ギリシア・フリーク



1、今なお人を引きつける「ヒューマニズム」と「コスモポリタニズム」の精神

いわゆる「ヒューマニズム」には「人間主義」「人文主義」「人道主義」の3 の側面があります。

「まとめて言えば、我らのポリス全体はギリシアが追うべき理想の顕現であり、我ら一人一人の市民は人生の広い諸活動に通暁し、自由人の品位を持し、己れの知性の円熟を期すことが出来ると思う。」(ペリクレスの演説)


「人間主義」~「人本主義」「人間中心主義」とも言われます。「人間性の肯定」「生の謳歌」「理想主義」など多様な側面を持ちます。ただ、そのままでは「欲望中心主義」「本能主義」にも陥りかねず、古代ギリシアではこういった欲望・本能・感情を「理性」で制御することを理想としました。しかしながら、ギリシア神話のモチーフでは人間には如何ともし難い「運命」に挑んだり、それに翻弄される人間の「悲劇」がよく描かれているように、単なる「人間中心主義」「理性中心主義」では限界があることも事実です。キリスト教思想史でも、啓蒙思想の影響から一時期、楽観的な自由主義神学が一世を風靡したことがありますが、第一次世界大戦・第二次世界大戦という「人類レベルでの原罪の認識」に直面して、思想的に一気に深化することとなりました。かくして起きたのが「キェルケゴール・ルネッサンス」です。


【ポイント】

「人間主義」は「ニーチェ的ニヒリズム」(これは多くの若者を引きつけ、現代思想にも大きな影響を及ぼしましたが、ギリシア的運命論・悲劇的人間観そのものです)ではなく、「キェルケゴール的実存主義」(「神と我」の実存主義、あるいは内なる神たる「良心」を基とした良心的実存主義)を通過して「本物」となります。


「人文主義」~中世の「神本主義」(偏狭な教会中心主義)が人間性を抑圧し、科学的合理性を損い、現実逃避の側面も持っていたことに対し、これに反発したルネッサンスではこうした状況を打ち破る新たな範を古代ギリシア・ローマに求め、ギリシア・ローマの古典研究(人文学)から「ギリシア精神の復興」が叫ばれました。現在でもギリシア・ローマの古典は西洋における「教養」の中心的位置を占めており、「知的伝統の核」となっています。しかしながら、この結果、こうした古典語に基づく「教養」「知的伝統」は一般庶民のあずかり知らぬ所となったことも事実です。これに対して、同じく「古(いにしえ)」に範を求める「東洋の教養」では「歴史」や「詩歌」が中心となっており、これらは小学生でも学び、暗唱するものとなっています。また、ギリシア精神が著しく「個人主義」的で、これはヘレニズム時代に至って強化され、近代思想に至っては確固たる原理になってしまいました。キリスト教的実存主義でも「神と我」「我と他者」といった段階からいきなり「我と社会」に行ってしまい、「親を通して神の愛を知る」「子を通して神の痛みを知る」「夫あるいは妻を通して神と出会う」といったいわゆる「家庭的実存主義」は確立されていません。これに対して、東洋の伝統では「人倫」(親子、夫婦、兄弟姉妹といった人間関係の在り方)が重視され、「真情」「深情」「志」が尊ばれるなど、「家庭主義」「心情主義」的内容となっています。


【ポイント】

「人文主義」は「東洋の教養」(歴史、詩歌)や「東洋の伝統」(家庭主義、心情主義)を融合してこそ「生きた物」(誰にでも分かる当たり前の真理、ためになる話)となります。


「人道主義」~英語ではhumanismよりもむしろhumanitarianismと表現されますが、日本語では「ヒューマニズム」を「人道主義」ととらえることが多いでしょう。理性に基づく理想の実現を目指したフランス革命において、自由・平等・博愛の3つがスローガンとして掲げられたように、「博愛主義」は「理想主義」の延長にあるものです。まさにプラトン思想の中心概念イデアideaの追求こそが、イデアリズムidealismに他なりません。ただし、中世「神本主義」→近世「人本主義」→近代「物本主義」という流れの中で、究極の「唯物無神論」として登場した「共産主義」に対してすら、戦争に反対して投獄されたとか、権力批判や弱者救済を訴えているなど、「人道主義」的評価(実際、戦前の「共産主義者」は正真正銘のマルキストというよりは単なる唯物論的ヒューマニストが多かったのです)がなされたりするので、注意を要します。フランスの権威ある雑誌『ル・フィガロ』1978年11月18日号によると、たくさんの人をギロチン台に送ったフランス革命の流れを汲むロシア革命以来、わずか60年で、共産主義によって1億5000万人の人々が殺されたと言われるので、その非人間性は明らかです。これは、「社会正義」の実現においては、資本家や搾取する人々を憎悪し、彼らの「人権」「人間性」を顧慮することがなかったため、暴力革命が肯定されたからです。プラトン思想でも知情意が調和した個人の理想状態を「正義の徳の実現」としましたが、「理想主義」の持つ「正義」(こうあるべきだという基準)論は、その「正義」の実現を阻むものに対する「憎悪」やそれを受け入れない者に対する「排除」を伴いやすいのです。こうした傾向は宗教的狂信主義にも多分に見られるもので、相手の思想・信教の自由を無視した「客観主義」を指します。逆に相手の思想・信教の自由を尊重する立場を「主観主義」と言います。


【ポイント】

「人道主義」は「主観主義」(相手の思想・信教の自由の尊重)に基づく「共生・共栄主義」でなければ、「憎悪」の感情に根ざした「正義」論をふりかざす「客観主義」(客観的正義を他者に押し付ける)に陥りかねません。



コスモポリタニズムは「世界市民主義」ですが、実際は「荒野にたたずむ個人主義」に近いのです。

「世界市民主義」~アレクサンダーによってギリシアの「ポリス」(都市国家、独立共同体)世界とペルシアに代表される専制君主的「オリエント」世界が融合した結果、ヘレニズム文明が誕生し、個人が個々の所属「ポリス」を超えて「世界」の中に立つ「コスモポリタン」(世界市民)という考えが出てきました。この魅力は御し難く、カント以来、盛んに叫ばれてきた「世界国家」「世界帝国」「世界連邦」などもこの発展型です。市場経済に根ざした「グローバリズム」にも似た所がありますが、いわゆる「世界主義」が「政治」に基づく「上」からの一体化であるのに対し、こうした「国際主義」は国家・企業・個人がプレイヤーとなる普遍市場主義であり、「経済」に基づく「下」からの一体化であると言ってよいでしょう。ちなみにEU(欧州連合)の場合、「市場統合」(1993年完成)→「通貨統合」(1999年完成)→「政治統合」(今後の課題)の三段階を経て完成されますが、これを「グローバリズム」(地球規模の市場の実現)→「インターナショナリズム」(「国際法」の発達、国家の主権譲渡)→「コスモポリタニズム」(「世界法」に基づく「世界裁判所」、NGOやNPOといった国家以外の構成要素も持つ「世界議会」、「世界軍」「世界警察」を伴った「世界政府」が必要となります)になぞらえると、EUもそうであるように、第二段階の途中で困難が生じ、第三段階への移行に至ってはどれだけ時間がかかるか分かりません。したがって、ヘレニズム時代においても「都市国家」を超えた「世界国家」が十分できていないまま、いきなり「個人」が「世界」に投げ出されてしまったので、いきおい「個人主義」にならざるを得ず、しかも「国家」の庇護なき「荒野にたたずむ個人主義」となってしまったのです。


【ポイント】

 「コスモポリタニズム」の実現は「インターナショナリズム」の充実を土台としてなされます。例えば、今日の国際情勢では「国際連盟」→「国際連合」→「世界連邦」という構想が打ち出されていますが、その実現のためには「国際連合」の整備、成熟が必要不可欠のプロセスとなります。




2、「ギリシア哲学」と「ギリシア科学(数学)」は西洋学問の原泉

「ギリシア哲学」は人類の精神的発達史における「自我の目覚め」です。

「ギリシア人であるとは知ること、すなわち物質の原初の実体を知ること、数の意味を知ること、一つの合理的全体としての世界を知ることであった。」(カント)


「アルケー(根元)」論~「ギリシア哲学」はイオニア自然学におけるから始まりました。「万物の根元」は水、火、四元素、数、原子などと考えたわけですが、これは子供が自然の事物に疑問を持ち、その背景や仕組みを追求しようとする営みと似ています。こうした行為が「哲学」(知を愛すること、philosophy)と呼ばれるに至りました。


「弁論術」~「賢者」「教養ある人」という意味で、初めての職業的教師とされる「ソフィスト」達によって、議会や法廷で勝つための弁論術・修辞学が専門的に教えられました。この時代は「人間が万物の尺度である」(プロタゴロス)と言われるように、「価値相対主義」「相対的自己認識」を特徴としており、「思春期」において「人間」「人間関係」に関心が強まり、人との関係で自己を把握する(このため、自意識過剰になったり、優越感や劣等感が生じたりするわけです)のと似ています。こうした「弁論」によって大衆の支持を得ることはローマにおいても受け継がれ(例えば、シーザーに見られるような「喝采によるカリスマ」)、今日のロンドンのハイド・パークでも市民が自由に演説(ただし、イギリス王室への批判とイギリス政府の転覆という2つは許されません)をしていて、その伝統が受け継がれていることが窺えます。


「アレテー(徳)」論~ソクラテスはデルフォイ神殿に掲げられた「汝自身を知れ」という格言を踏まえ、ついに「無知の知」(知るべきことを知っていないが、それを知らないということだけは知っている)の自覚に至りました。多くの人は知るべきことを知らないにもかかわらず、それを知っていないことすら知らない「無知の無知」状態であり、ここから「無知の知」を経て、知るべきことを知った「真知(エピステーメ)」の状態に至るというわけです。この「知るべきこと」が人間の本質「アレテー」であり、それは知って終わりではなく、その如く生きてこそ意味を持つものなので、「知徳合一」「知行合一」という立場になります。したがって、これは孔子なら「朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり」と言う所ですが、「これを知ったら死んでもよい」と言えるような「実存的知」と言ってもよいでしょう。人は「思春期」に至って「人生の意味や目的」を考えるようになりますが、ソクラテスの出現は人類がそのようなレベルに達したことの証左でもあります。また、「無知」を自覚させるための「問答法」「産婆術」と呼ばれる議論は「古代の素朴な弁証法」「ソクラテスの弁証法」と言ってよく、これも西洋における「議論」の伝統を作ったと思われます。


「ギリシア人は如何なる民族にもまして談話なくしては精神の発展を考え得ず、したがって彼らの思考の場所はアゴラ(公共広場)とシュンポシオン(饗宴)であった。」(ブルクハルト)


「イデア」論~プラトンは目に見えない「本質界」「実在界」(今日的に言えば「霊界」ですが、数学的に言えば「虚数空間」となるでしょう)に普遍的真理たる「イデア」を見出し、その実現を理想としました。その後の哲学が「真理」を発見しようとするのも、科学が「法則」を発見しようとするのも、この「イデア」の追求に他なりません。そのため、ホワイトヘッドは「西洋哲学史2000年はプラトン哲学に対する注釈に過ぎない」とまで言ってのけています。逆にプラトンに批判的なポパーは「プラトンの呪縛」と言っています。


「形相(エイドス)と質料(フューレ)」論~プラトンは「イデア」を「現象界」「現実界」に置かず、「二元論」の立場を取りましたが、これはキリスト教に取り入れられ、「聖俗二元論」が発達しました。「現世蔑視」「来世志向」もこれによって強化されたのです。これに対して、アリストテレスは「イデア」を個々の事物の中に見出し、これを「形相(エイドス)」と呼びました。アリストテレスはこのように「総合」「統合」の名手であり、あらゆる学問を体系的に整理して「万学の祖」と称えられ、「アリストテレスの呪縛」と言えるほど中世ヨーロッパの学問を支配したのです。



ギリシア数学は「証明」を人類にもたらし、ギリシア科学は卓絶した段階に到達していました。

「ギリシア人は異国の民(バルバロイ)から受け取ったものを、皆最後にいっそう美しく完成する。」(プラトン)

「数学が成長して諸科学の根本になれたのは、ギリシャの形式論理学と結合したからである。・・・論理と数学との合体は、古代ギリシャにおいて実現される。これこそ実に、世界史における画期的大事件であり、数学の無限の発達を保証するものであった。・・・一貫した体系的論理を誕生させ、これと結びついたこと。これこそ、数学が諸科学の王となり、これらを制御し、その下に発展させた理由である。」(小室直樹)


「証明」~「公理主義」「公理的論証数学」と言ってもいいですが、「証明」とは個人が独断的に思考することではなく、公共的承認を要求するものであるので、承認を得たものは「公共財産」となります。「数学」はこうした先人の営みの上に立って発達し、ニュートンはこれを「巨人の肩の上に立って遠くを見る」と表現しましたが、それはこのギリシア数学に淵源しているのです。今日もてはやされている「論理的思考力」なるものも、こうした「証明」の発想に基づくものです。


「形式論理学」~近代数学の論理は形式論理学であり、アリストテレスが完成させました。これは次の3つの基本原則からなります。

「同一律」~AはAである。これを正しく使うためには「定義」を「一義的」に下しておかなければなりません。

「矛盾律」~AはBである、AはBであるという2つの命題がある時、両方とも真あるいは偽であることはない。この矛盾絶対禁止の大原則が数学に「背理法」という絶大な威力を持つ研究法を与えました。ちなみに「完全理論」と呼ばれた「ユークリッド幾何学」の第五公理「直線外の任意の一点を通って、これと平行な直線がただ一つ引ける」に対し、ロバチェフスキーが「背理法」を用いて、「一直線外の一点を通ってその直線に平行な直線は一本とは限らない」という仮説を置いたら、「矛盾」が生じなかったのです。「非ユークリッド幾何学」の誕生です。かくして、「ユークリッド幾何学」の誕生以来、自明な真理とされてきた公理は仮定に過ぎなくなり、数学者・科学者は真理発見者ではなく、模型構築者(モデル・ビルダー)に変わってしまったことはよく知られています(「数学革命」「科学革命」)。

「拝中律」~AはBである、AはBであるという2つの命題がある時、両者の中間はなく、これら以外にない。


「帰納法」~「特称命題」(ある特定のものについての判断)から「全称命題」(全てのものについての判断)の帰結を得る推論です。ちなみに自然科学の実験は法則が常に成り立つことを証明するものではなく、成り立ち得ることを証明するに過ぎない「不完全帰納法」です。これに対して、ある命題がn=1の時成り立ち、n=kの時に成り立つとすればn=k+1にも成り立つことを証明すれば、全ての自然数の時に成り立つことが証明されるように、「全ての自然数について成り立つ」命題を証明する数学的帰納法のみが「完全帰納法」であるとされます。


「ギリシア科学」の到達水準~ピタゴラスは「三平方の定理」を発見すると共に「無理数」の存在に気づき、プラトンはアカデメイアに「幾何学を学ばざる者、この門を入るべからず」と記して幾何学を必須の学問とし、アリストテレスは「形式論理学」を完成させると共に諸学問を整備・確立して「万学の祖」と呼ばれました。また、ユークリッド(エウクレイデス)は「完全理論」と称えられた「ユークリッド幾何学」を構築し、アルキメデスは「浮力」を発見し、たくさんの鏡で太陽光を集めて敵船を焼いたり、「我に支点を与えよ。そうすれば地球でも動かして見せよう」と言ったり、エラトステネスは地球の円周を算出していました。そもそも古代ギリシア人は遠方からの船の現われ方で、「世界」が「球形」であること、すなわち「地球」であることを理解していたのです。




3、「古代民主主義」と「近代民主主義」は何が違うのか

「古代民主主義」は「市民」の政治参加に意義がありました。

「アテネの民主政」~東方的専制支配に対するポリス的自由の勝利とされるペルシア戦争の勝利、デロス同盟の軍資金の流用、ペリクレスという卓越した指導者の存在などによって、アテネは「古代民主主義の黄金時代」を現出しました。ちなみに「民主主義」とは本来「思想」(~イズム)ではなく、「政体」(~クラシー)を指すため、正確には「民主政」ということになります。これはギリシア語で「デモクラティア」と言い、「民衆の支配」を意味します。アテネでは18歳以上の男子市民は全員民会に参加できましたが、女性・在留外国人・奴隷は除外されていました。これは「市民権」の平等主義であり、ローマ帝国においても相続されましたが、シェークスピアの「ベニスの商人」に見られるような「法の前の平等」、ルターに始まるプロテスタンティズムにおける「神の前の平等」にもつながってきます。



「近代民主主義」は「人権」の擁護に最眼目があります。

「人権」~「人間」が普遍的に持つとされる「諸権利の束」(human rights)です。中世「等族国家」(身分制国家)の「特権」(privilege)→近世「絶対主義国家」の「王権」(王の大権、prerogative)→近代国家の「主権」(sovereignty)と近代市民社会の「人権」という三段階で出現してきました。ちなみに少年法改正論議で「少年の人権」ということが盛んに叫ばれましたが、これは人間全般に適用されない、少年のみに許されたものであるので、実は「少年の特権」の誤解です。「人権」は普遍的ですが、「特権」は時代や社会の要請によっていくらでも変化するのです。また、「憲法」も元々は貴族が「特権」を守るために「王権」に制限を加えようとしたものでしたが(「大憲章」)、後に「民主主義」に取り入れられて主要な要素となりました。そして、「議会」も元々徴税の便を図ることを目的とした、特権階級の代表たる諸身分の会議でしたが(「等族議会」「三部会」)、後に「民主主義」に取り入れられて主要な要素となったのです。かくして、「人権」の平等主義が現実化しますが、これは「達成された静止状態」ではなく、「不断に生み出されるプロセス」にこそ真髄があることに注意しなければなりません。


「近代法」~絶対的な力を持つ「国家主権」をマキャヴェリは『聖書』の怪物「リヴァイアサン」の名で呼びましたが、これに対して「人権」を擁護するために発達したのが近代法です。近代法の典型は憲法で、よく小学生が「お前、それは憲法違反だろ!」などと言ったりしていますが、そもそも小学生に憲法違反をすることは不可能です。憲法違反をすることができるのは国家のみなのです。また、民法は古代から「ローマ法大全」などがありますが、人権思想を根底に持つ「近代民法」の到達点は「近代的所有権の確立」となります。同様に、刑法も古代から「ハンムラビ法典」などがありますが、人権思想をふまえた「近代刑法」では「罪刑法定主義」が中心テーマとなります。ちなみに「近代法」「近代民主主義」「近代資本主義」は「人権」思想を中核に三位一体の構造を持つということを理解すると、社会科学の核心的理解が可能になります。






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