天才の人たちには、「勉強のやり方」なんて今さら必要ありません。たぐいまれな暗記力、一を聞いて十を知る類推力・連想力、そして何より毎日数時間のコンスタントな勉強に耐えていける持久力・忍耐力・継続力・・・。こういった才能・能力の数々があれば、おそらくどの分野にいっても、何に手をつけても、たいていのことはできてしまうでしょう。
ところが、普通の人はそういうわけにはいきません。あれもこれもできはしないし、始めてすぐに結果が出ないとすぐにやる気をなくしてしまいます。ごくごくふつうの人が、「誰でもできる方法」で、「最小努力で最大効果」「最短時間で目標達成」というわけにいかないものでしょうか?
例えば、数学が苦手な生徒が高卒認定試験の三週間前に「何とかしてくれ!」と言ってやって来たことがあります。でもやることは決まっています。「高認数学の基本は2次関数と三角比という二つの分野からなっているのよ。まず2次関数のポイントは七つ、この順番に出るからね。三角比のポイントも八つだけ。前提二つに基本公式五つと相似ね。とにかくこれを丸暗記して」と言って、ポイントを覚えさせ、あとはどの問題が出たらどの公式を使うかが問題なので、覚えた知識を引き出して使えるように過去問演習を重ねていくだけなのです。実は自分も元々は、「数学の勉強がわずか一か月で何とかなるはずがない!最低でも三か月はかかるだろう」(要は「数学をなめるんじゃない」)と思い込んでいたのですが、この生徒が見事に高卒認定試験に合格してからは「何だ、受かるだけなら三週間でも何とかなるじゃん!」に変わりました(その後、一週間でゼロから数学合格に至った生徒が出てきました)。ただ、あまり無理はしたくないので、なるべく早く勉強を始めて、少しずつ準備していった方がいいとは思いますが。
勉強を独学でしていて、メゲそうになるのが「量が多い」場合です。世界史や日本史なら、参考書代わりに使われる教科書ですら三百ページをゆうに超え、重要事項はゴシックで強調してあるとはいえ、一ページにつき十個ぐらいあるとなると、やってもやってもやった気がせず、達成感がなく、そのうちやる気をなくしてしまうのです。公務員試験などで、わざとまともにやったら時間がいくらあっても足りないような試験科目を課してくるのは、「取捨選択をすること」「優先順位をつけること」「勉強の効率化を図ること」がどうか見ているのだと考えてください。「真面目に努力していれば何とかなる」のではなく、「要領よく勉強の効率化を図らないと結果が出ない」ことこそ知るべきなのです。満点や完璧を目指すわけではなく、合格ラインを少し超えればいいだけのことで、割り切った考えが必要になってくるわけです。
だから、「生物という科目の全体像はこの五分野からなっているのよ。ポイントはこれとこれ、ヤマ場はここ。化学はこの三分野。これがキー概念で、これらの化学反応式は覚えときましょう。この分野の用語は覚えるけど、後は捨てていいから。日本史・世界史は近代・現代がメインね。なぜなら、現代社会の直接の背景になっているから。日本史は江戸時代のポイントはこれ、明治以降はこれ。外交史・文化史・経済史はテーマ史として通史で押えときましょう。世界史には二本柱があって、政治分野ではここからここまで、経済分野ではこれとこれよ。この地域とこの地域は要注意ね。なぜかというとこうだから」などと、一科目につき十五分から三十分で位置付けと意義付けをしながらポイントを教えてあげると、多くの生徒が開いた口がふさがらないといった様子になります。一年前から高いお金を払って専門予備校に通っていながら、一日九時間も十時間も勉強を続けても模試などの成績が上がらず、試行錯誤を重ねてきたのに、「これとこれだけやっとけばいいの。後はみんなできないから、捨てていいよ」とあっという間に仕分けされてしまったわけですから、無理もありません。
ここで武器になるのが、各科目のポイントを五~六ページくらいにまとめたペーパーです。大体、「ポイント」というものは「重要度」と「頻度」という二つの観点から絞り込むものなのですが、数百ページものテキストであっても、ポイントをまとめればわずか数ページに収まってしまうものなのです。
でも、ここでカラフルできれいなノートを作りはじめると(特に女の子に多いですね)、ドツボにはまってしまいます。ここにだけ気をつけて、単元ごとの重要事項を「数ページ」に収まるようにピックアップしていくと、「単元ごとの関係はどうなっているのか」「この単元で一番重要と思われるのはどれか」「ここをまとめるとどのように図式化されるか」といった発想・観点を持つようになるので、短期間に自分を飛躍させる作業ともなるのです。昔はカンニングペーパーを必死に作ったりする中で、小さな紙に重要と思われる事柄を絞り込んで書き込もうと何度もやり直していると、いつの間にか骨格が頭に入ってしまっていて、実際の試験ではカンペを使うこともなく、答えがスラスラ出来てしまったということがよくあったものですが、これも同じことですね。
挫折しやすく、生徒からの質問も多いのが、「英単語の暗記法」です。こんな会話をよくするわけです。
「一日何語だったら覚えられる?」
「うーん、十語だったら何とかできます。二十語でも頑張ればできるかな・・・。」
「じゃあ、二千語覚えるのに土曜日も日曜日も休日もなく毎日やったとして、一日十語だったら二百日、七か月ちょっとかかるわけだよね。それで七か月後とかに最初にやった単語を覚えているかねえ?それから頑張ればできるかもってと言うけど、それって頑張らない限りできないってことだよね?」
「やっぱり自分には無理ですね・・・。」
やる前から早くも「挫折のシュミレーション」のできあがりといった感じです。単語帳を作って、発音記号も書き込んで、色分けして、完璧に覚えるまで何度も何度も書いて、などと力を入れてやろうとすればするほど長続きがしなくなります。どうせ一回で完璧に暗記するなんて天才にしかできない技なんですから、凡人としては何度も繰り返して、何回目かで覚えられればいいと気楽に考えるべきでしょう。実際、丁寧に完璧に何か月もかけて一巡するよりも、いい加減に一~二か月で一回転させ、その後、何回転も繰り返す方がはるかに記憶に定着するものです。具体的には一日三十~五十語くらいを市販の単語帳にチェックしながら覚えていき、前日の分だけは確認し直してその日の分をやっていくというのが現実的なラインでしょう。
数学などでよく質問が出るのが、「公式を覚えるのはいいんだけど、ある問題が出た時に一体どの公式を使えばいいのか分からないんです」といったものです。これは「公式」と「問題」をつなぐものとして、「パターン」というものがあり、「公式」をたくさん覚えるだけではどんな「問題」にも対処できるわけでなく、「どういう形の問題の時にはどの公式をこう使う」という「パターン」にどれだけ習熟しているか、どれだけ「パターン」を自分のモノにしているか、ということが得意・不得意を分けるということに他なりません。つまり、「問題解決力」「設問対応力」イコール「公式力」「公式暗記力」ではなく、「パターン力」「パターン認識力」ということです。
英語でも「文法」と「読解」の間に「構文」という「文章のパターン」が潜んでいて、「文法力」イコール「読解力」ではなく、どれだけ多くの「構文」を理解し、モノにしているかという「構文力」が力の差になってきます。物理でも、「これは時間と速度が分かっているから、等加速度直線運動のこの関係式を使う」といった判断が不可欠で、これが「パターン認識」に他なりません。このように、数学の「公式」や英語の「文法」などを単純に応用すればできてしまう「基礎問題」は、直前・短期間の「丸暗記」でもどうにかなり、結局、「覚えているかいないか」の差となりますが、「パターン」や「構文」を知っているか、理解できているかということは「実戦練習」を繰り返していく中で解決していくしかないのです。
理想を言えば、「解説型参考書」(辞書機能)+「基礎力養成問題集」(薄くて早く終われるもの)+「応用力養成問題集」(パターン習得を目的とするもの)の三点セットで学習を進めていくのが望ましく、「基礎力養成」(参考書+基礎力養成問題集)→「応用力養成」(応用力養成問題集)→「実戦力養成」(過去問)という三段階でステップを踏んでいければ、最も無理が無いと言えます。
実に「どの参考書・問題集を選ぶか」「それらをいつ、どのように使って、どこまでに仕上げていくか」ということは教える側のノウハウの真髄であり、自学自習のカギともなるものです。逆に勉強しているのに、なかなか結果が出ない人には、①ツールとしての参考書・問題集の選択ミス、②参考書・問題集の使い方における効率の悪さ、③実戦パターン習得という意識のあいまいさ、などが共通項として挙げられると言ってもよいでしょう。要は自分で何から何まで吟味して、試行錯誤するより、多くの人が吟味して、試行錯誤した結果だけをおいしくいただいた方が楽ちんだということに気づけばよいのです。
「実戦力」習得の総仕上げとなるのが「過去問演習」です。これは実際に出された問題ですから、どんな練習問題や予想問題にも増して価値ある「最高のデータ」を提供してくれます。大学受験なら、最も活用しやすいのは共通テスト・センター試験でしょう。国立大学だけでなく、多くの私立大学も採用し、受験者数も多い。問題もこなれていて、極端な奇問というものがほとんどない。6~7割とれれば中堅私立大学、8割とれれば国立大学を狙えるので、自分の実力も判断しやすいのです。
さて、共通テスト・センター試験の過去問は本試・追試併せて十回~二十回分をこなすというのがセオリーです。例えば、センター試験は「傾向がないのが傾向」と言われるほどでした。共通テストになって、「初見対応力志向」「思考力志向」が強まりましたが、模試代わりに、その時点、時点での実力を測ることができるという性格は変わりません。大体、中堅大学なら60%以上、上位大学なら70%以上、難関私立・国公立大学なら80%以上、東大・国公立大学医学部なら85~90%が「死守ライン」となります。「死守ライン」というのは、それだけ行けば合格するというラインではなく、それより下回ってはいけないというラインです。何回分も問題をこなしていくと、たまにいい点が出たりしますが、それが実力なのではなくて、「どんなに難しい問題にぶつかろうと、とにかくこの点は割っていない」というのが本当の実力と言えるのです。
実際に自学自習でどんどんやらせてみると、何回分やっても60%台をうろうろしていて、なかなかそこから脱却できないというケースにぶつかります。これは知識面や判断力の面でカベにぶつかっているサインであり、そのままやらせ続けても飛躍することは難しいことがほとんどです。この場合、マンツーマンで指導して、判断の仕方、目のつけ所を確認し、消去法のレベルアップ、背景知識の整理などを図っていかなくてはなりません。そうやって、次に超えなければならないのが70%のカベであり、ほとんど受験生はここまででよいでしょう。難関大学・学部受験生はさらに80%のカベを乗り越えていかなければ二次試験でハンディを負うことになるので、これも甘く考えるべきではありません。共通テスト・センター試験には「絶対に満点を取らせないぞ!高得点を取らせてなるものか!」という作問者の強い意思がみなぎっており、巧妙に仕掛けられた小地雷をいくつもかいくぐって高得点を取ることは容易ではありませんが、共通テスト・センター試験で高得点を取ることができずして、上位・難関大学に受かるだけの実力・学力があるとはとても言えないのです。
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