧乏人には貧乏人の生活パターンが、人から好かれやすい人には好かれやすい人の生活パターンが、孤独になりやすい人には孤独になりやすい人の生活パターンがそれぞれあるものです。例えば、「金持ちはケチ」なのではなく、「ケチだから金持ちになれる」のです。そして、「生活パターン」「特有の言動」を伴いやすく、「言動」には「性格傾向」が反映されやすいのです。したがって、端的に言えば、「運命とは性格である」「性格を変えれば運命を変えることが出来る」とも言えるのです。

「運命は性格の中にある。」(芥川龍之介)

「人間の運命はその性格の結果である。」(エマーソン)

「心が変われば、行動が変わる。行動が変われば、習慣が変わる。習慣が変われば、人格が変われば、運命が変わる。」(松井秀喜を生んだ石川県星陵高校野球部部室の壁に掲げられている言葉)


「性格」の3要素は「知」「情」「意」であり、それぞれの特質や比重の違いが「個性」として現われるので、「性格分析」「タイプ論」から始まり、「性格転換」「知的アプローチ」「情的アプローチ」「意的アプローチ」の3つを駆使することとなります。


「知的アプローチ」のキーワードは「意識」であり、「マイナス言葉」を絶対に口にしない、「プラス言葉」を意識的に使うといった「言葉のコントロール」による「発想の転換」から始まります。「マイナス言葉」には不安、自信の無さ、優柔不断、責任転嫁、恨み、嫉妬などの「マイナス情念」が、「プラス言葉」には感謝、やる気、喜びなどの「プラス情念」が背景にあるので、元々そういう感情を持っていなくても、「マイナス言葉」を使っていれば「マイナス情念」が知らず知らずのうちに引き出されるようになり、「プラス言葉」を使っていれば「プラス情念」が引き出されるようになるのです。さらに「希望(現実的可能性、実現可能性)を見つけ出す訓練」によって、「やっぱり希望だ(実現できるんだ)、プラスだ(いい方向に向かっているんだ)」ということを確認することを重ねていけば、結果として「プラス情念」が定着することとなります。


「情的アプローチ」のキーワードは「人間関係」であり、「家庭」における父と私、母と私、兄と私、姉と私、私の弟、私と妹という6種類の基本的関係」の修復・充実がカギとなります。実際の関係で親や兄弟が存在していても、本来的ではなく歪んでいたり、傷を負う原因になったりすることもあり、欠落している場合ともども、「社会的関係」の中で修復・充足することが必要になってきます。すなわち、「お父さん的存在」「お母さん的存在」「お兄さん的存在」「お姉さん的存在」「弟的存在」「妹的存在」が重要であるということです。


「意的アプローチ」のキーワードは「経験」であり、「取り柄を伸ばすこと」「苦手をつぶすこと」の両立が肝心です。「好きなこと」「やりたいこと」ばかりやっていると性格的にはいびつになります。20代まではむしろ訓練として「苦手なこと」「やったことのないこと」に積極的に取り組むべきです。


「生活パターン」でさらに見逃せないのが、規則性、運動の有無、柔軟性、食生活、環境などの「生活習慣」です。


【ポイント】

 「性格転換」に必要なのは「プラス言葉の使用→希望の発見→確信の強化」「家庭的基本関係の充実(修復・充足)」「苦手なこと・やったことのないことに取り組む」の3つで


②「人間関係転換」の基本技術に習熟すると「ツキ」を呼び込める。


「人から学ぶ」気持ちがあれば誰とでも合うもので、「聞き上手」「質問上手」「議論上手」という3段階になります。「話し上手」になるより、「聞き上手」になる方が簡単で、誰にでも出来る方法です。そして、一方的、聞きっ放しになるのではなく、「ピンポイント」で質問をする「質問上手」になることが出来れば、聞く立場でありながら、相手にもプラスを与えることが出来るようになります。そして、継続的に「ピンポイント質問」を発することが出来るようになれば、それほどしゃべらなくても、「議論上手」になる道が開かれてくるわけです。


「運命の反復」(離婚、自殺など)や「トラウマ」(精神的外傷、心の傷)を解決するためには、「同じ立場」を再現して、「逆の立場」で引っくり返す「やり直し」「元返し」が必要です。

 例えば、「殺人者の心理」を迫真の筆で描いたドストエフスキーは、先祖に多数の殺人者と聖職者がいたことが知られています。ドストエフスキー自身は実際に殺人を犯したことはありませんが、いくつもの小説の中で「殺人者」「心の清い信仰者」が登場して激しい葛藤を演じているのは、「運命の反復」現象と見られています。ドストエフスキーはここで「昇華」することが出来たがゆえに、実際に殺人を犯すことはありませんでしたが、「昇華」出来なければ、先祖と同じことを繰り返した可能性があります。また、両親が離婚していると、子供が離婚するリスクも高くなりますが、子供は両親が陥った状況・心情を通過する可能性があることを熟知して、意識的努力をしないと、「運命の反復」が起き得るのです。

 また、「人間関係は人間関係でしか買えない」と言われるように、親子関係や友達関係、男女関係などで傷を負った場合には、同じように親子関係・友達関係・男女関係で修復・充実をする以外に道がありません。ただ、不思議なことに、父親との関係が悪い人なら「父親的存在」「父親との関係を修復するための人物」というように、「必要な時に必要な人」と出会っていることが多くあり、こうした「出会いの意味」「出会いの必然性」(これがすなわち「縁」です)を見抜けないと、チャンスを流してしまうことになってしまうのです。


「自分よりもっと悲惨な立場から這い上がってきた人」「メンター」(指導教師)になります。そして、「メンター」に恵まれた人は自分自身も「メンター」にならなければなりません。親やメンターへの「恩返し」は不可能であり、「恩返し」は子や次の人へするものだと考えるべきです。


「してもらってうれしかったこと」はプラスα(自分なりの工夫)を加えて人にもしてあげる、「してもらえなくて(されてしまって)悲しかったこと」は絶対に人にしない(自分の所で終わらせる)という2大原則が「人間関係」を劇的に変えていきます。


【ポイント】

 「人間関係転換」に必要なのは「聞き上手→質問上手→議論上手」「やり直し・元返し」「恩返し+悲劇の連鎖の断ち切り」の3つで



4 )人生の「節目」となる進学・就職・結婚という「選択」。

人生は「選択」の連続である。


「選択」「被選択」「不可選択」の3つがあり、能動的・意識的に変えられるのは「選択」です。「選択」には「能力」が大きく作用し、「被選択」には「徳」「縁」が関与し、「不可選択」「宿命」「受容」しかありません)としか言いようがないのです。


「選択」には、なぜこっちにするかという根拠である「選択基準」が前提にあり、「選択基準」は何となくか、必然的にこうかの違いである「絶対観念の有無」によって左右されます。


「成功者」ほど「決断に至る時間」が短いものです。同じ判断材料を使って、同じ結論に到るならば、それに要する時間は短ければ短いほどいいというわけです。


「進学」「就職」「結婚」などは「選択」のみならず、「被選択」も重要であり、両者の根底にはやはり 「運

が存在・介在しています。実は「選択」といっても「能力」一辺倒ではなく、例えば「夫婦運」が悪い人はよりによって、そういう相手・そうなる相手をわざわざ選んでしまうのです。客観的に見て「いい人」ではなく、逆にそういう人は「何となくムシが好かない」といって選ぶことが出来ず、自分の「夫婦運」に沿った相手を選んでしまうのです。これが、「自己分析」のメスが「潜在意識」「深層意識」にまで向けられなければならない理由であり、「我知らず、何となくそうなる」「なぜだか特定の人に惹かれる」ということに対しても、「それが自分なんだ、自分らしさなんだ」と受け止める前に、「なぜ、そうなのか、なぜそういう特定の傾向を持つのか」と意識的・自覚的努力をする必要があるのです。


●マリリン・モンローは男性遍歴が激しかったことで知られていますが、実は彼女が無意識のうちに求めていたのは「男性」でも「恋人」でも「夫」でもなく、「父親」だったと言われています。彼女も相手もそれに気付くことなく、ただ、パートナーの「男性」「恋人」「夫」は知らず知らずのうちに「父親」たることを要求されており、いつしかその重荷や食い違いに耐え切れなくなって、別れてしまったのです。マリリン・モンローも「この人かも、今度こそこの人かも、この人に違いない」と毎回信じ、期待しながら失望していったわけですから、「意識的・自覚的に求めているもの」「無意識的・無自覚的に求めているもの」が食い違った所(「代償」)に悲劇があったと言えるでしょう。

 あるいは、妻子ある男性とばかり恋に陥る女性もいますが、その男性が本気になって妻子まで捨てて「一緒に暮そう、結婚しよう」と言ってくると、途端に熱が冷めてしまうというケースも実に多く見られます。これはその男性に惹かれていたのではなく、その男性が「父親」であるが故に惹きつけられていたということです。だから、妻子を捨てて「父親」から1人の「男性」になった途端、なぜだか知らないうちに惹かれなくなってしまうのです。ここから男性の側が「オレはここまでやったのに」と深い恨みを抱き、首吊り自殺をしたケースもあります。およそ自殺の中でも首吊り自殺は、第一発見者に対する強い恨みの表示であると言われています。


【ポイント】

 「選択」するための「能力」を高めると共に、「被選択」のための「徳・善を積む」「縁を求める・大切にする」ことが大切で。さらに「自己分析」を「潜在意識」「深層意識」まで掘り下げないと、「自分が選んでいる」ように見えて、「選ばされている自分」がいることに気づくことが出来ません



「進学」「就職」「結婚」は人生を大きく左右する「節目」となる。


「進学」「就職」「結婚」「熟慮断行」すべき3大ケースです。これらは「人生の節目」とも言うべき大事件ですから、逆にこれらをうまくクリアすれば、その人の人生は「順調」と言ってよいでしょう。

 特に「結婚」はその影響力が桁外れに大きく、これは「結婚」が2人の人生の融合のみならず、2つの家庭・一族の接点ともなるため、大変なエネルギーの交差点となりやすいからでもあります。2人の間では単に「好きだから結婚する」ぐらいにしか考えていなくても、実際は全くそうではありません。「恋人」は私的・個人的関係ですが、「夫婦」は公的・社会的関係なのです。ちなみに「愛人」は私的・反社会的関係と言えるかもしれません。


「ある大学に入れるかどうか」は最終的には「運」です。


20代の仕事」は一生の仕事になりにくい、「転職」は30代までにとよく言われます。20代までは基本的に「修行」と考えるべきで、逆に40代以降は「何事も勉強だ」とうそぶいている段階ではないでしょう。もう多方面・多年月にわたって経験を積み、訓練を重ねてきたものを、「専門分野」において集約・結実させなければならないということです。40歳にもなって「専門性=何が出来るのか、何が得意なのか、何なら誰にも負けないのか」が無いということは、「自分の顔に責任を持っていない」のと同じです。

 したがって、大きな方向転換をするとすれば、必然的に30代までとなってくるわけです。「独立起業の場合であれば、30代までにリスクを取れなかった人は、40代になっておもむろに独立して企業するより、残り10数年をサラリーマンでいた方が「リスク管理」の点からも賢明とされます。もちろん、40代になってもチャレンジ精神・バイタリティ旺盛の人であれば、40代での方向転換もあり得るでしょう。


「天職」「与えられた仕事」をこなしていく中で「出会っていく」ものです。いわゆる「自分探し」も答えは遠い旅先にあるのではなく、むしろ「縁」あって出会った仕事上の要請に答えていくうちに、いつの間にか自分も気付いていなかったような適性や能力を発見していく中で、「これかな、ひょっとして自分のライフワーク、ミッションってやつかな~」と思えてくるのであって、最初からどこかにあるものではないということです。

 すなわち、自分の中にある「原石」を磨いていくことによって、「自己発見」していくものが「天職」と言えるのです。


1人」で成功した一流選手も、2人」で成功するのは簡単ではありません。


「夫婦」「家庭」「共同経営者」で、夫は営業、妻は総務であったり、夫はCEO(最高経営責任者)、妻はCFO(最高財務責任者)であったりするわけですが、「経営」に失敗すれば「家庭」も破綻することははっきりしています。


【ポイント】

 「進学」「就職」「結婚」という「人生の節目」をうまくクリアすれば、その人の人生は「順調」となります。特に重要なのは「結婚」で



5 )「時」を見抜く目と忍耐力・吸収力・向上心がカギとなる。

「時」の訪れは常にさりげないものである。


「決定的な出会い」「飛躍の原点」も、最初は「小さな出会い」「小さな変化」「小さな第一歩」に過ぎません。

 ここで問題なのは、1年後、2年後、3年後には千里の差が生じる違いでも、最初の差はたった一歩に過ぎないのです。カオス理論では「初期条件のわずかな違いが決定的な違いを生む」として、これを「初期値鋭敏性」と呼んでいます。


「最初に心に浮かんだこと」「自分の行くべき道」を的確に示しているケースが多いものです。ほぼ8方、答えは最初に出ているという指摘もあります。実は「内なる声」は最初に叫び、「理性」は後から追いついて、「それが出来ない理由」をいくらでも出してくるものなのです。これが「内なる声」「理性の声」の違いです。


●カウンセリングでもクライアントに「時」が来てしまったら(「機が熟す」ということです)、初対面だろうと2回目だろうと、一気に「真剣勝負」に踏み切らないといけないこともあります。

 ここで重要なのは「啐啄」(そったく)という概念です。卵の中のヒナ鳥が殻を破ってまさに生まれ出ようとする時、卵の殻を内側から雛がつつくことを「啐」といい、それに合わせて親鳥が外から殻をつつくのを「啄」と言うのですが、雛鳥と親鳥が内側と外側からつつくタイミングが一致することで、殻が破れて中から雛鳥が生まれ出てくるわけです。生まれる瞬間が分かるのは親鳥であり、その時に殻のどこが薄くなるかを分かって、そこにヒナ鳥を誘導するのです。これが人生の「節目」であるような「時」が来た時、しかるべき「場」に誘導するのが「天」(神)であり、だからこそ「天運」という言葉が出てくるのです。


●易学の大家で、「名人」と呼ばれた邵康節(しょうこうせつ)は朱子で頂点に達する「宋学」の主要人物の1人ですが、ある晩、門を叩く人があって、物を借りに来たというので、修行のために息子に占わせたと言います。

 後に「達人」と呼ばれるようになった息子は最初に一声があり、次に戸を叩いて五声があったことから卦(け)を取り、「剛金」が3つ、「長木」が3つ、象意として出たことから、「鋤(すき)です」と答えました。ところが、邵康節が息子を諭して言うには、「およそ易占を断ずるのには、数を論ずることも大切であるが、また、それ以上に理を論じ、考え合わせることも大切で、忘れてはならないことだ。今、卦を立てた、その道筋は正しいので、借りに来た物を鋤だと断じたことは誤っているとは言わないが、それだけでは理というものが忘れられていて、十分満足すべき判断とは言えない。今は夜なのであるから、夜に入ってから鋤を借りに来るということは普通にはないことで、今、借りに来た物は必ず斧であろう」というのです。果たして、門戸を叩いて物を借りに来た人は斧を借りに来たのでありました。夜になって寒くなり、薪を切ろうと思ったのですが、あいにく斧が壊れていたため、近くの邵康節の家に借りに来たということです。

 実に「名人」と「達人」の差が「斧」「鋤」の差なのですが、それよりも重要なことは「物事の変化」「機」と言います)の中に端的に「時の変化」(2つ合わせて「時機」と言います)が現われ、それを読み取る「カン」「直感」「直観」が磨かれる必要があるということです。


【ポイント】

 「小さな時の訪れ」を敏感に察知出来るようになると、「大胆な行動」も可能になります。逆に「時の変化」に鈍感なままであれば、「時」が過ぎ去ってみて(チャンスを逃してみて、失敗してみて)初めて悟ることとなるでしょう



「忍耐力」「吸収力」「向上心」さえあれば、最終的には必ず発展する。


「忍耐力」があれば、1~1.5年(遅くとも3年)で「環境」の方が崩れていきます。

 井原西鶴の『西鶴織留』(さいかくおりどめ)に「石の上にも三年」という言葉が出て来ますが、俗語として伝えられているとありますので、当時の庶民達の経験則として広く理解されていたのでしょう。実際、逆境・逆運にある時ほど、あたかも「この状況が未来永劫にわたってずっと続く」かのような錯覚に陥り、絶望にかられてしまいがちですが、これはまさに人間の弱さであり、簡単にはまってしまう心理上の落とし穴です。

 逆に自分を高めてくれる「縁」を求め、「積善」の道を行き、「最善を尽くす(do one’s best)」ことを心がけていると、間違いなく3年以内に道が開かれるから不思議です。これはいくらそういうもんだと口をすっぱくして説明しても、自分で1度体験してみる以外に無いでしょう。そして、1度そうした体験を持つと、次からは試練・逆境を乗り越えやすくなるのです。


「吸収力」があれば、どんなに「道」が見えないような状況でも必ず「道」が見つかります。

  「素直」な人は実は「発展型の運」の持ち主と言えます。我が強く、自己主張の強い人は一見すごい実力者のように見えますが、実は吸収力に柔軟性が無く、自分に無いものをどんどん取り入れていく度量に乏しくて、いつしか伸び悩むことが往々にしてあります。これは「実力者が陥りやすい落とし穴」とも言えるでしょう。これに対して、年下からだろうが何だろうが、自分にないもの、必要なものは素直に頭を下げて吸収していく人は、一見柔弱に見えますが、実はそら恐ろしい人です。3年、5年経つと確実に発展・成長していくからです。大体、「人間は口が1つであるのに対し、耳は2つ与えられた」と言われるように、自分のことをペラペラ話す以上に人の話をよく聞いて、そこから多くを学んでいくという姿勢は人間の本性に適っているのです。


「向上心」があれば、自分に必要な情報・出会いと「縁」が生じるものです。

 札幌バンドの原点となり、札幌農学校で近代日本の方向性を左右するような多くの人材を育てたクラーク博士は、その別れ際に「少年よ、大志を抱け!」を青年達に叫びました。実はこうした志、夢、理想、目標を持つことは潜在意識を活用する第一歩であり、あらゆる成功のカギは「潜在意識を如何に有効に活用するか」ということに尽きるとさえ言われるほどです。

 摩訶不思議な「運」なるものが、生きて感情を持ち、言動と行動を通じて日常生活を営んでいる生身の人間の実人生とどこでどう接点を持ってくるかというと、これは潜在意識・深層意識を通じて表面化・顕在化してくると考えられています。具体的には潜在意識・深層意識が検索エンジンのように機能して、自分に必要な情報・出会いを探し求めるのです。かくして、禅の革命児・六祖慧能は「全ての幸福の生じる畑は心の中にある」と喝破しており、シェイクスピアも「全ての用意はできている。もしも心に用意があるなら」と言っています。ナポレオンなども「想像力が世界を支配する」と豪語しています。

 

「忍耐力」「吸収力」「向上心」の3つが揃えば、「発展型の性格」が生まれます。

 よく現状からの逃避のために未来の自分を過信することがありますが(「今年はもう時間がないから、大学受験は来年に回そう」「2年かけたら出来ると思う」)、「未来の自分の可能性の根拠は今の自分にしかない」という厳然たる事実を心に留めておくべきです。今、確実な一歩を踏み出していない人は、1年後だろうか、2年後だろうが、千里先のゴールには間違いなく到達していないのです。

 今現在の状況をきちんと分析し、限られた時間を有効に使うべく、優先順位をつけ、最大限努力するという「今の自分にできる限りのこと」をできない人が、時間が経てば自然にできるようになることなどあり得ません。「今の自分にできる限りのこと」をしている人であるならば、力及ばず、目標達成ができなかったとしても、それ以上のことはできないので、止むを得ないこととして納得することができます。少なくとも「やれるだけのことはやった」わけですから、「後悔だけはしない」ことになります。そして、こういう人ならさらに時間をかければ、より少ない時間の中ではできなかったことも、達成する可能性があると言えるのです。

  「座して死を待つより、いさぎよく打って出るべし」と兵法学でも言いますが、「やるべきことをやり切ってダメなのか」、それとも「ただ何となく今までの延長でやっぱりダメなのか」は、同じ「ダメ」でも次につながる可能性の有無が違うのです。やるだけやってダメな人なら、別な勉強・仕事・目標なら成功することがいくらでもあるでしょう。やるべきことをやってもみないでダメな人なら、何をやってもダメでしょう。それはやるまでもないことです。


【ポイント】

 孤独でもさえなくても実績ゼロでも耐え抜ける「忍耐力」のある人、「誰からでも学ぶことが出来る吸収力」がある人、今の自分ではダメだと感じていたり、「こうなりたい」という思いが強い「向上心」がある人は、「逆境」の中でも最終的には「発展」していく人達で





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