保護者の皆さんにお願いしたいことが3つあります。
なかなか「やる気」になれない状態が続いたり、何となく「やる気」がなくなっていくということは、男女を問わず、年齢を問わず、実によくあるものです。よく聞かれるセリフは「とにかくだるい」「やっても長く続かない」「全然できない」「さっぱり分からない」「興味がわかない」「つまらない」「何のためにこんなことをやらないといけないのか、意味が分からない」「このままやっててもできる気がしない」といったところでしょう。
私の所にも「子どもにやる気がなくて、困っている。何とかできないか」という相談がよくあります。「馬を水飲み場に連れて行くことはできるが、無理矢理水を飲ませることはできない」とはよく言われることですが、人の感情・気持ちを言葉や命令でコントロールすることはまずできません。教育熱心な親御さんの場合、ついつい「子どもなんだから、親の言うことを聞いて当然」と考えてしまうようです。いろいろな示唆や感化は与えられたとしても、本人の気持ちを最終的にコントロールできるのは本人以外にありません。
ところで、高校中退者と千人以上も接してきますと、あることに気付きます。それは、世間一般のイメージと違って、彼らは決して頑張っていないわけでもなく、不真面目な人間でもないということです。同じように小学生・中学生・高校生・浪人生・短大生・大学生・社会人まで、あらゆる学年・年齢層にあらゆる科目を教えていますと、これまた「勉強ができない」で困っている人たちも決して頑張っていないわけではなく、不真面目な人間でもないことがよく分かります。また、私自身も不器用ながら比較的多くの職業を経験し、いろいろな職種の人に接してきましたが、いわゆる「仕事があまりできない」「要領が悪い」と見られている人たち(私はこっちに入っている時期が長かったです・・・)も決して頑張っていないわけではなく、必ずしも不真面目な人間ではないのです。
実際はほとんど真逆と言ってよく、彼らはけっこう「真面目」な「頑張りやさん」だったりするのです。真面目に頑張れば頑張るほどうまくいかず、自分ではどうしたらいいのか皆目見当もつかないため、「真面目にやってりゃいいってもんじゃないんだよっ!」などと強く言われてしまうと、トドメの一撃となるわけです。真面目さが取り柄なのに、「自分は真面目さしか取り柄がない」と思っているのに、そう言われてしまったら行き場がなくなってしまうのです(涙)。
要するに、「頑張っている人」は完全主義者、完ぺき主義者であることが多く、自分で勝手に「これぐらいやらないといけない」「これぐらい出来るようにならないと始まらない」とハードルを高く上げてしまっていて、そのハードルの高さに自分で意気消沈してしまっているわけです。「自分で自分の首を絞めてしまっている状態」とでも言いましょうか。冷静に現実を分かっている人から、「これだけやればいいんだよ」と教えてもらえれば、どれほど肩の力が抜けるか分かりません。「現実」「ノウハウ」「ポイント」「情報」といったものが分かっていないために、自分をついつい追い詰めてしまうのです(また、こういったものが分かっていない親御さんは、ついつい子ども追い詰めてしまいがちです)。
私は一応「できない子」対策の専門家ということになっていますが、いわゆる「できない子」「できない人」たちを見ていますと、「完全主義」の落とし穴の他にもう一つ、「優柔不断」という共通項があることに気づきます。とにかく腰が重い、何となくだらだらして時を過ごす、あいまいにしたまま結論を先送りする、小さな妥協が多い、といった具合です。
ぐずぐずしてなかなか決めかねている人、第一歩を踏み出せないでいる人には、私はよく「桃太郎」のお話をします。おばあさんは川へ洗濯をしに行きましたが、その時、川の上流から「大きな桃」がどんぶらこ、どんぶらこと流れてきました(本当の話では別の意味があるとテレビで話題になりましたが、誰でも知っているオーソドックスなお話で進めます)。おばあさんはそれをやり過ごすこともできました。何しろ、それまで何の前触れもなく、いきなり「非日常」の経験に遭遇したわけですから。あるいはこれをやり過ごしても、また次のが来るかもしれないと考えることもできました。ところがおばあさんには何か感じる所があったのでしょう。川にざぶざぶと入って行って、その「大きな桃」を取って来たのです。おばあさんとしては「珍しいからおじいさんに食べさせてあげよう」という動機だったかもしれませんが、家に帰って包丁を入れたところ、何とそれまで欲しくて欲しくて、でも得られなかった待望の「赤ちゃん」がその中にいたというわけです。
このように、「優柔不断」な人が「決断」「行動」に踏み切るためにはそれなりの「きっかけ」が必要です。そして、それはたいてい何かの記事を見たり、話を聞いたり、人と出会ったり、何らかの兆し(「大きな桃」)を伴って現われてきます(「時が熟した」「機が熟した」と言ってもいいかもしれません)。問題は何の前触れもなく、いきなり「大きな桃」が流れてきた時にどういう行動を取るかということです。おばあさんもまさか「ここに自分の願いをかなえてくれるものがあるに違いない」と未来を見抜いたわけではなく、「これは取らないといけない、取った方が得だ。こういうことは二度とあるかどうか分からない」と直感的に思ったのでしょう。同様に私がぶすぶすくすぶっていて煮え切らない生徒に対して、いろいろな情報を伝え、考え方や取り組み方、メンタル面でのコントロールの仕方などを具体例を挙げながら細かく教えていくと、確かに今まで誰も教えてくれなかったような内容を次から次へと知らされていくので、「大きな桃」がいきなり流れてきたような感じを受けるようです。でも私にできるのはここまでで、あとは本人にまかせるしかありません(川に入れば当然濡れるし、転ぶかもしれないし、ひょっとしたら意外に深くて溺れるかもしれないという不安も出て来るでしょう)。
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