「心と体の健康入門」

~「ストレス・フリー」から「自然治癒力」増強へ~



(1)「ストレス」は万病の元、「ストレス・フリー」は自然治癒力の元

①「ストレス」が「免疫機能」を低下させ、「未病」「発病」を生む

②「医療革命」とも言うべき「精神神経免疫学」の到達点

③「ノン・ストレス」だと無気力になり、「ストレス・フリー」だと活力になる


(2)「ポジティブ・シンキング」と「ネガティブ・フィーリング」のバランス

①ポジティブな思考と行動は「生活習慣」である

②ネガティブな感情は「現状認識」の必然の産物である

③「自分にとっての意味・意義」を「発見」出来る人は全ての環境・状況がプラスになる


(3)人間関係で「打撃」を受ける人と「飛躍」を得る人の違いは何か

①「人間関係」ほど「研究」が必要なものはない

②「ストレス」は全て「人間関係」から生れるといっても過言ではない

③「人間関係」が最大の「成長」と「幸福」をもたらす


(4)「呼吸」「栄養」「運動」「想念」が健康・不健康な「自分」を作る

①「ツボ」と「柔軟性」で簡単健康チェック

②恐るべき「呼吸」、当たり前が難しい「栄養」

③結局、人間は「思った通り」の「自分」になる


(5)「誰かのため、何かのために生きる」人は不思議とうまくいく

①突き詰めれば、最後に残るのは「努力」を超えた「運」である

②「何のために生きているか」でその人の「運のレベル」「器」が決まる

③「運がいい人」といつも一緒にいましょう



(1)「ストレス」は万病の元、「ストレス・フリー」は自然治癒力の元

「ストレス」が「免疫機能」を低下させ、「未病」「発病」を生む

「ストレス」「恒常性」ホメオスタシス、体の機能を一定に保つ性質)がゆがんだ状態。「ストレス」の原因となるものを「ストレッサー」と呼びます。

「免疫系」~生き物の体は病原体が侵入すると、それに対抗するために多くの段階の免疫システムを稼動させますが、精神的なストレスを受けても、体は同じように免疫システムを反応させます。実際、気持ちがゆるんでいたり、逆に緊張しすぎている時、極度に不快な状態にある時に免疫力が低下することが証明されています。2001年9月のアメリカ同時多発テロの被害者や1995年の阪神・淡路大震災の被災者達は免疫力が落ちているため、がんの発症率が高いという報告もあります。例えば、仕事で「嫌なこと」があって精神的にストレスを受けると、交感神経系が活動し、ノルアドレナリンアドレナリンが分泌され、もう一方では副腎皮質ホルモン(心身がストレスを受けると、急激に分泌が増えることから、「ストレスホルモン」とも呼ばれています)が分泌されて、「嫌なこと」を処理しようと体が反応しますが、これらの物質が分泌されると免疫システムが抑制されます。つまり、「嫌なこと」を処理しようと体がそこに集中してしまい、体外からの侵入者対策のセキュリティシステムが緩くなってしまう結果、精神的なストレス状態が続くと、その分、病気になりやすくなるのです。

「ストレス性疾患」~高血圧・高血糖やその結果としての動脈硬化、様々な心身症、胃・十二指腸潰瘍、過敏性腸症候群などの多くは、ストレス状態で交感神経系や神経内分泌系が活発化し続けるために起きます。また、「免疫」が抑制されると、風邪などの感染症がんを発症したり、過剰になるとアレルギー自己免疫疾患(本来なら自分の体を守るはずの免疫が自分の組織や細胞を攻撃してしまう病気)などになったりします。

「心身症」「心」の問題の関与が大きい身体疾患の総称です。精神の持続的な緊張やストレスによって発生します。身体的な検査で実際に異常を認めることも多い身体疾患ですが、症状の発生や症状の増悪に心因が影響している疾患を指します。心身症になりやすい人の性格傾向として、失感情症」アレキシサイミア)と呼ばれるタイプが指摘されています。これは自己の感情を意識的に認知することの苦手さや、空想力・創造力の欠如を特徴とする性格傾向です。「失感情症」の人は不満や不安などの感情を意識で認識する代わりに、身体で表現してしまうのではないかというメカニズムが考えられています。

「未病」~「聖人は既病を治すのではなく、未病を治す」(『黄帝内経』)で初めて使用された用語です。「既病」とは既に発病したこと、「未病」とは発病する前の状態を言います。日本未病システム学会では「自覚症状はないが、検査では異常がある状態」と「自覚症状はあるが、検査では異常がない状態」を合わせて「未病」と定義し、「自覚症状もあり、検査でも異常が認められる状態」を「病気(既病)と呼んでいます。

「生活習慣病」(lifestyle related disease)~糖尿病高脂血症高血圧高尿酸血症など、生活習慣が主な発症原因であると考えられている疾患の総称です。これらの疾患は虚血性心疾患脳卒中などの原因となり、最悪の場合死に至ります。一般に30~40歳代以上の世代から発症しやすくなり、かつその発症に生活習慣(食事習慣、運動習慣、肥満、喫煙、飲酒など)が深く関わると考えられています。肥満に加えて糖尿病高脂血症高血圧高尿酸血症などの生活習慣病を複合する状態を、医学的には「メタボリック症候群と総称します。かつては加齢によって発病すると考えられたために「成人病」と呼ばれ、特に脳卒中、がん、心臓病は3大成人病とされ、集団検診による早期発見、早期治療の体制が進められました。「成人病」という概念は、1960年代に「主として、脳卒中、がん、心臓病などの40歳前後から死亡率が高くなり、しかも全死因の中でも上位を占め、40~60歳くらいの働き盛りに多い疾病」として行政的に提唱されたものですが、その後の研究で、原因の大半が長年にわたる「生活習慣」にあり、間違った「生活習慣」によって高脂血症や高血圧がどの年齢にも起こり得ることが判明したため、子供の頃から予防に気を付けなければならないことなどから、1997頃から「生活習慣病」と呼ばれることが多くなりました。



「医療革命」とも言うべき「精神神経免疫学」の到達点

「幸福感」~毎日を幸福だと感じて生きている人は、大きなストレス受けたとしても、ほどよい刺激と感じることが出来ます。「幸福感」を持つことができる人に共通する特徴は、「自分自身が好きである」「主体的に生きているという感じが持てている」「楽観的である」「外交的である」などとされています。

「精神神経免疫学」(Psychoneuroimmunology、PNI)~脳、行動、免疫系の相互作用を研究する精神神経医学、心身医学の一分野です。この言葉はRobert AderとNicholas Cohenにより1975にロチェスター大学で初めて用いられました。「プラシーボ効果」「心身症「精神腫瘍学」などがこの分野に含まれます。「ストレス」「心理状態」が身体に与える刺激が「精神」(心)から「神経系」「免疫系」にも影響し、それが複雑に関与して健康維持や発病、病気の回復に関係している事実が研究され、心と脳や神経経路、さらに内分泌系や免疫が密接に連関し、身体を外敵から守って、良好な状態に維持しようとするシステムがあることが分かってきました。経験的に「病は気から」「風邪をひくのは精神がたるんでいるからだ」「驚異的な精神力で病気に打ち勝った」と言われて来たのに対し、「精神神経免疫学」は心(心理状態)が種々の疾患の発病や、治癒過程に密接に関連していることを科学的に解明しつつあります。つまり、ウイルスや細菌などの外的な要因が加わった時やがんが発病してしまった場合でも、心の状態が実際に発病や回復に大きく影響している可能性があるということです。あるいはストレスが多い場合には暴飲暴食やタバコの吸いすぎなど不摂生な生活をしやすく、長い間に肥満や高血圧を引き起こし、最後には心臓病・肝臓病やがんになりやすいと言えます。

「プラシーボ効果」プラセボ効果)~有効成分が含まれていない薬剤(偽薬、プラセボ)によって、症状の改善や副作用の出現が見られることです。偽薬効果とも言われ、暗示自然治癒力などが背景にあると考えられています。

「心身症」~身体疾患のうち、発症や経過に心理社会的ストレスの影響で機能的(器質的)な障害を伴った疾患群です。

「精神腫瘍学」(Psycho-Oncology、サイコオンコロジー)~「心」の研究をおこなう精神医学・心理学サイコロジー、Psychology)と「がん」の研究をする腫瘍学オンコロジー、Oncology)を組み合わせた造語で、がん医療における「心」を専門とする活動です。

例えば、がん患者は闘病に際して、次のような6Dと言われるストレスと直面するとされます。

(1)死の恐怖(Death)

(2)医療者への依存(Dependency)

(3)人生目標の中断(Disability)

(4)人間関係の途絶(Disruption)

(5)容姿の変貌(Disfigurement)

(6)倦怠、痛み、臭いなどの不快感(Discomfort)

さらに、がん患者で医療的介入が必要な精神心理的負担の状態を呈する者は約半数おり、その内訳は、適応障害(不安など)、抑うつせん妄が3大症状であることが分かっています。そして、厚生労働省「がん社会学」に関する合同研究班報告書によると、以下の5項目ががん体験者の悩みや負担の上位5つであるとされ、多種多様な心身両面のストレス要因とそれによる全人的な苦痛・苦悩があることが分かります。

(1)がんの再発、転移の不安、将来への漠然とした不安などの心 の問題

(2) がんの症状、がん治療の副作用や後遺症などの身体的苦痛

(3) 家族・周囲の人の関係

(4) 就労・経済的なこと

(5) 生き方・生きがい・価値観

 これに対して、精神的な面を配慮した治療(心理療法)により身体の免疫力が活性化され、ホルモンのバランスなどが回復し、治療効果が期待できることなども分かってきました。



「ノン・ストレス」だと無気力になり、「ストレス・フリー」だと活力になる

「ほどよいストレス」「ストレス」にもプラスに働くストレスとマイナスに働くストレスの両方があります。そのため、人間の体はストレスが弱いと十分に機能が発揮されず、逆に強すぎると機能が抑制されます。大事な時に緊張しすぎていてうまく出来なかったり、リラックスし過ぎていてミスが出たりする一方で、ほどよい緊張感がある方がベストの能力またはそれ以上の力が発揮されるのです。

「発達課題」(developmental task)~教育心理学者のハヴィガーストが提唱した概念で、「人間が健全で幸福な発達をとげるために各発達段階で達成しておかなければならない課題」であり、「次の発達段階にスムーズに移行するために、それぞれの発達段階で習得しておくべき課題がある」とされます。その後、エリクソンなど様々な心理学者がそれぞれの発達課題を提言していますが、一般に発達課題は次のような意義と特徴を持っているとされます。

①自己と社会に対する健全な適応にとって必須の学習である。

②本質的には一定の期間内で学習されなくてはならない。その後も存在し続ける課題もあるが、その意義は弱化していく。

③発達課題は子どもから高齢者に至るまでの各年齢段階にある。

また、各段階には健全と相反する危機(crisis)が存在し、健全な傾向を伸ばし、危機的な傾向を小さくしなければならないとされます。したがって、「ストレス」は単に空間的・環境的・状況的なものだけでなく、時間的・発達的・段階的にも生じ得るものとなります。「生活習慣」に現在性のみならず、歴史性・蓄積性があることは言うまでもありませんが、「発達課題」という視点(達成・未達成やそこから生じる心身のゆがみなど)も必要になってくるわけです。

【ハヴィガーストによる青年期の発達課題】

青年期における同輩グループの形成

①同年齢の男女との洗練された新しい交際を学ぶこと。

②男性として、女性としての社会的役割を学ぶこと。

独立性の発達

③自分の身体の構造を理解し、身体を有効に使うこと。

④両親や他の大人から情緒的に独立すること。

⑤経済的な独立について自信を持つこと。

⑥職業を選択し、準備すること。

⑦結婚と家庭生活の準備をすること。

⑧市民として必要な知識と態度を発達させること。

人生観の発達

⑨社会的に責任ある行動を求め、それを成し遂げること。

⑩行動の指針としての価値や倫理の体系を学ぶこと。

【エリクソンのライフサイクル(人生周期)理論における各段階の発達課題】

乳児期信頼~養育者との関係を通じ、周囲への信頼を学び、今後の人間関係の基礎を作る。

幼児前期自律性~排泄など身の回りのことを自分でやり通ることから自律性を身につける。

幼児後期自主性~周囲に対する好奇心、真似から積極性や社会的役割を身につける。

学童期勤勉性~勤勉な態度によって能力を習得し、周囲の承認を得る喜び、達成感を学ぶ。

青年期自我同一性アイデンティティ)~自分が何者であるかを確立し、自分の生き方、価値観をを形成する。

成人前期親密性~アイデンティティを確立した上での親密な関係を友人・異性との間に築く。

成人期世代性~社会の存続のため、次世代の人間を育成する必要性を認識する。

老年期統合性~自分の人生を受け入れ、肯定し、円熟した人格を形成する。

「自然治癒力」(spontaneous cure)~「自分の力で病を癒し、治す自然の力」 のことで、「自己治癒力」とも呼ばれます。人間・動物などの心身全体が生まれながらにして持っている、ケガや病気を治す力・機能であり、手術を施したり、人工的な薬物を投与したりしなくても治る機能のことです。体が外傷などを負った時に、それが少々の規模であれば傷を治す「自己再生機能」と生体の外部から浸入してくるウイルス・細菌類と戦う「自己防衛機能」免疫)が認められます。

 特に免疫機能」は非常に高度で精密・複雑なシステムであり、免疫機能を担っている要素の例としてはリンパ球が挙げられます。「リンパ球」の中には、全身をパトロールしながら、がん細胞やウイルス感染細胞などを見つけ次第、攻撃するナチュラルキラー細胞NK細胞)、体液性免疫の中心となり、抗体産生を行うB細胞体液性免疫で抗体産生を誘導する「ヘルパーT細胞細胞性免疫でウイルス感染細胞を破壊する「キラー細胞」などが知られています。



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(2)「ポジティブ・シンキング」と「ネガティブ・フィーリング」のバランス

ポジティブな思考と行動は「生活習慣」である

「サイモントン療法」~米国で放射線腫瘍医としてがん治療の第一線で活躍していたサイモントンにより開発された、「がん患者と家族・支援者のための心理療法」です。サイモントンは臨床現場で多くの患者さんを治療していく中で、人生に喜びを見出して日常生活を送り、治療にも前向きに取り組んでいる患者絶望感にさいなまれて治療を受けている患者との間に、病気の経過の質や体調に大きな差があるということに気づいたのです。

そこから、患者や患者を支える方々の心の在り様が治療に大きな影響を与えると考えるようになりました。

 サイモントンは心理面での治療が実際に身体面での治療に効果を示しているかどうかを科学的に調べ、1978年にその研究成果を発表しました。それによると、生存可能期間は平均12ヶ月とされていた「末期患者」(医学的に不治と考えられている患者)159名を4年間にわたって治療した結果、63名の人々の平均寿命は癌が判明してから24.4ヶ月でした。また、治療を行った群のうち、死亡した患者の平均寿命は20.3ヶ月で、対照群の約1.5倍以上も生き長らえ、生存している患者の生存期間は普通の身体的治療だけを受けた患者の約2倍でした。がんが消滅した者は22.2%、退縮した者は19.1%、安定している者は27.1%で、「生活の質」の面から見ても、51%の患者ががんの診断以前と同じレベルの生活を維持し、76%の患者は発病以前の生活行動の7~8割を維持しているという状態だったと言います。それまでの臨床の経験から判断して、末期患者がこれほどの生活能力を維持出来るということは、全く驚異的な現象だと考えられるのです(カール・サイモントン『がんのセルフコントロール』より)。

「マーフィーの成功法則」~ジョゼフ・マーフィー(1898~1981)は神学、哲学、法学、薬理学の博士号を持つだけでなく、教育家、講演家、教会の牧師としても幅広く活躍しており、著書は35冊以上に及び、世界各国で3,000万部以上翻訳・出版されています。「年収5000万円以上の人でマーフィーを読んでいない人はいない」と言われたりもしますが、その理論は「潜在意識」には実に驚くべき力があること、そして、それを科学的アプローチにより活用することで、人間の願望を実現させようとするものです。恐れや疑念など、否定的な思いに引きずられることなく、自分の望むものを肯定的に求め、それを潜在意識に深く刻印すればその望みは必ずかなうという、実に単純で明快なものなので、「心の科学」が盛んなアメリカにおいても先駆的な存在であり、今なお圧倒的な支持を受けています。

「あなたの潜在意識は印象を受けたこと、あるいは意識的に信ずることを受け入れます。意識する心とは違って、思考することはしませんし、また、あなたと言い争うこともしません。あなたの潜在意識は土壌のようなもので、よい種子であろうと悪い種子であろうと、どんなものでも受け入れるのです。否定的・破壊的な考えは、あなたの潜在意識の中で否定的に働き続けます。そして、そのうちにそれに応じた外的経験として芽を出してくるのです。」(ジョゼフ・マーフィー『眠りながら成功する』)



ネガティブな感情は「現状認識」の必然の産物である

「結局のところ、ポジティブ・シンキングというのはマイナスの部分を単に無視しているだけなのだ。だからそれ以上の進歩は望めないことになるし、問題が大きくなっていくだけだ。」(精神科医大野裕、認知療法の日本における第一人者)

「朝のこない夜はない

 私は親父の没落後、年少から青年期にかけて、いわゆる逆境の中を泳いできた。

 そのときはつらいと思ったり、家をとび出してしまおうかと思ったり、いやだ、いやだ、と思ったこともある。しかし、一つの波(つまり逆境)を乗り越えて、それを振り返ってみたときが、人生の中でいちばん愉快なときである。自分自身の心の中でそう思うのでなく、そのときこそ生命の充実というか、ほんとうに生きがいを感ずるのだ。そしてまた次の波がきたら、よし、今度も立派に乗り越えて見せるぞ、朝のこない夜はないのだから…と思う気が出てくるのである。」(時代小説家吉川英治、『宮本武蔵』などの作品で有名)

仏教の原点「四苦八苦」~仏教は「人生は苦である」(「一切皆苦」)という認識から出発しました。

「四苦」=生・老・病・死(しょうびょうろうし)。この苦の認識からガウタマ・シッダッタの出家「四門出遊」へとつながります。

「八苦」=四苦に「愛別離苦」(あいべつりく、愛し合うものが別れてゆかねばならないこと)、「怨憎会苦」(おんぞうえく、憎む対象に出会わなければならないこと)、「求不得苦」(ぐふとっく、求めても得られないこと)、「五薀盛苦」(ごうんじょうく、存在を構成する精神的・物質的5つの要素に執着する、人間生存自身の苦を示します)の4つを加えたものです。

③「苦」を克服する各種パターン=仏教では次のような「苦」の克服法を提示しましたが、実はこれらは全て必要で、総合的・包括的・全人的アプローチが欠かせません。

上座部仏教=「苦」の原因からの「逃避」。「苦」を誘発するものとの接触を避けることです。

浄土系大乗仏教=未来に希望を託して今を「忍耐」すること。自分を超えた力の介入を求めることです。

法華系大乗仏教「発想の転換」。「苦」に対する見方を変えれば「楽」にもなるということです。

密教系大乗仏教「原因の打破」。「苦」の原因そのものを消滅させる「力」を持つことです。



「自分にとっての意味・意義」を「発見」出来る人は全ての環境・状況がプラスになる

キェルケゴールの「実存弁証法」~キェルケゴールは人間の自己生成の問題を3つの「実存段階」において展開させようと試みました。

「美的実存」=就職より趣味、結婚より恋愛、外的対象の美的享楽、自分の内面を享受する美的・感性的段階。人間が自己の実存の意義と課題をまだ意識していない直接的な生存の段階。この段階にある人間は次から次へと享楽を追って生きており、健康や美が最高の善だという考え方もこの段階です。しかし、このような享楽の果てに待っているのは倦怠であり、退屈です。そして、健康は不安定であり、美は移ろいやすい。結局、このような「美的実存」の段階はそれ自体が矛盾であるがゆえに、目標の追求はついに挫折絶望に陥り、一層高い実存段階への以降に道を開くことになります。

「倫理的実存」~結婚生活と職業生活を真面目に選び取る、日常の人間的義務を真剣に営む倫理的立場。人間が自己の実存の意義を自覚しており、人間が実存しながら実現すべき普遍的人間的なもの、すなわち倫理的なものを義務の名の下に理解している段階。「倫理的に生きる」とは「人間が自分のなるべきものとなる」ことですが、このような倫理の根底には、人間は誰でも普遍的人間的なものをこの個別的な自己の内において実現することができるという前提が潜んでいます。だが、倫理的実存の徹底的な追求によって、そのような前提の不条理が暴露され、この挫折不安絶望を通して次の段階へと進むことになります。

「宗教的実存」

「宗教性A」内在性の宗教(キリスト教以外)の段階。「わたしは特定の宗教は信じないが、神や霊の存在は信じる」というもので、何の普遍的な媒介もなしに、神の前にただ独り立つ「単独者」であり、「主体性が真理である」とされます。

「宗教性B」超越性の宗教(キリスト教)の段階。負い目の意識罪の意識を持ち、「主体性は虚偽である」とされ、「キリスト」を通して成就する「神との逆説的な関わり」こそが本来の信仰であり、実存であるとします。

エックハルトに見る「牧会」(キリスト教的カウンセリング)マイスター・エックハルトは、ドミニコ会修道僧にして中世最大の神秘主義者であり、説教者として優れていたことでも知られています。人間が抱く苦悩を消去することは出来ませんが、自らを捨て超越者に全てを委ねることでより正しい方向へと導かれることが出来るので、彼はキリスト者としてどのように生きるべきか、どのように外的な世界と関わるべきか、を主に説いています。

 エックハルト 思想は禅に似ているとされ、失ったものを恨むのではなく、与えられたものを感謝しなさいと言います。いくらかお金を失った時でも、残っている部分感謝せよ、私たちは生まれた時には何も持っていなかったではないか。マタイ福音書の有名な「片目で神の国に入る方が両目そろっていてゲヘナ(地獄)に投げ入れられるよりは、あなたにとってよいことです」というイエスの句もエックハルトによれば、片目の人は失った目のみを後悔することなく残った片目を感謝しなさい、という話に解釈されるのです。無くなったものではなく、そこにあるべきものを「前向きに」重視する。また、エックハルトキリスト者といえども、現世の何らかの仕事に従事しなければならないことを踏まえ、キリスト者として仕事をなすことを善と見なします。このような考えは中世キリスト教の神学者とは思えない程に近代的であり、仕事を肯定的に見なし、仕事によっても神の意に適うことができるというエックハルト仕事観はカルヴァン労働観の先駆とも言われているのです。

また、エックハルトによれば、自らを消し去り、神の子として生まれ変わったものは被造物を超えた存在となるため、如何なる被造物からも悩まされることが無くなるとされます。被造物から生まれたものは被造物に悩まされますが、被造物にあらざる神から生まれたものは被造物による悩みを持ちようがない。それでは現に悩みがある者はどうすべきなのかというと、悩みを神から受け取るべきであるとエックハルトは言うのです。神の内で「神、共に悩み給う」のを喜ぶべきなのであるというのです。悩みが消えるような慰めが神から与えられない時は、「恩寵を受けない」という仕方で受け取っているのであり、受けないということで受けることにより、一層本来的に神を受容することになると考えます。あらゆるものを受容することはエックハルトの中心的な教説の一つなのです。



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(3)人間関係で「打撃」を受ける人と「飛躍」を得る人の違いは何か

「人間関係」ほど「研究」が必要なものはない

「人間関係論」生産性を高めるためには従業員のモラルを高める必要があり、そのためには職場の人間関係の改善が求められることを主旨とする理論です。E・メイヨー、レスリーバーガーらが行ったウェスタンエレクトリック社でのホーソン実験から始まりました。

 この実験では工場で温度、環境、騒音などを変化させ、作業する職人達の能率がどうかわるか実験を行ったのですが、どんなに劣悪な環境で働かせようとも、すばらしい環境で働かせようとも、あまり能率に変化がないことが分かったのです。要は彼らは常にすばらしい能率を発揮したわけで、これを分析した結果、工場の職人達は「自分達は世界的な実験、ホーソン実験に参加している」という意志が能率を高めたと考えられ、作業環境より人間の意欲、人間関係という部分が能率に大きく影響することを発見したということです。

 このことから、経営管理の前提「人間とは経済合理性に基づく行動、意志決定を行うものだ」というテイラーらから始まった「経済人モデル」の考え方から、「感情によって行動、意思決定を行うものだ」との前提に立った「感情人モデル」へ移行することとなり、能率を高めるには「感情へのアプローチ」が重要であるとされたのです。

メイヨー、レスリーバーガーの「人間関係論」生産性を向上させる要因となるのは仲間との感情であるとしました。労働意欲は自己の職務、仲間に抱いている感情により影響されるわけです。

レスリーバーガーの「公式組織・非公式組織論」~社内に組織する公式組織と呼ぶもの以外に非公式組織が社内にあることを発見しました。

マズローの「欲求5段階説」~人間の基本的欲求は5段階の階層に分けられ、「生理的欲求」「安全・安定の欲求」「社会的欲求」「自我(承認)の欲求」「自己実現の欲求」というように位置付けられます。下が満たされると上を満たしたくなり、欲求は無限に続くとされます。

マクレガーの「X、Y理論」~人間とは怠け者であるから監督による管理が必要であるとする「X理論」と、人間とは自発的であるから目標による管理が有効であるとする「Y理論」を提唱し、Y理論に基づく管理の優位性を説きました。

ハーズバーグの「動機付け・衛生理論」~人間には「自己実現欲求」「不快回避欲求」の2つの欲求があり、これを「動機付け」「衛生」と呼んでおり、「不快回避欲求」を充足しても、不満足は減少するが動機付けは出来ないということが重要な視点となっています。
主な衛生要因不満足の要因)~ 経営政策、監督技術、給与、人間関係。

動機付け要因満足の要因)~達成、承認、昇進、仕事そのもの。



「ストレス」は全て「人間関係」から生れるといっても過言ではない

「原初療法」プライマル・セラピー)~後の人生に影響を及ぼしている初期のトラウマに対処させることで神経症を解消させる療法です。「絶叫療法」とも呼ばれます。アメリカの精神科医アーサー・ヤノフが考案しました。

 ヤノフは「両親から愛されること」「ありのままの自分であり続けること」を人間の基本的要求としており、幼児期のトラウマ、満たされなかった欲求、愛情の欠如が感情を抑圧することにつながり、成人後に神経症や感情的な問題を引き起こす原因になると考え、「原初の叫び」プライマル・スクリーム)を表現させる、つまり「原初的苦痛」(Primal Pain)を再体験させることで、患者が抑圧してきた感情を解放するのを助けようとしました。プライマル・セラピーの患者の一人にジョン・レノンがいます。
 治療では、患者はセラピストに自叙伝を渡し、面接を受けた後、3週間の集中治療を受けて、当時の問題点を話し合います。治療のプロセスは自然に任せるが、セラピストの役割は患者が苦悩に向き合えるように励まし、患者を楽にしてあげることです。この再体験と記憶の再燃により神経症が癒されるのです。治療の効果は脳の機能・構造の変化、血圧と心拍の低下、ホルモンの変化、またときには免疫システムの変化までもたらすことで分かると言います。

『ジョンの魂』(John Lennon/Plastic Ono Band)~1970に発表されたジョン・レノンアルバムです。これ以前にもジョン・レノン&オノ・ヨーコの名義でアルバムを発表していましたが、本作はビートルあるズ解散後初めて発売されたジョン・レノンのソロ・アルバムで、全英8位、全米6位(『ビルボード誌』)を獲得しています。

 本作のレコーディング前に、ジョンとヨーコの二人はアーサー・ヤノフによる「プライマル・スクリーム」という精神治療を受けていました。プライマル・スクリームとは、人間心理の奥深くに潜む苦痛を呼び覚まし、幼少期の記憶にまで遡って、全てを吐き出すという治療法です。これを体験したジョンは、学生の頃に母を失った記憶などが蘇り、大声を上げて泣き出したと言います。そうした経緯もあり、この『ジョンの魂』はジョンの人間性が色濃く表れたパーソナルな作品であると言え、「マザー」「悟り」「ゴッド」などはそうした思いが溢れているのです。また、「労働階級の英雄」や「ウェル・ウェル・ウェル」のように、極めて政治的・社会的な楽曲も多く、こうした主義・主張は次作『イマジン』に受け継がれています。

 ロック・スターの苦悩や感情をありのままに表現した最初期の作品とされ、発表当時から評論家などの評価も非常に高かく、数ある名盤ランキングなどでもたびたび上位にランクインしています。



「人間関係」が最大の「成長」と「幸福」をもたらす

「父性原理」と「母性原理」「パーソナリティ」の発達にあたって、フロイトが創始した「精神分析」は4~6歳頃の「エディプス期」「母親・父親・子どもの三者関係の情緒的葛藤と超自我の形成=エディプス・コンプレックス」を重視し、日本の親子関係や文化習俗の伝統を精神分析に持ち込んだ古沢平作や小此木啓吾は「エディプス・コンプレックス」に代わる「阿闍世コンプレックス=母子の相互的な許しと癒し」の概念を持ち込みました。これは日本の文化的特性である「集団主義」「情緒主義」をうまく説明します。

 「エディプス・コンプレックス」と「阿闍世コンプレックス」の最大の違いは、「エディプス・コンプレックス」がキリスト教倫理に根拠づけられるような「父性原理に基づいた感情的葛藤=近親相姦禁忌を示唆する三者関係」であるのに対して、「阿闍世コンプレックス」が仏教経典に題材をとりながら「母性原理に基づいた感情的葛藤=甘えや依存を許しあう二者関係」であることです。

三者関係の「エディプス・コンプレックス」の葛藤を経験する意義は、「母親への性的関心の断念」「幻想的な母子一体感を切断する父親の登場による超自我の芽生え」であるとされますが、エディプス期は母親への強固な依存と愛着を弱めていく時期と解釈すれば分かりやすいでしょう。それは親密な閉じた家族内関係を克服して、見知らぬ他者との社会関係へと自分を開いていくという意味を持ち、心理的自立の小さな第一歩とも言えます。「見知らぬ他者」とは単純に家族外部の人間という意味ではなく、「一方的な甘えや依存によって自分に対する世話や愛情を引き出す事が不可能な他者」という意味です。社会環境で自立して生きていく為には、人間関係を家族から家族外への他者へと発展させていくことで「家族の一員」であると同時に「社会の一員」とならなければならないのです。

社会の中で生きていく為の相互利他的な「社会規範・倫理規範」を学習して内在化する時期が「エディプス期」であり、社会の中で出会う他者の原型を模範的に示すのが「エディプス・コンプレックス」において去勢不安をもたらす「父親」(父性的な厳格性・規範性・現実性)なのです。すなわち、「エディプス・コンプレックス」における「父親」とは、「一方的な甘えや依存を拒絶して、精神的自立の芽生えを促す他者」であり、「厳しい社会環境で生き抜く為の社会規範・倫理規範を提示する他者」なのです。
 子どもにとっては、理想的な自己像を形成し、「社会適応」を促進する「父性原理」「精神的安定」をもたらして自分の居場所を作ってくれる「母性原理」もどちらも欠かせないものです。そして、この世界には「父性原理」で生きなければならない社会的環境もあれば、「母性原理」で生きても良い親密な人間関係もあります。育児において、「包み込む母性原理」が過剰になれば、引きこもりやニート、モラトリアムの延長のように、家庭環境から自立出来ず、社会環境に適応出来ない非社会的行動の問題が発生しやすくなるでしょう。反対に、「切断する父性原理」が強くなり過ぎれば、孤独感や寂寥感が強くなったり、他者に対する寛容や忍耐に欠ける冷淡な人格が形成されやすくなるのでしょう。また、徹底した「父性原理」に基づく行動を示す人の場合には、「他人は競い合い対立する敵」という認識が強くなり、他人に甘えたり、他人を信頼する事が難しくなるという心理的問題が生じたり、秩序や規則を機械的に守る事への強迫的なこだわりが生まれて、環境不適応の問題などが起きることも考えられます。つまり、「切断する父性原理」と「包含する母性原理」の適度なバランス感覚を持って、教育や育児を行うことが大切だという事が分かるのです。

「夫婦の絆は親子の絆を十字に切り結ぶものである。新しい結合は、古いものの切断を要請する。若い二人が結ばれるとき、それは当然ながら、それぞれの親子関係の絆を切り離そうとするものである。一度切り離された絆は、各人の努力によって新しい絆へとつくりかえて行かねばならない。この切断の痛みに耐え、新しい絆の再製への努力をわかち合うことこそ、愛と呼べることではないだろうか。それは多くの人の苦しみと痛みの体験を必要とするものである。このような努力を前提とせず、ただ二人が結ばれたいとのみ願うのは、愛などというものよりも『のぼせ』とでも呼んでおく方が妥当であろう。他の何事をしてもいいが、『愛する二人が結ばれると幸福になる』という危険思想にだけはかぶれないようにして欲しい、と願いたくなってしまうのである。」(河合隼雄『家族関係を考える』)

兄弟姉妹関係「友情」「恋愛」のベースになるのが「兄弟姉妹」の心情関係です。これが豊かであればあるほど、「友情」「恋愛」「結婚」が人格的成長上プラスに転じやすく、逆に貧困であるとマイナスに転じやすくなります。

長子=必要以上に構われる、神経質に扱われる、大きな期待をかけられる、甘やかしすぎ、あるいは厳しすぎ、一人っ子時代は過干渉で、次子の出現時から突然無視される→真面目(融通がきかない)、保守的(型にはまる)、おっとりしている(要領が悪い)、正直(単純)、欲しいものでも遠慮する、自分を良く見せる、度胸がなく、権威に弱い、人見知りする。

(1)長子としての兄「真面目、慎重、責任感」。しっかり順調に育つ人。何事にも慎重で、時には融通がきかないとの評価を受けますが、それは責任感の裏返しです。危険なことにはなかなか手を出さない性格で、それゆえリスクが少なく、堅実に仕事をこなします。これまでの一流企業の社長には、この兄型が多いとされます。一見面白味に欠けるように見えますが、少々仕事が厳しくても弟・妹型のように不平不満を漏らすことが少ないのです。慎重さの中にもプライドが隠されており、また、論理的な側面が強いとされます。

 期待される性格:強い意志、落ち着き、指導力、勇気。
 許容される性格:威張る、怒る、気難しさ。
 異性との交際:交際下手で、相手の意思を常に意識する。

(2)長子としての姉「真面目、気配り万全」。兄型と同様、折り目正しく育てられてきた人。兄との相違は、母親が同性の姉に対しては兄を育てるよりも、一層厳しく育てているということです。母親は理想の女性像を姉に求めることが多いです。周囲への気配り、目配りが行き届いていて真面目で、出しゃばらない。教師や看護婦、ボランティア、一流企業のキャリアに多いです。何事かを率先して行うより、頼まれることを待ってから着手する傾向があります。

 期待される性格:落ち着き、大人しさ、控え目、世話好き。
 許容される性格:なし。
 異性との交際:強くない男性の面倒を見たがるが、頼りないだけだと飽きる。

真ん中の子=面倒がらない、好き嫌いが明確、自己表現が下手、気に入らないと無口になる、一度怒ると大変、愚痴が多い、計画性がなく失敗する、優柔不断。

(1)真ん中の子としての弟「サービス精神、呑気」。エリート型の兄に対し、自由奔放な弟は、兄への競争心へ燃えます。兄を乗り越えたいという欲求が、攻撃性や上昇志向へ向かう場合が多いです。幼少時から家族を楽しませるのが好きで、その延長線上で、スター性を発揮することもあります。外向的だが、根本的には我が儘で甘えん坊。

期待される性格:勇気、楽天さ、冒険好き。
 許容される性格:粗野、強情。
 異性との交際:無計画に行動、手が早いか、表面的ないい人。

(2)真ん中の子としての妹「甘え、大胆さ」
 大変要領がいい。甘え方には天賦の才能を発揮します。弟同様、姉に対する競争心が強く、姉への反発をバネに過激に自己主張することも多いです。既存の価値観や常識を実質的に重視し、しばしば転職をします。奇抜で面白いアイデアはありますが、リーダーシップを他者に依存する傾向があります。

期待される性格:なし。
 許容される性格:おしゃべり、人に頼る、我がまま。
 異性との交際:徹底的に尽くすが、情熱の浮沈が激しい。

末子=協調性(お調子者)、世話好き(お節介)、要領がいい(ずる賢い)、サービス精神旺盛、巧みな自己表現。

(1)末子としての弟「サービス精神、呑気」。エリート型の兄に対し、自由奔放な弟は、兄への競争心へ燃えます。兄を乗り越えたいという欲求が、攻撃性や上昇志向へ向かう場合が多いです。幼少時から家族を楽しませるのが好きで、その延長線上で、スター性を発揮することもあります。外向的ですが、根本的には我が儘で甘えん坊。

期待される性格:勇気、楽天さ、冒険好き。
 許容される性格:粗野、強情。
 異性との交際:口先上手、交際巧妙。

(2)末子としての妹「甘え、大胆さ」
 大変要領がいい。甘え方には天賦の才能を発揮します。弟同様、姉に対する競争心が強い。姉への反発をバネに過激に自己主張することも多いです。既存の価値観や常識を実質的に重視し、しばしば転職をします。奇抜で面白いアイデアはありますが、リーダーシップを他者に依存する傾向があります。

期待される性格:なし。
 許容される性格:おしゃべり、人に頼る、我がまま。
 異性との交際:お節介で、亭主関白の男性と釣り合う。

一人っ子=マイペース(自分勝手)、非社交的、表現力豊か、体裁を気にする、神経質・情緒不安定。

(1)男の一人っ子「自己最優先」。両親の、特に母親の溺愛の下に育てられた人。しばしば協調性に欠如する。一芸に秀でるという特徴があり、個性が重要視される学者や芸術家に多い。

異性との交際:一心不乱に行動するようだが、実は冷めている。

(2)女の一人っ子「唯我独尊」。唯我独尊で協調性に欠如する。また、自分だけの得意分野を持ち、そこに力を発揮する。これらは男の場合と同様だが、男の場合との相違は、男に暗さや弱さがあるのに対し、女は強いということ。これは母親が同性であることから厳格に育てている為である。中性的な雰囲気があるので、同性から人気が出る場合がある。

異性との交際:勝ち気。年下の男性とは合わない。



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(4)「呼吸」「栄養」「運動」「想念」が健康・不健康な「自分」を作る

「ツボ」と「柔軟性」で簡単健康チェック

手のひらのツボで分かる急性疲労と内臓疲労~押してみて「痛みを感じる」「気持ちがいい」などがあれば自分のツボの目安となります。したがって、東洋医学の教科書に書いてある記述と完全に一致するわけではありませんが、誰でも手軽にできる判断法として便利です。健康な人、身体が柔軟で適応力の高い人はツボを押しても痛がったりはしませんが、体が固い人、柔軟性に欠ける人は「ギャー!」と叫んで転げ回って痛がります。

①まず最初に相手の親指と人差し指の間、カッパの水かきのような部分の奥を、親指と人差し指で「バッチグー!」とつまむように押えます。これはいわゆる「合谷」というツボで、合谷はツボの中でも「万能のツボ」と言われています。これが痛ければ、「疲れ」がたまっている証拠です。ただそれが一時的な疲労なのか、内臓がやられていて慢性的な疲労となっているかは分からないので、次に内臓のツボを押してチェックします。

②手のひらの親指の付け根がこんもりした丘になっていますが、生命線の横を指先から手首側に向けて、一、二、三と三ポイントを順番に押していきます。

③一番指先側のポイントは肝臓・腎臓系のツボです。ここを押して痛がる場合は肝臓・腎臓系がやられていると思われ、具体的には「疲れが取れない」ということがよくあります。いくら寝ても疲れが取れた気がしない、朝起きた時もスッキリしない、といった場合、たいていここを押えると痛みを感じます。

④真ん中のポイントは胃のツボです。胃はストレスを敏感に感じ易い臓器なので、ストレスがたまっていたり、神経質な性格だったりすると、ここのツボをぐっと押えただけで激痛が走ります。小中学生でもここを痛がる子が増えていますので、「受験生活」「勉強生活」の中で相当ストレスがたまっていることがよく分かります。

⑤一番手首側のポイントは腸系のツボです。ここを押して痛いようですと、下痢か便秘かどちらかを起こしていることが多いのです。

⑥この手のひらのツボは足裏のツボとも連動していて、土踏まずのアーチ型の部分をつま先側からかかと側に向けて、順番に一、二、三と三ポイントを順番に押していけば、手のひらのツボと同じことが分かります。

ツボによる遠隔操作で内臓強化~ツボはチェックのみならず、遠隔操作による内臓強化にも使えますので、痛いツボをもんだり、押したりすることで、弱っている内臓に刺激を与え、1週間から2週間かけて徐々に整えていくことができます。ただあまり慢性化していると、1か月ぐらいかかる場合もありますが、遅効性でコントロールすることができます。

「頭の固さ」「心の固さ」は「体の固さ」と連動する~自分の流儀に固執しがちな人、柔軟な対応や変化をその都度、臨機応変にしにくい人は体の柔軟性にも欠けていることが多いものです。すなわち、状況に応じて柔軟にギアチェンジする能力、「状況適応能力」は体の柔軟性と密接に関係しているということです。体が固いと、当然、身体的適応力も下がってくるので、持久力がなかったり、内臓がやられていたり、肩こりが常習化していたりすることもしばしばです。また、体の柔軟性が最も端的に表われるのは「股関節の柔らかさ」で、股関節を柔かくすることはあらゆるスポーツ、武道の基本中の基本です。相撲なども「股割り」が基本で、これをしっかりやらないとケガします。

「インナーマッスル」を鍛える第一歩は「ストレッチ」~体の内側にある筋肉、深層筋「インナーマッスル」を鍛えていくと、転んだり、ケガしたりしにくくなりますが、その鍛え方でも、肩関節や股関節を如何に柔かくしていくかを重視しています。ヨーガでも太極拳でも気功法でも真向法でも、様々な形で「ストレッチ」が取り入れられています。例えば、映画「マトリックス」の撮影をした時、主演のキアヌ・リーブスは毎回二時間のストレッチを課せられたと言いますし、イチロー選手も球場入りするのは常に試合の五時間前で、ストレッチから始まる一連の準備を黙々とこなして、体にスイッチを入れていました。

 ちなみに中国の京劇や雑技の役者さんなどの体の柔かさは驚異的ですが、そのコツはただ「毎日やること」しかないそうです。逆に言えば、放っておけば体はどんどん固くなっていく、柔軟性を保つには毎日ストレッチをコツコツ続ける以外にないということです。だから、あまり大それた運動、体操になってしまうと、一回やるのにも膨大なエネルギーを要しますから、ジムに通ってノルマのように負荷を課す人ならともかく、自宅で細々とする人なら必要最低限のシンプルな運動だけを心がければいいでしょう。

最もシンプルなストレッチは「開脚前屈」「股割り」「捻腰」~お風呂から上がって体がほぐれている時や、夜寝る前などにやるのが効果的です。

  「開脚前屈」「股割り」のポイントはあごを伸ばして遠くの地点を目指し、背中を決して丸めないこと、呼吸を止めないで、吐く息に意識を置き、動作に反動をつけないことです。また、立ったまま手をひざに当てて支えながら、そのまま腰を落としていく「股割り」「腰割り」であれば、一日中いつでもどこでもできるので、時間と場所の制約を受けません。

  「捻腰」気功法で言う「スワイショウ」です。これは両手を広げて、でんでん太鼓のように左右にぶーらぶーらと回転させて、腰を捻る動作で、両手を前後に振る動作もあります。これを力を抜いて何度かやっていくと内臓筋がほぐれ、腹にたまったメタボ脂肪が心なしか減った気がし、凝った腰の張りが取れていくのがよく分かります。ちなみに手のひらを下に向けるよりも上に向けた方が、より腰にひねりが入ります。最近は腰を痛めている人も増えてきているので、腰のほぐし方を知っておくことは重要です。



恐るべき「呼吸」、当たり前が難しい「栄養」

「腹式呼吸」~呼吸法には、肋骨を広げたり閉じたりする「胸式呼吸」と、腹を出したり引っ込めたりすることにより横隔膜を上下させる「腹式呼吸」とがあり、一般的に、女性には「胸式呼吸」が多く、男性には「腹式呼吸」が多いと言われています。「腹式呼吸」の方が精神安定、血圧上昇抑制、脳の活性化などの効果が高く、脳波がリラックスしたα波やθ波の状態になります。

「腹」を使って横隔膜を動かす=肋骨でなく、腹を出したり、引っ込めたりさせて、横隔膜を上下させることにより呼吸します。「吸う時は鼻で」「吐く時は口で」が基本ですが、「鼻で吸い、鼻で吐く」でもいいです。口でのみ行う呼吸法を「口呼吸」と言い、現代人に増えていますが、これが精神不安定、判断力低下につながると言われています。

「吐くこと」から始める=実際の呼吸においては「吐くことを先に」行いますが、「腹式呼吸」では、吐くこと、特に「ゆっくり吐くこと」が重要視されます。体に必要な酸素を取り入れるためには、二酸化炭素を出し切らなければなりませんが、「胸式呼吸」ではこれが十分になされため、まずは最初に吐き、肺の中の空気を出し切ってから呼吸を始めると考え、「吐いてから吸う」という習慣を身につけます。

「腹式呼吸」の基本「吐く時に腹をへこませ、吸う時に腹を膨らませる」という要領で行い、「悪いエネルギーを吐き出してから良いエネルギーを取り入れる」とイメージして呼吸すると更に効果的です。

「丹田呼吸法」~息を吸い込み、下腹部(「臍下丹田」)に力を込めてからゆっくりと息を吐き出す呼吸法で、強い腹圧を伴った呼吸型と言えます。自律神経のアンバランスを防ぎ、生体内における各種ホルモン系を調整し、その調和を保ち、すぐれた内臓の強化法でもあります。「臍下丹田」は心身共にたくましい生活力を湧き出させる源泉であり、原動力ですが、クンダリニー・ヨーガでは「スヴァディシュターナ・チャクラ」に相当します。

「ヨーガ」「呼吸法プラーナーヤーマ」「体位法アーサナ」「瞑想法」の三つからなる修行体系です。「気功法」の体系も基本的にこの三要素からなります。

「ハタ・ヨーガ」=「ハ」は太陽、「タ」は月をそれぞれ意味し、「ハタ」で「力の」という意味があるとされます。アーサナ(姿勢)、プラーナーヤーマ呼吸法)、ムドラー(印・手印や象徴的な体位のこと)、クリヤー(浄化法)、バンダー(制御・締め付け)などの肉体的操作により、深い瞑想の条件となる強健で清浄な心身を作り出すヨーガです。起源は紀元後10世紀~13世紀頃で、ゴーラクシャ・ナータが開祖とされます。『ハタ・ヨーガ』『ゴーラクシャ・シャタカ』という教典を書き残したと言われていますが、現存していません。インドにおいて社会が荒廃していた時期に密教化した集団がハタ・ヨーガの起源と言われ、肉体的操作ばかりに重きを置かれることから、低俗なものと見られていました。しかしながら、悟りに至るための補助的技法として霊性修行に取り入れるならば、非常に有効であると言えます。なお、スポーツのストレッチなどはこのヨーガのアーサナ(姿勢)に由来しています。


「ラージャ・ヨーガ」=「ラージャ」は「王の」という意味であり、神を悟るための本格的なヨーガと言えます。「マハー(偉大な)・ヨーガ」とも呼ばれます。根本教典はパタンジャリヨーガ・スートラ(紀元後2~4世紀)です。第2章にはラージャ・ヨーガの段階について記述されており、1.ヤマ(禁戒)、2.ニヤマ(勧戒)、3.アーサナ座法)、4.プラーナーヤーマ(調気)、5.プラティヤーハーラ(制感)、6.ダーラナー(凝念)、7.ディヤーナ(静慮)、8.サマーディ三昧)の8つの段階からなることから、「ラージャ・ヨーガ」を「アシュタンガ・ヨーガ」(アシュ:8つ、アンガ:枝・部門)とも言います。


「カルマ・ヨーガ」=日常生活を修行の場ととらえ、善行に励みカルマの浄化を図るヨーガです。見返りを要求しない無私の奉仕精神をもって行います。カルマ・ヨーガの教典はバガヴァッド・ギーターです。


「バクティ・ヨーガ」=神への純粋な信愛を培い、全てを神の愛と見て生きるヨーガです。古代に実在し、その後、神として崇められたクリシュナが開祖とされます。『バガヴァッド・ギーター』は、「バクティ・ヨーガ」や「カルマ・ヨーガ」の本質を歌っています。

「クンダリニー・ヨーガ」=尾てい骨に眠るというクンダリニーを覚醒させ、身体中の気道チャクラ(7つある神経内分泌中枢)を活性化させ、悟りを目指すヨーガです。密教の軍荼利明王は、そのクンダリニーを象徴化したものです。別名ラヤ・ヨーガ

「マクロビオティック」(Macrobiotic)~マクロビオ+ティック(テクニック)の合成語で、食事療法のことです。自然界の生物(動物・植物)はそれ自体が完全なものであるという観点から、偏りのないバランスの良い食生活を達成するために、基本的に食物を丸ごと摂ることが推奨されます。例えば、玄米や全粒粉のパン、野菜・果物を皮ごと食べること、小魚など丸ごと食べられるものを積極的に摂ることなどです。「マクロビオティックス」「マクロバイオティック」「マクロバイオティックス」「マクロ」「マクロビ」「正食」「玄米菜食」「穀物菜食」などとも呼ばれます。歌手マドンナが息子のアレルギーのため、マクロビオティックに詳しい日本人プライベートシェフを持ったことから、息子だけでなくマドンナも愛好家となり、話題となりました。明治陸軍軍医石塚左玄が欧米近代医学を元に日本の伝統食の正当性を検証して唱えた食養を、弟子の桜沢如一(さくらざわゆきかず)が発展させ、「マクロビオティック」及びその基礎となる「無双原理という哲学を提唱しました。久司道夫菊池富美雄らが主に海外で、大森英桜岡田周三らが主に国内で広めました。

①玄米を主食とし、食事の六割以上とする。

②野菜や穀類は丸ごと全部食し、精白したり、皮をむいたりしないで、余すところなく使う。

③なるべく地元でとれた農産物を摂るようにし、有機農産物ならなお良い。

④砂糖化学調味料、精製塩を使わない。米飴甘酒甜菜糖・メープルシロップなどで代用。

⑤肉類や乳製品は使わない。

「粗食」~帯津三敬病院でがん患者などに食事指導をしている管理栄養士幕内秀夫が提唱し、反響を呼びました。

①ご飯はきちんと食べる。
②穀物は未精製のものにする(胚芽米、玄米など)
③副食は野菜中心にする。
④発酵食品を毎日食べる(みそ汁、漬け物、納豆など)
⑤肉類を減らし、動物性食品は魚介類や卵くらいにする。
⑥揚げ物は控えめに。
⑦白砂糖の入った食品はさける。
⑧砂糖や塩は未精製のものを選ぶ。
⑨出来る限り安全な食品を選ぶ。
⑩食事はゆっくりとよくかんで食べる。



結局、人間は「思った通り」の「自分」になる

「唯識瑜伽思想」~中期大乗仏教で、「アーラヤ織」(潜在意識・深層意識)を駆使する技法を完成し、「止」(奢摩他、シャマタ「集中」からあらゆる想念の「消滅」へ)と「観」(毘鉢舎那、ビバシャナ「瞑想」)による「速疾成仏論」に至りました。これは後期大乗仏教たる密教によって「即身成仏論」となり、空海が大成しました。この「成仏(成仏陀)」の部分を自分がなりたいものにしていけば、「即身成金持ち論」「即身成成功者論」「即身成世界ナンバーワン・スポーツ選手論」などと一般化されるわけです。

無念無想は雑念雑想の極致にある~よく座禅や剣道で「無念無想」ということが言われますが、これは最も簡単な「シャマタ瞑想法」サマタ瞑想法)の境地です。例えば、柳生新陰流の奥義は「無想剣」ですが、これは「何も考えない境地」ということではなくて、「あれこれ考え抜いた結果、考える必要が無くなった境地」のことです。

 ある僧侶が座禅に取り組んだ時、過去の出来事や気にかかること、今晩の食事のことまでいろいろ浮んできて、なかなか「無念無想」になれないと悩んだそうですが、それが毎日毎日繰り返されていくと、さすがに3時間も頭をよぎっていたことが、20分くらいでよぎるようになり、そのうちよぎることもなくなったというのです。何度も何度も徹底的にあらゆる角度から考え、それを繰り返していくと、本当に考える必要がなくなっていくのです。まさに「無念無想は雑念雑想の極致にある」わけです。

 あるいは詠春拳から截拳道(せっけんどう、ジークンドー)という武術を創始したブルース・リーも、「初めてパンチを見た時は本当にすごいと思った。それからありとあらゆることを試してみて、もう1度パンチを見たら、それはただのパンチだった」と言っていますが、「徹底的追求」を経て「大いなる平凡」に至ることはどの世界でもあると言えるでしょう。

内なる声に耳を傾ける~実はこれは最も本質的な「ビバシャナ瞑想法」ヴィパッサナー瞑想法)です。これは心理学的には「直観」、哲学的には「良心」、神学的には「内なる神」と言う所でしょう。不思議なもので、何でも「最初に心で思ったこと」「心の第一声」が意外に自分にとって必要なものを突いている場合が多いのです。「学校に通って勉強すべきだ」「英字新聞を読んでみよう」「思い切ってバイトをやめて大学を目指そう」などと、ある情報に触れた時、パッと思ったりするのですが、時間と共に理性が働いてあれこれ「言い訳」をこねくり始め、最初に浮かんだことをすぐに実行に移さない理由を「正当化」していくことが始まります。「別に今じゃなくてもいいじゃないか、もう少し考えてからにしたら」「いきなり英字新聞なんか読めるわけがないじゃない」「バイト先に迷惑もかかるし、しばらく仕事は続けながら、受験勉強もやったらいいんじゃない」などと、次々に最初の決意(アイデア)を骨抜きにかかってきます。なぜかというと、人間はついつい「昨日と同じ今日、今日と同じ明日」を望む存在で、新たな決断をしてそれまでの生活の流れを変え、新しい生活を出発させていくことをなるべく先送りにしたい心理が働きやすいからです。ところが、答えはすでに出ているのです。先入観や偏見、浅知恵など抜きに、真っ先に心が反応したのは「やってみよう、踏み切ってみよう」という答えだったはずです。「自分に正直に生きる」ということは実はこの「直観的感性」「良心の声」「内なる啓示」に従うということで、その障害は外にあるのではなく、本当は内にあるのです。だから、「自分にウソをつかない」ということが大変なことだということがよく分かります。しかしながら、「自分に正直に生きる道」「自分にウソをつかない道」を行った時のみ後悔がなく、心から「納得」がいくのであるということも、実は「心では分かっている」のです。



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(5)「誰かのため、何かのために生きる」人は不思議とうまくいく

突き詰めれば、最後に残るのは「努力」を超えた「運」である

天命思想「運命」「宿命」「天命」の三段階を「看命」「知命」「立命」の三段階で認識・把握・実現していきます。

「運命」=後天的要素。人生行路及び家庭環境が原因的要素となり、可変的です。

「宿命」=先天的要素。遺伝要因や家庭環境が原因的要素となり、不変的です。

「天命」=天が与えた使命(ミッション)です。「自分はこのために生まれて来た」という自己の存在の本質に関わる部分です。

「看命」=自己の運命・宿命を見抜くことです。「運命方程式」や「ライフサイクル理論」が必要となります。

「知命」=自己の天命を知ることです。孔子は50歳にして天命を知ったとされるので、50歳を知命とも呼びます。

「立命」=運命・宿命を見抜いて、悪しきを抑え、良きを伸ばして、自己実現を図ることです。さらには天命を知って、その成就を図ることです。

人間関係を劇的に変えていく2原則~実際に人間関係でひどい目に会い、傷つき、挫折した人は多くいますが、どんな大変な立場を通過した人でも、必ずといっていいほど人間関係を劇的に変えていく方法が「してもらってうれしかったことは+αして人にもしてあげる」+「されて悲しかったこと、してもらえなくて悲しかったことは絶対に人にしない」という2大原則です。運命学的に言えば、開運の原則と言ってもよいでしょう。

 傷ついた経験がある人ほど、人の優しさに敏感ですが、「あの時、自分の話をうんうんと聞いてくれてすごくうれしかった」とか、「この人だけが自分の良さを認めてくれた」といった体験を少なからず持っているものです。これは宝物と言ってもいいものですが、これをそのままにしていてはいけません。そうしてもらったうれしさ、ありがたさを分かっているわけですから、自分も他の人に対して同じようにしてあげるのです。しかも、自分なりの工夫として「+α」を加えていった上です。そして、逆に「あの時、こんなことをされて自分は本当に傷ついた」「こうして欲しかったのに誰もそうしてくれなかった」といった体験もたくさんあることでしょうが、これを絶対に人に向けてはいけません。「自分もこんな目にあったんだから、人にも」という発想は「復讐の心理」であり、復讐が復讐を呼んで繁殖していくことになります。

 ここで重要なことは「私が味わったような思いは私の所で終わらせる」「自分の所で悪い流れは断ち切る」という強い決意なのです。家族関係で悲惨な思いを味わった人も、友人関係で裏切られた人も、恋人関係で傷ついた人も、「この私(他の誰かではありません)を人間関係の転換点とする」と思い切れた時から、人間関係は変わり始めるのです。具体的にこの2原則を実行していくと、時間はかかりますが、人間関係は劇的に変わっていきます。誰かが自分を頼りにするようになり、誰かのために「必要とされる自分」に喜びを感じるようになった時、「うらみつらみ」や「くよくよ」からなかなか脱却できなかった段階を一つ超えたことを感じるでしょう。



「何のために生きているか」でその人の「運のレベル」「器」が決まる

小事を成すのは力量であり、大事を成すのは運である~例えば、都道府県議会・市町村区議会議員になるのは「実力」があればいいわけですが、国会議員になるには「運」が必要であり、その受け皿となる「器」が必要であると言います。

「聖人」世界のために生きる人です。「天運」の領域と言ってもよいでしょう。イエス=キリストガウタマ=シッダッタ孔子ムハンマドの4人を特に「四大聖人」と呼びます。ソクラテスは哲学者なので、「哲人」ではありますが、「聖人」のカテゴリーには入りません。内村鑑三が信念として掲げていた「二つのJ」で、「I for Japan; Japan for the World; The World for Christ; And All for God.」(私は日本のために、日本は世界のために、世界はキリストのために、全ては神のために)と述べられているように、これより上は「神のために生きる人=神の子」となります。

「義人」国家のために生きる人です。「国運」の領域と言ってもよいでしょう。特に国家・君主への忠義を「大義」と呼びます。アメリカ独立革命に大きな影響を与えたパトリック・ヘンリーの演説や、朝鮮王朝への協力を拒んで高麗王朝への忠義を貫いた鄭夢周(チョンモンジュ)の「丹心歌」などが想起されます。

「Is life so dear, or peace so sweet, as to be purchased at the price of chains and slavery? Forbid it, Almighty God! I know not what course others may take; but as for me, give me liberty or give me death!」(Patrick Henry)

(鎖と隷属の対価で購われるほど、命は尊く、平和は甘美なものだろうか。全能の神にかけて、断じてそうではない。他の人々がどの道を選ぶのかは知らぬが、私について言えば、私に自由を与えよ。然らずんば死を与えよ。

「この身は死んでも また死んでも

 百万遍死になおしても

 白骨が泥土となり

 魂までなくなってしまおうとも

 君に捧げた一片丹心(ひたすらな忠誠の心)は

 消えるはずがあろうか」」(鄭夢周)

「偉人」社会のために生きる人です。偉大な発明家や科学者、冒険家、政治家など、特定分野において大きな貢献を果たし、世のため人のために役に立った人たちです。「天の時、地の利、人の和」というように「時運」を得た人たちでもあります。

「善人」近隣のために生きる人です。「好運」の持ち主であるとは言えるでしょう。

「凡人」=いてもいなくても影響がない人です。まさに「沈香も焚かず屁もひらず」(お香を焚いて芳香を放つでもなく、臭い屁を放って悪臭も立てない)といったところで、可もなく不可もない人のことです。

「悪人」=自分のために生きる人です。「憎まれっ子世にはばかる」という言葉があるように、悪運が強い場合もあります。

「幸運を願ってもよい。しかし、幸運に頼ってはならない。」(ユダヤのことわざ)

「幸運に頼っているだけではいけない。幸運に協力しなければならない。」(ユダヤのことわざ)

「心と体の健康入門⑮ 」~「ストレス・フリー」から「自然治癒力」増強へ~



「運がいい人」といつも一緒にいましょう

「運がいい人」「逆境の哲学」(向上心・忍耐力・吸収力の3能力、自己分析の技法、「時」に対するカン)を持ち、「たくさんの人からの助け」(発展的人間関係の構築)が得られ、「出会い」(「一期一会」、意味・意義)を大事にする人と言ってもよいでしょう。

 例えば、「経営の神様」松下幸之助なども死ぬ前に慈善事業へ500億円寄付したことで知られます。松下幸之助は人相は決していい方ではありませんが、「自分はとても運がいい」と確信し、「経営者が単に自分の会社の利益だけを考える態度は本来的に間違っている。企業の存在する社会や国家、国際社会との共存共栄を抜きにして企業の繁栄はありえない。ビジネス活動を通じて社会の平和と幸福を実現しよう」と事業を進めたことに特徴があります。ちなみに松下幸之助は採用面接試験時に「あなたは運がいい方ですか?悪い方ですか?」と訊ね、「運はいい方です」と答えた人を優先的に採用したことがあると言います。萩本欽一も弟子を採用する時にやはり「自分は運がいいと思うか、悪いと思うか」と聞き、「運がいいと思う」と答えた人を採ったそうです。なぜなら、「運が悪い」と思っている人はせっかくチャンスがめぐってきても、それをモノにすることができないからであるというのです。「運も実力のうち」ということですね。

発展型の性格の三要素「忍耐力」「吸収力」「向上心」の3つが揃えば、「発展型の性格」が生まれます。孤独でもさえなくても実績ゼロでも耐え抜ける「忍耐力」のある人、誰からでも学ぶことが出来る「吸収力」がある人、今の自分ではダメだと感じていたり、「こうなりたい」という思いが強い「向上心」がある人は、「逆境」の中でも最終的には「発展」していく人達です。

 例えば、よく現状からの逃避のために未来の自分を過信することがありますが(「今年はもう時間がないから、大学受験は来年に回そう」「2年かけたら出来ると思う」)、「未来の自分の可能性の根拠は今の自分にしかない」という厳然たる事実を心に留めておくべきです。今、確実な一歩を踏み出していない人は、1年後だろうか、2年後だろうが、千里先のゴールには間違いなく到達していないのです。

 今現在の状況をきちんと分析し、限られた時間を有効に使うべく、優先順位をつけ、最大限努力するという「今の自分にできる限りのこと」をできない人が、時間が経てば自然にできるようになることなどあり得ません。「今の自分にできる限りのこと」をしている人であるならば、力及ばず、目標達成ができなかったとしても、それ以上のことはできないので、止むを得ないこととして納得することができます。少なくとも「やれるだけのことはやった」わけですから、「後悔だけはしない」ことになります。そして、こういう人ならさらに時間をかければ、より少ない時間の中ではできなかったことも、達成する可能性があると言えるのです。

  「座して死を待つより、いさぎよく打って出るべし」と兵法学でも言いますが、「やるべきことをやり切ってダメなのか」、それとも「ただ何となく今までの延長でやっぱりダメなのか」は、同じ「ダメ」でも次につながる可能性の有無が違うのです。やるだけやってダメな人なら、別な勉強・仕事・目標なら成功することがいくらでもあるでしょう。やるべきことをやってもみないでダメな人なら、何をやってもダメでしょう。それはやるまでもないことです。

「性格分析」から「性格転換」へ「性格」「言動」(言葉と行動)→「生活」「運命」というパターンが「人」を作ります。「固有の運命」には「固有の生活パターン」が伴っていることが多く、金持ちには金持ちの生活パターンが、貧乏人には貧乏人の生活パターンが、人から好かれやすい人には好かれやすい人の生活パターンが、孤独になりやすい人には孤独になりやすい人の生活パターンがそれぞれあるものです。例えば、「金持ちはケチ」なのではなく、「ケチだから金持ちになれる」のです。そして、「生活パターン」「特有の言動」を伴いやすく、「言動」には「性格傾向」が反映されやすいのです。したがって、端的に言えば、「運命とは性格である」「性格を変えれば運命を変えることが出来る」とも言えるのです。「性格」の3要素は「知」「情」「意」であり、それぞれの特質や比重の違いが「個性」として現われるので、「性格分析」「タイプ論」から始まり、「性格転換」「知的アプローチ」「情的アプローチ」「意的アプローチ」の3つを駆使することとなります。「性格転換」に必要なのは「プラス言葉の使用→希望の発見→確信の強化」「家庭的基本関係の充実(修復・充足)」「苦手なこと・やったことのないことに取り組む」の3つです。

「時」に対するカン~重要なことは「物事の変化」「機」と言います)の中に端的に「時の変化」(2つ合わせて「時機」と言います)が現われ、それを読み取る「カン」「直感」「直観」が磨かれる必要があるということです。「小さな時の訪れ」を敏感に察知出来るようになると、「大胆な行動」も可能になります。逆に「時の変化」に鈍感なままであれば、「時」が過ぎ去ってみてチャンスを逃してみて、失敗してみて初めて悟ることとなるでしょう。

発展的人間関係の構築「人間関係は人間関係でしか買えない」と言われるように、親子関係や友達関係、男女関係などで傷を負った場合には、同じように親子関係・友達関係・男女関係で修復・充実をする以外に道がありません。ただ、不思議なことに、父親との関係が悪い人なら「父親的存在」「父親との関係を修復するための人物」というように、「必要な時に必要な人」と出会っていることが多くあり、こうした「出会いの意味」「出会いの必然性」(これがすなわち「縁」です)を見抜けないと、チャンスを流してしまうことになってしまうのです。そして、「人間関係転換」に必要なのは「聞き上手→質問上手→議論上手」「やり直し・元返し」「恩返し+悲劇の連鎖の断ち切り」の3つです。

「出会い」の重要性「決定的な出会い」「飛躍の原点」も、最初は「小さな出会い」「小さな変化」「小さな第一歩」に過ぎません。ここで重要なのは「啐啄」(そったく)という概念です。卵の中のヒナ鳥が殻を破ってまさに生まれ出ようとする時、卵の殻を内側から雛がつつくことを「啐」といい、それに合わせて親鳥が外から殻をつつくのを「啄」と言うのですが、雛鳥と親鳥が内側と外側からつつくタイミングが一致することで、殻が破れて中から雛鳥が生まれ出てくるわけです。生まれる瞬間が分かるのは親鳥であり、その時に殻のどこが薄くなるかを分かって、そこにヒナ鳥を誘導するのです。これが人生の「節目」であるような「時」が来た時、しかるべき「場」に誘導するのが「天」(神)であり、だからこそ「天運」という言葉が出てくるのです。



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